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1-29 花嫁衣裳
真っ赤な花嫁衣裳の上に、金の糸で描かれた鳳凰と美しい花の模様の赤い羽織を着せる。最後に顔を隠すための紅蓋頭を頭から掛け、清婉 は我ながら完璧にできたと満足げに頷いた。
裾も袖も特に手直しは必要なさそうで、時間が余ったのでついでに化粧を施し、髪形も簡易的にだが結い上げた。あとは髪飾りを付けるだけなのだが······。
無明 は紅蓋頭を捲って顔を出すと、首を傾げる。
「清婉、衣裳の調整だけなのに化粧までする必要あったかな?」
白粉 を薄く塗られただけでなく、目の端に赤い紅が飾られ、口紅も塗られている。
「逢魔は途中でどっかに行っちゃうし」
「明日の楽しみにしたいって言ってましたね、」
店の周りを見てくると言って、着替える前に部屋を出て行ってしまったのだ。
「ねえ、変じゃない? 髪の毛もいつもと違うから落ち着かなくて」
「よくお似合いですよ?」
先の方に癖が付いた長い黒髪は、頭の上でお団子にされ、さらに三つ編みをした髪の毛でぐるりと巻かれていた。
いつもは頭の天辺で適当に括るか、左右を三つ編みにして後ろで結び、そのまま背中に垂らすかだったので、無明は重たい頭に違和感を覚える。
「いいじゃないですか。私も花嫁衣裳の着付けや化粧などは初めてなので、明日の練習ができました。無明様も慣れておいた方が良いです」
もっともらしい言い訳をし、清婉はくすくすと笑った。
(本当は他に理由があるんですが、それはもちろん内緒です)
あの時、竜虎に話した"思い付き"を実行するためである。今、竜虎も裏で動いてくれているはずだ。
「すごく綺麗です、無明様」
赤い衣裳に無明の大きな翡翠の瞳がよく映えて、化粧のせいもあり、いつもよりもより一層美しく見えた。
「どうせなら、髪飾りも付けちゃいましょう! 私、下に降りて借りてきますね」
「え? いいよ、これ以上頭が重くなったら困るから、」
無明は引き留めようとするが、清婉はいつにも増してやる気満々のようで、そのまま扉を開けて慌ただしく出て行ってしまった。
部屋に一人残された無明は、目の前に置かれた丸い鏡に映った自分の姿を目にして、急に恥ずかしくなり、捲っていた紅蓋頭を下ろした。
******
竜虎と白笶 は、明日の段取りを福寿堂の主、銀朱 と終え、店主の部屋から出たところで、清婉 と鉢合わせる。その胸には長方形の箱が大事そうに抱えられており、竜虎を見るなり、眼で合図を送る。
「あ、あーそうだった! 清婉、明日のことでお前にも共有したい話があるんだった」
「はい、あ、でもこれからこの髪飾りを無明様の所に持っていくところだったんですが、」
「だったら、師匠! 師匠が無明に持って行ってあげてはどうですか?」
「それがいいです! ではよろしくお願いします!」
清婉は遠慮なく白笶の手を取り、その箱を押し付けた。一連のやり取りに対して、ひと言も発する間もなかった白笶を残して、ふたりは逃げるようにその場を後にする。
手の中の箱をゆっくりと見下ろし、白笶は珍しくその秀麗な顔に疑問の色を浮かべていた。しかし真面目な性格ゆえ、頼まれたからにはせざるを得ない。踵を返すと、二階へと続く階段のある方へと足を向けた。
臙脂色の仕事着を纏う白笶は、いつもよりも動きやすい軽装のため本来なら身軽なはずなのに、なんだが足取りが重かった。
(······あのふたり、なにか不自然だったな)
白笶が見てもそう思うくらいなので、ふたりの演技は大根だったのだろう。特に竜虎の棒読みのような台詞に対して、どう突っ込んだらいいかわからなかった。
そもそもそんな技術は持ち合わせてはおらず、ただ茫然とあのやり取りを見ているしかなかったのだが。
考えている内に階段を上がりきり、扉の前に立っていた。扉に手をかけ、ゆっくりと中へ入る。
