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3-16 視線の正体

 下の階に降りて宿の調理場に向かおうとした時。何かの気配を感じて、黎明(れいめい)は後ろを振り向く。食事処も兼ねているのか、数個の机と椅子があるだけでひとはいなかった。 「どうかされましたか?」  ちょうど店主が調理場から顔を出したので、黎明は一応訊ねる。 「俺たち以外に客はいるか?」 「いいえ。ここも少し前まではある程度の客が来ていたんですがね。怪異が起こるようになってからは客足が遠のいてしまって····困ったもんですよ。ああでも食事はちゃんとしたものを出しますから、安心してください」  温泉も傷を癒すと有名なんですよ、と店主は付け加える。話を聞くとこの宿は温泉宿で、春夏秋冬その温泉と料理を目当てに客が来ていたそうだ。今はがらんとしていて見る影もないが。  それからこの村で起こっている怪異について、詳しく話を聞いていた。ちょうど聞き終えた頃に料理が出来上がったようで、作っていた青年が膳を並べてくれた。片方の膳の上に用意してくれていた薬と白湯を置いて、店主が口を開く。 「薬は疲れが取れるような漢方を煎じておいたので、食事の前にでも呑ませてあげてください」 「感謝する。食事は俺が運ぶので、気を遣わなくていい」 「そうですか。ではお言葉に甘えさせていただきます。お膳はここに置いておいてもらえれば結構ですので」  わかった、と黎明は頷き、両手に膳をのせてそのまま二階の部屋に戻った。あの気配はなんだったのか。禍々しいものではなかったが少し気になった。  お膳を置き、神子が眠る寝台の横に座る。しばらく寝顔を見守っていたが、外が薄暗くなってきたのでそろそろ起こさなくてはならない。  色のない白い頬に触れて、それからまだ腫れのひかない自分が色づけた唇に触れた。だいぶ時間が経っているのについ先ほどまで口づけをしていたかのように、その部分は薄い色を浮かべていた。  ゆっくりと開かれた虚ろな瞳が、自分に触れている指先に気付いて細められる。 「········あれだけじゃ、足りなかった?」  そいう冗談は返しづらい。照れ隠しなのか、時々こういう風に煽ってくる。黎明は触れていた指を離して、誤魔化すように話題を変える。 「食事をもらってきた。店主が薬を煎じてくれたから、先に吞むといい」 「うん、そうする」  頷いたのを確認して、背中に手を添えて身体を起こすのを手伝う。膳の上から薬を取り、白湯も一緒に持っていく。手渡して吞むように促すと、大人しく口に入れ、白湯で流し込んだ。 「すごく効きそう····だね、」  苦そうに眉を寄せて、呟く。 「食事も食べた方がいい。数日、まともな物を口にしていなかったから、」  ある程度は食べずともなんとかなるが、これから夜通しになるかもしれない調査のことを考えると、食べておいた方がいいに決まっている。  食べながら先ほど店主に聞いた怪異の話を共有する。食事を終わらせ、膳を下げに黎明は一階の指定された場所に置いた。  部屋に再び戻ると宵藍はすでに身支度を整えていた。後は乱れている髪の毛を綺麗に結び直すだけのようだ。  黎明はくるりと自分に背を向けた神子の髪に触れ赤い紐を受け取ると、器用な手付きでいつもの髪型を完成させる。 「じゃあ、行こうか」  任務の顔になって、神子は黎明に屏風にかかっていた藍色の衣を渡す。 「くれぐれも無理はしないで、」  黎明の心配をよそに、ふふっと笑って返してくる。軽い足取りで宿を後にし、灯の少ない道に立つ。幸運なことにすでに雪は止んでいた。肌寒さは変わらないが、視界がはっきりしているのはありがたい。  ふたり並んで、月明かりも朧げな村の中を歩いて行く。しん、としている静寂の中、それ(・・)は音もなく迫っていた。 ******  まだ寝る時間には早いが、村の灯りはほとんど消えていて、月明かりだけがぼんやりと辺りを照らすのみ。怪異が起き始めたのは四日前からだという。  一日一人、まるで生贄かなにかのように殺されているという。しかも身体の一部を引き千切られて殺されていることから、到底人間の仕業ではないと解る。妖者の中でも人を喰らう殭屍(きょうし)妖鬼(ようき)などは、喰い散らかすことがある。