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1-28 福寿堂の店主

 福寿堂の中に入ると、店主を真ん中にして店の者たちがずらりと並んでいた。外でそれをすれば、かなり目立つだろうという気遣いもあってのことだった。並んだ十数人の者たちが、同時にその場に跪く。その光景は圧巻で、無明(むみょう)は思わず後ろに下がりそうになるのを、なんとか堪える。  ここの者たちは、無明が神子であることは知らないが、今回の鳳凰の儀において、蓉緋(ゆうひ)が選んだ"朱雀の神子"だということは知らされていた。その上で、ここで花嫁衣裳を整えさせることと、他の一族の公子たちと共に、作戦のための準備を手伝うことを依頼されていた。  ちなみに、花轎(かきょう)を用意するのは(こう)宮である。故に、今まで失踪している神子候補について蓉緋や白鷺(はくろ)が疑うのも当然のことだった。輿の担ぎ手たちの証言が得られないため、朱雀宮に辿り着いたら消えていたという事実はあれど、真実は闇の中というわけだ。 「今回、朱雀の神子様のお手伝いができること、大変嬉しく思います。私はこの福寿堂の主、銀朱(ぎんしゅ)と申します。どうぞお見知りおきを」  蓉緋と同じくらいか、少し上くらいの落ち着いた雰囲気の好青年が、跪いたまま両腕を前で囲い、頭を下げながら挨拶をする。  肩までの長さの黒髪を後ろで縛り、長い前髪を真ん中で分けている。その瞳は朱色。鶯色の上衣下裳に、白い衣を肩から掛けている。  他の者たちは皆、臙脂色の作務衣(さむえ)のような仕事着を纏っていた。 「こちらこそ、お世話になります。私は宵藍(しょうらん)と申します」  無明は蓉緋との打ち合わせ通り、名を"宵藍"と告げた。元々は蓉緋が店主をしており、宗主となってからは彼にすべてを任せているらしい。  彼自身は信頼のおける者であっても、その他の者たちに関してはすべての者たちが彼と同じとは言えないため、念には念をということだ。 「あの宗主が自ら選んだひとと言うから、どんな方かと思っていたのですが······あなたのような細身の方だったとは。どうか御身をご自愛ください。この堂におられる間は、私たちも全力でお守りします」  少し蓉緋への皮肉も混じっていたが、親しいが故の言い回しのようで、銀朱(ぎんしゅ)はにっこりと笑みを浮かべた。優しく穏やかで知的なひと、という印象を与える彼は、頭から被っていた衣を脱いだ無明を見上げて、眼を細める。 「······本当に、存在していたんですね」  思わず、言葉が零れてしまい、自分でも驚いた顔をしていた。それは、無明の瞳の色を確認してのことだった。翡翠の瞳は珍しい。そもそも、その瞳の色を持つ一族は、普通の民たちからは忘れ去られた存在でもある。 「記録の民と呼ばれる光架(こうか)の民。もはや書物の中の空想ではないかと思っていた、稀少な存在が目の前にいるなんて、」 「記録の民? あ、ええっと······お、私は、自分の事はよくわからなくて。両親も物心ついた時には亡くなっていたものですから、」  無明が、いつもの好奇心から詳しく聞きたい! という気持ちが喉元まで上がってきたが、なんとか演技を続ける。 「そうでしたか。でもとても貴重な民の血を引いているのなら尚更です。傷のひとつでも付けよう輩がいたら、この手で二度と立てなくしてやりますので、ご安心を」  にこにこと笑みを浮かべながらそんな物騒なことを言う店主に、竜虎は表情を引きつらせる。 (あの宗主の昔の仲間っていうからには、ひと癖もふた癖もあるだろうとは思っていたが、)  竜虎の中で、最初の印象とは打って変わり、ものすごく人当たりの良い優しい青年という仮面を被った、なんか笑顔で怖いひとという上書きがされる。 「例の衣裳は二階の部屋に用意してあります。袖を通していただき、明日までに長さの調整を致します。着付けは、」 「私にお任せください! 調整もこちらでやりますので、ご心配なく!」  清婉(せいえん)は綺麗に右手を上げて、生き生きとした表情で言った。その勢いに圧されたのか、店主も、 「ええっと······あなたは、宵藍(しょうらん)様の従者の方ですか? そうですね、よく知る方がされた方が、間違いないでしょう。では頼みます」  と、承諾する。  清婉は竜虎に目配せをして、頷いた。  挨拶も終わり、店の者たちもそれぞれに持ち場に戻って行く。銀朱も明日の「朱雀の嫁入りの儀」の最終的な確認のため、白笶(びゃくや)や竜虎と共に奥の客間へと足を向ける。 「では、行きましょう!」  清婉と大人しくしていた逢魔が、無明を先頭にして二階へと向かう。 (花嫁衣裳、か。そういえば神子も羨ましそうに見てたな)  遠い日の思い出を頭の中で思い浮かべて、逢魔は誰にも気付かれないように、ふっと口元を緩める。 ******  まだ逢魔が幼い頃の話だ。あれはどこの地でのことだったか。その日の市井は祝福の言葉で溢れていて、その人だかりの中心に赤い衣裳を纏った若い男女がいた。  その表情はとても幸せそうで、それが男女が夫婦になる儀式であることを初めて知った。  もちろん、皆が皆そんな豪華な儀式を挙げられるわけではなく、大きな商家の息子と娘の式だった。市井全体が彼らをお祝いしていたので、よほどの名家の者たちだったのだろう。 「素敵だね。綺麗な花嫁衣裳······皆に祝福されて、あの子たちは幸せだね、」  神子が他人事だというのに、自分の事のように嬉しそうに微笑んで言う。逢魔も黎明(れいめい)も、確かに花嫁は綺麗だとは思ったが、目の前にいる者の方がずっと綺麗だ、と心の中で呟く。  幼いながらに、逢魔は神子が笑顔ではあるがどこか悲し気に見えて、首を傾げる。 「神子も黎明とけっこん、すればいいんじゃない?」 「「え?」」  みるみる真っ赤になっていく神子と、まったく表情は変わらないが明らかに動揺している黎明が、同時に逢魔を見下ろしてくる。 「け、結婚っていうのは、一生を共にすると決めた男女がするもので! 私と黎明は、そういうのとは違って!」 「え? だって、ふたりは"こいびと"なんじゃないの?」 「ええっ! ちょっと、どこでそんな言葉覚えたのっ!? わ、私たちは······えっと、黎明?」  黎明に助けを求めようと、上目遣いで神子は訊ねる。しかし礼の如く黎明は返答に困り、無言になってしまった。 (別に隠さなくてもいいのにな、)  ふたりがどんな関係かなんて、傍で見ていればすぐにわかる。逢魔は黎明を困らせてやったことに満足し、それから花嫁に視線を向けた。  ふたりが赤い衣裳を纏い並んで歩く姿を想像したら、なんだか幸せな気持ちになった。  そんな懐かしい情景を思い出して、逢魔はまた、小さく微笑むのだった。

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