その先に、赤い花嫁衣裳を纏った無明の後ろ姿が見えた。
「あ、清婉? やっぱりもう着替えていい?」
扉が開いた音がしたからか、無明は被っていた紅蓋頭を脱いで、入り口側へ身体を向けた。しかし、そこに立っていた白笶と眼が合い、時間が止まったかのように動かなくなる。
「すまない、声をかけるべきだった」
固まっている無明に対して、白笶は驚かせてしまったのだろうと思ったのか、低い声で謝罪する。
「これを清婉殿から預かったのだが」
白笶は箱を開け、その中にあった金色の花の髪飾りを手に取った。箱を近くの棚の上に置き、そのまま無明の方へと歩いて行く。触れられる距離まで近付いた時、無明が慌てて顔を下に向けた。
「あ、白笶、えっと、俺、今変だから、あんまり見ないで······欲しい、かな?」
そんな風に無明は言うが、白笶はすでにその姿をその眼に焼き付けてしまっていた。
「変ではない」
持っていた髪飾りをそっと髪の左横に挿し、そのまま頬に触れた。
「とても綺麗だ」
その言葉に無明は思わず顔を上げるが、耳まで真っ赤になっていく。白笶が小さく笑みを浮かべ、見下ろしてくる。その指先は今の無明の頬には、ちょうど良い温度だった。
「······俺、ちゃんと宵藍 に見える?」
困ったようにはにかんで、無明は瞼を伏せた。
目の端の紅が華やかで、目を奪われる。
「鳳凰の儀が終わるまで、俺、宵藍を演じてみせるね?」
宵藍。その名を聞く度に、白笶 は胸の辺りが痛むのを感じた。
「君は君のままでいい」
「······うん、ありがとう。でもね、宵藍は、俺の名でもある。母上がくれた、真名。誰にも言っては駄目だと言われたけど。白笶には、知っててもらいたくて」
藍歌 が生まれた時に自分に授けた名前。神子の名前と同じ、名。藍歌は最初から知っていて、真名を隠したのだ。光架 の民からしか生まれない、神子の存在を。
「わかった。だが私が今生で出逢い、傍にいたいと思ったのは、宵藍ではなく、無明、君だから」
言って、白笶は腰を屈める。
無明はその意味を知り、ゆっくりと瞼を閉じて見上げるように顔を傾けた。重なった唇に、熱を感じる。こんな風に触れ合ったのは、あの碧水 で想いを告げ合った雨の日以来。抱きしめられることはあっても、それ以上のことはなかった。
触れ合うだけの短い口付けだったが、無明は白笶の気持ちが嬉しかった。綺麗だ、と言ってくれたその言葉が嬉しかった。清婉が言ってくれた時とはなんだか違う。不思議な気持ち。
口付けを交わした後の無明の表情を見て、自分の行為に今更ながら躊躇う。白笶は触れていた頬から手を放し、屈めていた身体を起こした。
「すまない。こんなことをするつもりはなかったんだが······」
言って、背を向けた白笶に思わず手を伸ばす。
「白笶、俺——————」
無明はそのまま立ち上がり、白笶の背中に抱きついた。
ずっと言えなかったこと。
隠していたこと。
今なら。
「俺ね、四神との契約が終わったら、完全な神子になるんだって。不死の身体に、なるって········それって、俺じゃなくなるってこと?」
本当は、怖い。
怖くて、怖くて、どうしたらいいかわからない。
永遠に生き続けるなんて、想像もできない。
白笶は、しがみ付くように後ろから回された指にそっと触れる。震えているその指先は、強く握りしめているせいか冷たくなっていた。
「なら、私は、永遠に君と生きていく。あの日からずっと、そうやって生きてきた。君のいない日々を、いつか逢えると信じて永遠ほど。でも、もう君はここにいる。それが永遠なら、何度生まれ変わっても、君に逢いに行ける」
だから、ひとりではない。
君を捜して彷徨っていた日々は、もう、終わったのだ。
白笶は力の抜けたその指先を、両手で優しく包むように握りしめた。
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