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3-15 ふたりの距離

 竹林に囲まれた玉兎(ぎょくと)の都から少し離れた、とある小さな村。怪異が次々と起こり、村人たちが毎夜のように命を失っているという話を耳にし、神子たちは他の依頼で手が回らないという術士たちの代わりに訪れることにした。  丁度大きな怪異を鎮めた後だったが、そこから近いこともあり、ついでに寄って行くことにしたのだった。今はどこの術士も各地で起こる怪異で忙しいのだ。  冬。雪がちらつく中、村の入り口と思われる粗末な造りの扉のない門をくぐり中に入れば、十数軒の家がぽつぽつと間隔をあけて立ち並んでいた。唯一の宿もだいぶ年季が入っており、とりあえず休息のために身を寄せることにした。  笠を脱ぎ、積もった雪を外で掃い、ふたりは並んで中へと入る。 「店主、部屋をひとつ用意できるか?」  黎明(れいめい)は遅れて出てきた年老いた店主に訊ねる。店主は彼の纏う衣を見て、深く礼をした。 「これは、姮娥(こうが)の若公子様。もしや、この村の怪異を鎮めに来てくださったのですか?」 「そのつもりだ。話も後ほど詳しく聞きたいが、その前に連れを休ませたい」 「お連れ様の顔色が優れないようですね? 私が調合したものでよければ、薬もお持ちしますが、」  助かる、と黎明は頷き、店主が先頭になる形で誘導しながら、ゆっくりとした足取りで階段を上がって行く。 「ごめん、手を貸してくれる?」 「かまわない」  手を貸してと言われたが、黎明は宵藍(しょうらん)を抱き上げてそのまま階段を上る。年老いた店主は特に気にすることもなく、ふたりの様子をちらりと見てすぐに先へ進んだ。 「····無理をしすぎだ」 「ごめんね、」  この数年で、ふたりの距離はずっと親密になった。お互いの知らないところがないとも言っていいほどに。同時に、神子として宵藍が請け負う怪異も前以上に増えていた。多いとそれぞれ違う場所で起こっている怪異を、一日に三件もこなすこともあった。普通は一件でも大変だというのに、だ。 「あとで食事もお運びします。ゆっくり身体を休めてください」  腰を曲げてお辞儀をし、店主はそのまま部屋を出て行った。宵藍を抱き上げたまま寝台まで運んで座らせると、上に羽織っていた雪で濡れた衣を脱がせて、自分の衣と一緒に仕切りとして置いてあった衝立に掛ける。  部屋はしっかりと掃除が行き届いていて、置かれている物も年季が入ってはいるが、逆に風情があった。少ない荷物を部屋の隅に置き、火鉢の炭に火を入れると、ひんやりとしていた部屋に少しずつだが暖かさが生まれる。 「この村の怪異は自然なものか、それとも烏哭(うこく)が起こす人為的なものか。詳しく聞いてみないとね」 「怪異に遭った者は、皆どこかの部位が引きちぎられていたと聞いた。妖者か妖鬼だろうと思うが。一度に襲う数が少ないのが気になる」  寝台の端に置いてあった厚めの布を頭から全体を包み込むようにそっと掛け、宵藍の右横に座った。 「この怪異を鎮めたら、姮娥の邸でしばらく休んだ方がいい」  そっと頬に触れて、黎明は青みのある灰色の眼を細めた。冷たい。顔色もこの数日ずっと悪い。    布を頭から覆わせたのは、上から下まで凍えていたからだった。この辺りは冬になると雪が降り積もる。今はまだ降り始めのため道が少し白くなる程度で済んでいるが、これからひと月もせず一面雪景色になるだろう。  元々この地の出なので、寒さには慣れている。だがこの季節にここを訪れたのは、華守になってから実は初めてだった。  宵藍はこの寒さがあまり得意ではない。厚手の布だけでは足りないのか、暖を取るために黎明にぴったりとくっついて、それでも足りないのか、訴えるように見上げてくる。  高く見上げたせいで頭にかかっていた布がはらりと肩に落ちた。そのままじっと見つめてくる大きな翡翠の瞳に耐えられず、肩に落ちた布を引き寄せ無言で元に戻す。 「······すぐに店主がくる」  ぽんぽんと布越しに頭を撫でて、警告する。表情はいつものようにほとんど変わっていないが、内心はかなり動揺していた。それを悟られないように、右手で口元を覆った。 「あの店主はそんなに早くは来ない。気の利くひとだと思うよ」  言いながら、宵藍は細い腕を黎明の腰に回して抱きついてきた。久々に屋根のある寝床。ここ数日はずっと野宿だったため、お互いによく眠れていないのも事実。 「だめ?」  腹の辺りに顔を埋めて、甘えたような声で言ってくる。しかし体調が悪いことを知っているため、ここで折れるわけにはいかなかった。 「····駄目だ。ほら、横になって身体を休めて?」  黎明は腰に抱きついてきた宵藍の腕を解くと、そのまま押し倒すように寝台に仰向けに寝かせた。はらりと、黎明の右肩から結ばれている薄茶色の長い髪のひと房が零れ、寝床に沈められた宵藍の耳元をくすぐる。 「ふふ。私、黎明の手、好き。おっきくてあたたかくて、すごく安心する」  両の手首は掴まれたまま顔の横に置かれ、起き上がることはできない。見下ろされ組み敷かれたまま視線が交わる。あの言葉とは裏腹に、黎明の指先に力が入った。 「でも、この部屋はさむくて、とてもじゃないけど眠れそうにないんだ。ね? ちょっとだけでもいいから、だめ····かな?」 「·······宵藍、」 「口づけだけでもいいから、ね?」  言って、宵藍はゆっくり瞳を閉じる。神子の命令だからと仕方なくなのか、それとも理性と戦っているのか。少しずつ近づいてくる息遣いはいつもと変わらず冷静なのに、唇が重なった瞬間に背筋がぞくりと震えた。  優しい口づけだったはずのそれは、次第に深く荒くなっていく。  貪られる度に色の薄かった唇が赤く染まって。上手く息継ぎができないせいで、時折艶めいた声が漏れた。しばらくして自分がしたことに今更気付いたのか、黎明は唇が触れるか触れないかという位置で、見下ろした体勢まま表情が固まっていた。 「これで、ゆっくり眠れそう······」  宵藍は濡れたままの唇で小さく笑って、潤んだ瞳を細める。それがやけに妖艶に見え、黎明は思わず組み敷いていた身体から離れると、誤魔化すように宵藍の足元にある布団を広げてそっと身体に掛けてあげた。 (自制しろ、馬鹿·····っ)  人の気も知らずにすやすやと寝息を立て始める宵藍を背にして、右手で自分の顔を覆った。神子との関係はとっくに主従の関係を越えている。宵藍に出会うまで、こんな風に誰かを心から想ったことなどなかった。  最初は、華守として神子を守らなければという使命から。それから数年、友として一緒に過ごす内に、神子の弱さを知り、使命など関係なく守ってあげたいと思うようになった。  望みを叶えてあげたい。笑顔を見たい。あの顔を、もっと見たい。  ずっとこのひとの傍にいたい。  上手く言葉を紡げない自分を責めることもなく、いつも神子は楽しそうに話をしてくれる。そんな姿が、愛しいと想った。 (薬と食事を貰いに行こう。起きたら食べさせて、それから怪異を調べて、)  邪な考えを断ち切るように、自分のやるべきことを淡々と頭の中で何度も繰り返して並べていく。  黎明は無言で部屋を出た。

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