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2-4 嘘偽りのない言葉で

 無明(むみょう)は椅子に座らされ、目の前には今淹れたばかりの茶が置かれた。その部屋は真四角で、窓はなく、地下に造られた隠し部屋のようだった。造りは他の部屋とまったく変わらない様式で、窓がない分息苦しさを感じる。 「別に取って喰ったりはしないから、安心して(くつろ)いで頂戴」  姚泉(ようせん)はくすりと笑みを浮かべて無明の正面に座ると、こちらをじっと眺めながら、赤い布が掛けられた丸い机の上に頬杖を付いた。その雰囲気は、先程見せた狂気じみたものとは打って変わって、どちらかと言えば友好的であった。 「で? あなたは何者? ただの術士じゃないでしょう? 私を前にしてあの度胸、頭の回転の速さ、それに、その瞳の色」  翡翠色の瞳。どの一族にも属さない光架の民の証であるその色を、姚泉は知らない。なぜなら、妖鬼となってからまだ二百年ほどの若い妖鬼のため、その存在すら噂程度の知識なのだ。    長くひとの世に紛れていたため、他の妖者との交流もほとんどなく、いつしか特級の妖鬼と等級を付けられていたことに関しても、興味がなかった。  興味があるのは、ひとを好きなように操り、それによってどんな争いが生まれるかだけだった。二年前の事もそうだが、そのずっと前からこの紅宮(こうきゅう)で男たちを操り、一族同士を争わせてきたのは彼女である。  無明はその大きな瞳で、じっと姚泉を見つめ返す。本当にまったく妖気が感じられない。それくらい、能力が高いという事だろう。担ぎ手たちも、一応は()の一族の術士たちだったはず。それが指の一本も動かせないまま、殺されてしまったのだ。  この場に嘘は必要ないだろう。 「俺の本当の名前は、無明っていうんだ」 「あら? あらあら? もしかして男の子だったの?」  そうだよ、とにっこりと微笑んで、無防備な姿を晒す。本来の目的。それは変わらない。黒幕だろう紅宮の主と、交渉すること。 「俺は金虎(きんこ)の第四公子で、最近自分が神子だってことを知ったんだ。この地には朱雀と契約するために訪れた。それで蓉緋(ゆうひ)様に色々とお願いされて、"朱雀の神子"にもなったんだけど、」 「ちょっと待って。どういうこと?神子? 神子って、もう何百年も現れていないっていう、あの神子のことを言ってるの?」  そもそも、それを妖鬼である自分にバラしてもいいのかと、姚泉は目を丸くする。妖者の間では、神子の血を飲めば永遠の命が手に入るだとか、肉を喰らえば強大な力が手に入るとか、本当か嘘かわからない妄信が未だに存在している。 「証拠は? あなたが神子であるという確たる証拠」  ただの子供の嘘とは思えないなにかを、目の前の者は持っている気がする。そういう勘は、姚泉は外れたことがなかった。 「うーん。じゃあ四神のひとりをここに呼んでみる? 神子にだけ従う彼らなら、俺が神子であることを証明できるけど」 「それが本当なら、私の身が危うくなっちゃうじゃないの。あなたが私を殺せって言ったら、従うんでしょう?」  四神になど敵うわけがない。蟻と妖獣くらいの差、いや、それ以上。計り知れないくらいの差があるだろう。嘘でも本当でも、その賭けに乗るのは分が悪すぎる。 「そんなことしないよ。俺、あなたのことは話し合えばわかってくれる子だと思ってるし、逆にこちらの提案を受けてくれると信じてるから」  仮にも特級の妖鬼である自分を、まるで子ども扱いするように、無明はにこやかにやんわりとそんなことを言った。 「でもね、あのひとたちを殺してしまったこと、俺はすごく悲しかったよ」  たぶん、悪いひとたちだったのだろうけれど。  ある意味、彼女に助けられたと言えなくもないけれど。  殺す必要など、なかった。  それが、ひとと妖者との感覚の違いなのかもしれない。しかし裏を返せば、自分たちもまた、妖者たちを「人間を害する者」として倒している。守るために、生きるために、仕方がないことだと。殺さなければ、こちらが殺されてしまうから。 「矛盾してるかもしれないけれど····。俺は、ひとも妖者も、誰も戦わなくても済むセカイになればいいと、思ってる」  今は無理でも、いつか。  そんな優しいセカイになったなら、良いと思う。 「あなた、面白いわね」  姚泉は頬杖を付いたまま、先程までとはまた違った笑みを浮かべた。  それは彼女の纏う独特な妖艶さを掻き消すような、どこまでも無邪気で純粋な、少女のような笑顔だった。

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