解せないのは、一部だけ持っていかれているところ。  今まで見てきた死体は身体にたくさんの噛み痕があったり、欠損している部分があり、人の形を保っているものは稀だった。  だが今回この村で殺されている死体はその一部の欠損だけで、他はほとんど目立った傷はないのだという。  ただ、死体の顔はどれも驚愕した表情のまま固まっており、よっぽど死ぬ間際に怖い思いをしたのだろうと店主は言っていた。 「なぜ一部を持っていく必要があるのか····しかもそれぞれ違う部分を」  最初は右腕、次は左腕、その次に右脚、最後に左脚。この怪異はどうも奇妙なところがある。しかも人の身体を引き千切るほどの腕力だ。 「まるで呪詛の前の下準備みたいだね。死体を実際に見てみない事には確かではないけれど、」  辺鄙な地にある村だからこそ、烏哭(うこく)の連中に目を付けられてもおかしくはない。奴らは妖者や妖鬼を操り、人を襲わせる。  本能のまま行動する野良の妖者たちとは違い、命令に忠実な妖者ならば、一部だけ奪うことも可能だろう。 「呪詛や禁呪にはあまり詳しくないけど、この村にはなにかあるのかも」  村の端から端までの暗い道はほぼ一本道で、一軒一軒立ち並ぶ民家の間隔も広い。宵藍と黎明はひと通り村の中を見て回ったが、特に変わったところはなく、宿の前に戻って来た。  宵藍が軽く衣の袖を引く。こく、と黎明は言葉を返すように頷く。たぶん、同じことに気付いたのだろう。  合図もなく同時に振り向くと、それ(・・)は驚いた顔で一瞬立ち尽くし、慌てて姿を隠そうとしたが遅かった。背を向けた矢先、黎明に衣の襟首を掴まれて、片手で持ち上げられてしまう。 「こんな時間にここでなにをしている」  黎明の表情が怖かったのか、低い声音に驚いたのか。それとも掴まれ地面に足が付いていないことに不安を覚えたのか。その子は全身から力が抜けたように動かなくなった。  村中を歩き回っていた時から、ずっと後ろをつけて来ていた者の正体。どうやらそれは、この:幼子(おさなごだったようだ。 「そんな怖い顔で迫ったら、何も答えられないよ? ねぇ?」  屈んで幼子の顔を覗き込み、首を傾げる。 「君の、その眼····」  はっと幼子は思い出したかのように、じたばたと短い手足を動かし抵抗する。宿の屋根に下がっている小さな灯が、唯一の灯りだった。  歳は四、五歳くらいだろうか。手足が細く、髪もぼさぼさで、着ている衣も薄汚れていた。よく見れば履物も履いておらず、足も傷付いている。 「綺麗だね、お月様みたい」  こちらに顔を近づけて、汚れている顔に躊躇いなく触れてきた宵藍に、幼子はじたばたしていた手足を止める。  長い前髪で隠されていた敵意のあるその眼は、金色をしていた。まるで月のような、瞳。  直前まで野生の狼みたいに目の前の敵を睨んでいた幼子は、突然涙を浮かべた。 「だめだよ、黎明。小さい子を泣かせるなんて」 「いや、俺はなにもしていないが····」  どちらかと言えば、宵藍のせいだろう。 「とりあえず下ろしてあげて?」  ふふっと小さく笑って、宵藍は楽しげに見上げてくる。やれやれと肩を竦めて、黎明《れいめい》は仕方なく短い足が地面に着いたのを確認してから、衣の襟首を放してやる。  途端に幼子は素早く宵藍の後ろに隠れて、自分を捕まえた黎明を見上げて睨み、べーっと赤い舌を出してきた。 (こいつ······、)  表情には全く出ていないが、内心は憎たらしいその態度に苛立ちを覚えた。 「君は、この村の子?」  後ろに隠れたままの少年の頭はちょうど宵藍の腰の辺りで、遠慮がちに両手で衣を掴んでいる。ごわごわしている汚れた黒髪を躊躇いもなく撫でてあげると、少年は犬か猫のように気持ちよさそうに少し上を向き眼を細めた。 「こんな時間に外に出てはダメだよ? 君のお家はどこかな?」  ふるふると幼子は首を振る。身なりから予想はしていたが、やはりこの幼子は身寄りがないようだ。この村の誰かの子なのか、それともどこかから流れてきたか。  外で騒いでいたからか、宿屋の店主がどうされましたか? と顔を覗かせる。しかし宵藍の後ろに隠れている幼子を視界に入れた途端、あからさまに驚いた顔で、ふたりの返答を待たずに外に出てきた。

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