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3-14 泡沫の夢

 無明は『記憶の核』の中から、両の手のひらに収まるくらいの大きさの、白く光る三つの『記録の|(ぎょく)』を取り出し、胸元で祈るように握りしめゆっくりと瞳を閉じた。  知りたかったこと。  それは、宵藍(しょうらん)黎明(れいめい)のはじまり。そして傍でふたりを視ていた、逢魔(おうま)の記憶。神子と華守。白笶(びゃくや)を縛っている禁呪について。  永遠の輪廻。  本人の意思とは関係なく、記憶と魂が永遠に輪廻を繰り返す。自害することで終わらせることは可能だが、その魂は代償としてその後永遠に輪廻することが叶わなくなる。つまり、無となる。  神子として生きていくと決めた。  でも、白笶には自由に生きて欲しいとも思う。これから先、自分への気持ちが変わってしまった時に、彼が好きな場所に行けるように。  けれども無明は知らない。  なぜそんな禁呪を受け入れたのか。  だから知らないといけない。  この物語のはじまりを。 ******  ―――――五百数十年前。  ()の国。穢れに覆われたこの国は、光架(こうか)の民からのみ生まれるとされる、古の神子の魂を宿した子どもの誕生を心待ちにしていた。  この頃から、穢れで満ちている晦冥(かいめい)の地を拠点とする、邪悪な術を操る烏哭(うこく)の一族が各地で起こす怪異によって、大勢の術士たちが命を落としていた。  前の神子が世を去ってから十数年の間小競り合いが続き、そんな中、各一族たちに朗報が入る。 「光架の民から神子が生まれたぞ!」  それは瞬く間に各地に伝えられ、国中に噂が広がった。同時に、神子の護衛になる華守(はなもり)候補について話し合いが開かれる。十五年かけて選出される華守は、自分の一族の中から選ばれれば大いに名誉なことであったが、同時にその後の一族の戦力を割くことにもなるため、気が気ではなかった。  しかし神子の力なくして穢れの完全な浄化は不可能なため、各一族は神子を少しでも永く生かすために、一番の実力者を選ぶ必要があったのだ。 ******  ――――十五年後。  ある山を住処とする、少数しか存在しないと言われる光架の民たちは、赤い紐が所々に飾られた白を基調とした神子装束を纏った少年を前にして、跪き深く頭を下げていた。 「宵藍様、どうか、お気を付けて」  民の長が代表して声をかける。神子として生まれた者には、必ず身体のどこかにそれを示す紋様があった。その紋様は五枚の花弁をもつ花のようにも見える痣。少年が生まれた時に背負ったその紋様は、鮮やかで残酷な刻印のようなもの。  神子として一生を捧げなければならない終わらない宿命が、再び始まるのだから。  生まれてから十五年の間、新しい身体に霊力を馴染ませながら、準備をしていく。魂という名の記憶は永遠に紡がれたまま、また初めからやり直すような感覚。 「みんなも今までありがとう。今生の役目は必ず果たすよ」  これから何年、何十年という年月。命が尽きるまでこの地を巡り穢れを浄化し続ける。重苦しい挨拶も終え最小限の荷物を背負い、そのまま振り返ることなくその地を後にした。  麓の地で待つ華守に会うまでは、ひとり山道を歩いて行く。見慣れた景色だが毎回少しずつ変わっている。木々の背は前より伸びている気がするし、見たことがない花が咲いていたりするのだ。  長い髪の毛は背中に垂らしたままで、その左右のひと房ずつを纏めて後ろで軽く結われており、髪の毛が揺れると一緒に結っている赤い紐が遅れて揺れた。優しい印象を与える翡翠のその瞳は大きく、少しも焼けていない色白な肌は透き通って見える。少女なのか少年なのか区別が付かない中性的な顔は、幼さが残るが美しい。  宵藍(しょうらん)。神子の印を持って生まれた赤子は同じ名を付けられる。この身体は霊力が高く、神子の魂が馴染むのも早かった。  最初の神子の身体に近い逸材のようだ。身体は選べないので、寿命もそれぞれ違う。今までで一番短かったのは二十年。長かったのは七十年だったか。高い霊力と神子の魂の影響か、その姿は歳を重ねても十五歳の頃のまま変わることはなかった。  軽い足取りで山を下って行く。季節は春。青い草の香りがふっと横切る。ばさりと羽ばたいた黄色と黒の羽をもつ小鳥がふいと肩にとまった。 「君も一緒に来る?」  肩から指に小鳥を移動させて、ふふっと困ったような笑みを浮かべる。しばらくすると小鳥は気まぐれに去って行き、離れていく小さな影を見送った。  