33 / 64

2-3 どこにいるの?

 無明(むみょう)の気配が完全に消えた。  幼子の姿のまま、逢魔(おうま)は朱雀宮に立ち並ぶ宮殿の赤茶色い瓦の屋根の上を飛び移りながら、眉を顰めた。後悔、している。 (あんな約束、しなければ良かった)  俺に何があっても手を出さない事! と無明に言われていたため、あの女がその正体を現した時もなにもできなかったのだ。  花轎の後方を距離を置いて尾行していた者たちが、あの光景を目の当たりにして冷静でいられるかどうか。早まった判断をしなければいいのだが、と逢魔は少なからず不安を覚える。余計なことをして、無明を危機に晒すことだけは避けたい。  あの福寿堂の店主が指揮を執っているわけだが、彼がどんな人間かなど知る由もない。印象だけなら、頭の良い方の人間だとは思うが。同じく白笶(びゃくや)紅宮(こうきゅう)の周りに控えているだろうから、いざとなればなんとかするだろう。  無明が何人かに配った符。追跡符と名付けたその符は、元となる符と数枚の符を同じ術式で紐付けし、連動する仕組みらしい。逢魔はそんなものがなくとも、無明の匂いで追えたので必要としなかったのだが、今になってそれを後悔する。  白笶たちが慌てていないのは、そのおかげだろう。でなければ、その追跡符が途絶えた瞬間、作戦など無視して強行突破するはずだ。つまりは、猶予はあるということ。  にしても、長い間、誰ひとりとして気付けなかったここの一族たちもそうだが、対峙した自分や無明でさえも欺かれていた事実に、逢魔は唇を噛み締める。実際、その特級の妖鬼の存在は噂だけで、その姿を見たことはなかった。  なぜなら彼女はその姿を、つまり人間の皮をその都度変える、特殊な妖鬼。 (あれは特級の妖鬼のひとり。実体を持たず、その瞬間まで生きていた新鮮な皮を奪って、ひとの世に紛れている、妖鬼)  通り名を夢月(むげつ)。ひとの世を乱すのが趣味で、火種を蒔いては争い事を起こす面倒な女の妖鬼。特級の妖鬼の中でも悪趣味な女で、自分は手を汚さずにひとをその口八丁で惑わし、そのどちらをも破滅に追いやる。  彼女が特級たる所以(ゆえん)。  それは、術士だけでなく同胞にさえ妖鬼であることを疑わせない、完璧な皮を得られること。あれだけの強い妖気を持っていながら、少しもその気配を感じさせることのない制御能力。  だが本当の厄介なのは、どんな物も歪ませてしまう特殊な力の方である。  なので、ひとに紛れて遊んでいる方が随分とマシなのだ。気まぐれな彼女は、遊びが終わればさっさと次の場所へと棲み処を変えるのだが、どうやらこの光焔(こうえん)の地に、皮を変えてはずっと居座り続けていたようだ。 (無明が神子だとバレたとして、彼女がどう動くか、予想もできない)  今となっては、時間の問題だろうが。  後は無明が彼女とどう交渉するか、がこの事態を治める要となるだろう。 (無明、どこにいるの?)  紅宮のどこかに無明はいる。それだけは確かだった。烏哭(うこく)との繋がりは皆無とは言えないが、気まぐれな彼女が烏合の衆に加担することはないだろう。どちらかといえば、自分自身で画策して楽しむ方が性に合っているはず。  初めてその姿を目にした時、無明のことを知らなかったのが、その証拠だ。逢魔は姿を伏在(ふくざい)させるように、その場から消す。これで普通の人間や能力の低い者には見えない。そのまま紅宮の庭に降り立つと、急ぎ足で辺りを探索し始める。  妖気のひと欠片も感じられない。これほどまで隠すのが上手いとはと、もはや感心さえする。そんな中、宮女たちの声が聞こえてきた。よく見えれば、自分たちをここに導いたあの三人の宮女だった。 「いい? この事は他言無用。誰が来ようと知らぬ存ぜぬを通すのよ。姚泉(ようせん)様の命は、ここでは絶対なのだから」 「もし宗主が直々に乗り込んできたら?」 「好きに見てもらえばいい。あのお方以外、正確な場所はわからないのだから」  話の内容から、隠し部屋のようなものがあって、それは姚泉以外は誰も知らないという事だろう。  面倒なことをする、と逢魔は三人の宮女たちを横切り、だったらすべての部屋を片っ端から調べればいい、と奥へとひとり、進んで行くのだった。

ともだちにシェアしよう!