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2-2 陽炎
まるで、この場所だけ空気が凍り付いているかのような、そんな嫌な感覚を覚え、少女は叫んだ。
「まずい、みんなここから離れて!」
それは担ぎ手の男たちへの警告ではなく、この近くで待機しているであろう、数人の協力者たちに向けてだった。
少女は男の手をなんとか振り払おうとしたが、まったく動かない。気付けば、四人の男たちの四肢がぐにゃりと拉 げ、横にいた男と、目の前の男の首が曲がってはいけない方向へぐるりと回転した。
途端、力の抜けた身体は地面に沈み、掴まれていた手首から指先が離れていく。視界が開け、その後ろに立つ者と眼が合った。
「あら、その花嫁衣裳も良く似合っているわ。思った通り、あなたはただの市井 の娘ではなかったということね」
「····そういうあなたも、ね」
目の前に立つ薄紫色の上質な上衣下裳を纏った、妖艶な姿の美しい女性。それは、あの紅宮 の主、姚泉 だった。少女、もとい、無明 は厳しい目つきで姚泉を見上げた。彼らは確かに愚かだったが、殺す必要はなかったはずだ。
「あなたのその完璧なひとの皮に、今の今まで気付けなかった。俺のせいで、彼らを死なせてしまったんだね」
「でも気付いたでしょう? だからこのお馬鹿さんたちに"ここから離れて"なんて、言えたわけだし。気に病むようなことではないわ。ふふ。私の演技に気付けた人間はあなたが初めてよ。褒めてあげる」
どうやら、彼女は都合好く解釈してくれたようで、待機している者たちには触れなかった。
黒幕が誰であるか。
それは予想していた。
しかし、それがまさか特級の妖鬼だったとは、予想外だった。あの時一緒に対峙した、逢魔 でさえ気付けなかったのだから、本当に上手くひとのふりをしていたということだ。
妖気など微塵も感じなかった。
男たちを葬るために力を使ったその一瞬だけ感じ、また消えている。
「あなたの目的は、鳳凰の儀で蓉緋 様を宗主の座から降ろすこと? それとも、二年前の謀反の時のように、一族同士で血を流し合わせること?」
「どちらも正解ね。私は、人間同士が醜く争う姿を見るのが大好きなの。だから、あなたはそのための人質というわけ。あの幼子でも良かったけど、あの子、どうやら私と同族みたいだし。そんな子を連れているあなたに、ますます興味が湧いたわ」
目の前の少女を使って弱みを握り、より緋 の一族をかき乱すのが目的だったが、今となってはそれ以上の収穫といえよう。
「あなたの大事な従者を、そこの馬鹿どもと同じ末路にされたくなかったら、大人しく私と一緒に来なさい。もちろん、悪いようにはしないわ」
清婉 のことを言っているのだろう。彼は、この作戦には関わっておらず、福寿堂で待機していた。つまり、いつでも簡単に命を奪えるとわかった上で彼女は脅しているのだ。
羽織で隠されている腰帯に差した宝具である横笛、天響に伸ばそうとしていた手を降ろす。ここで争うのは時宜ではない。どちらにしても、無明の目的は紅宮へ入り込むことだったからだ。
担ぎ手たちが彼女の指示通りに事を進めていれば、こちらの予想通りそうなる予定だったのだ。花轎に乗った朱雀の神子候補たちが姿を晦ました事件の黒幕である、彼女の本当の思惑がなんであるかを知るためにも。
「聞き分けの良い子は好きよ。やはり、あなたは私が見込んだ通りの娘ね」
無防備になった無明を目を細めて見つめ、その右手を差し出した。その手に自分の右手を乗せ、無明は姚泉に連れられて行く。
ふたりの姿は、ゆらりと陽炎のように揺らぎ、その場から消え失せた。
後方で控えていた数人は、ふたりの姿が完全に見えなくなってから、花轎の周りに集まってきた。そこに転がっている四体の死体の状態があまりにも恐ろしく、吐き出した者もいた。これは大変なことになったぞ、と誰かが呟く。
「まずは報告だ。お前は紅宮で待機している銀朱 様にこの事を伝えてくれ。残った者は騒ぎになる前に死体を片付けるぞ」
その指示に、残った者たちは内心「こんな気色の悪い死体に触れるなんて、絶対に嫌だ」と思っていたことだろう。
「朱雀の神子様は大丈夫だろうか? どう見ても、連れて行ったあの女はひとではないだろう?そもそも朱雀宮の中に妖者がいたなんて、今まで緋の一族共はなにをしていたんだ!?」
女ということは紅宮に住まう宮女か、かつての宗主の妻や娘という事も在り得るだろう。
自分たちにできることは限られている。ここに集まっているのは、緋の一族でもなければ、戦いに長けた者たちでもない。だが、自分たちの理想を叶えてくれるだろうかつての主、蓉緋のためにできることは協力したいと思っている。
今の主である銀朱に対しても、同じ想いだった。
「よし、俺たちは予定通り、このまま他の奴らを監視するぞ。さっき聞いただろう? 奴らは豊緋 の指示で動いていた。あのクズ野郎の所業を隅から隅まで暴くぞ!」
臙脂色の衣を纏った者たちが各々大きく頷いた。
自分たちは責任重大な役目を担っている。
この先の未来のために、必ずやり遂げる。
それがいつか、未だ見ぬ誰かのためになるだろうと信じて。
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