木々の葉から零れる光が眩しい。  草が生い茂る道を抜けて開けた場所に出ると、こちらを待っていただろう青年が遠くで一礼してきた。遠目でも背が高いと感じたが、近づいてみるとその差がはっきりとわかった。  目の前に立つと、青年はその場に跪き腕で囲いを作り丁寧に頭を下げて(ゆう)する。眉目秀麗な青年は、五大一族のひとつである姮娥(こうが)の一族が纏う濃い藍色の衣を纏っていた。背中に流れる細い薄茶色の髪の毛を青い紐で括り、後ろで軽く結っている。切れ長の眼は青みのある灰色だった。 「姮娥の黎明(れいめい)と申します。恐れながら、神子殿に拝礼致します」 「うん、私のことは宵藍と呼び捨てでかまわないよ。私も黎明と呼ばせてもらう。これから長い付き合いになるんだし、お互い堅苦しいのはなしにしよう。さあ、立って?」  囲っている腕に細い指を置いて、その顔を覗き込む。下げていた頭を上げて、黎明は重なった視線に動じることなく、すっと立ち上がった。背の高いその青年は、寡黙で真面目そうな性格というのが第一印象だった。  隣に並ぶと、宵藍の背は黎明の肩くらいまでしかない。歳は十八くらいだろうか。第一印象通り、口数は少なく、返事もひと言ふた言。今までで一番無口かもしれないと宵藍は小さく笑った。 「私は自分の身は自分で守るから、君が守るのは一に民、二に自分自身。余裕があったら私、という順番でかまわないよ」 「一に神子、それ以降はありません」  足を止めてきっぱりと無表情で答える。声音は低く、淡々としていた。 「華守は神子のための剣であり盾であると、幼い頃から教わっています」 「そうなんだ。じゃあ私の剣となって自身を守り、盾となって民を守って」  何のためらいもなく返した宵藍に、黎明は言葉が出てこなかった。幼い頃から華守候補のひとりに選ばれていて、自分は神子を守るために生きて行くのだと教え込まれてきた。様々な厳しく辛い試練を受けてそれが現実となった時、感情が希薄な自分が喜びさえ感じた。  それなのに。目の前の神子は、自分のことは守らなくても良いなどと言う。意味が解らず、黎明はしばし考える。 「じゃあ、これならどう? 神子の命令は絶対! って教えられなかった?」  確かに。なによりも神子の意思を尊重し、それに応えるべしとも教えられた。そうなると生じる矛盾に、心の中で葛藤が生まれた。 「····善処、します」 「よろしい。じゃあ改めてよろしくね、黎明」 「······よろしくお願いします」  華守としての役目や、神子への接し方、教え込まれたものはすでに役に立たなくなっている。臨機応変という言葉が一番苦手だった。  けれどもどこまでも優しい笑みと、穏やかな声に、心を奪われる。 「あと、敬語もやめて欲しいかな。君には従者としてではなく、友として傍にいて欲しいから」  気が遠くなるほど長い年月を共にするのだ。どうせなら、楽しく過ごしたい。 「友、とは····?」 「え? 故郷に友達、いるでしょう?」 「いません」 「え? ひとりも?」 「いません」  なんだか急におかしくなって、宵藍は思わず笑いだす。黎明は訳が分からず首を傾げる。表情は相変わらず変わらなかったが、なぜ笑っているのかと不思議そうだった。 「はあ、····ごめんごめん、あまりにも真面目に答えるから、なんだかおかしくなっちゃって。別に馬鹿にしているわけじゃないから安心して?」  ひとしきり笑った後、じゃあこうしようと両手をぱんと叩く。 「じゃあ今、この瞬間から、君は私の友になること! 友とは、一緒にご飯を食べ、話をし、笑い、遊ぶ。困った時は助け合い、手を差し伸べ合う」 「友······?」  くるっと回って黎明の目の前に立つと、右手をすっと差し出す。 「実は、私も友と呼べる者は今のところいない。お互い、初めての友だねっ」  ふっと口元を緩めて笑みを浮かべ、ほら手を取って? と言って見上げてくる。その手を恐る恐る取ってみれば、そこには確かに感触があった。  今まで神格化して伝えられてきた神子の印象が、黎明の中で確かなものになった瞬間だった。 「······はい、」  黎明は静かに答える。そこにはほんの少しだけだが笑みが浮かんで見えた。宵藍は満足そうに頷いたが、掴んだ手を解放する気はなかった。  これが、出会い。  その後戸惑いながらも、お互いにはじめての友というものを探りながら、ふたりだけの時間を過ごしていく。  気付けば数年の時が過ぎていた—————。

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