86 / 90

3-26 君を守るために

 そっとその指を一本一本丁寧に離して、そのまま身体をゆっくりと寝台に寝かせる。黎明(れいめい)はその横に座ったまま、疲れた表情で嘆息した。 (俺は····どちらを選べば君を守れる?)  現在(いま)を守るか、その先の未来を守るか。  邪神を封印しその力を抑えるために眠りにつくと言ったが、いったいどのくらい? 何年、何十年、何百年、それ以上? そんな永遠ほどの時間を彷徨い、生きていく覚悟が自分にはあるだろうか?  たとえ目覚めても、その時自分は違う顔で声で存在で。それでも魂は同じ。生まれて死んでを繰り返し、その度に希望を持っては絶望し、もし巡り会えたとしても神子に自分だと告げることができない。  けれども始まりから現在まで、神子はそれをずっと繰り返してきた。 (仮に禁呪を施し、永遠の輪廻転生を手に入れたとしても、君を捜し出せるかどうかもわからない。この国は広い。たったひとりを捜し出すなんて、俺にできるのか? しかも同じ時代に存在しているかどうかも解らないのに)  始まりの神子は黒曜(こくよう)と共に闇の中で生きることを選んだ。自分の魂を二つに分け、死人の身体になっても傍にいることを選んだのだという。この国を守る神子でありながら、闇の化身を生み出し、それをもうひとりの自分に押し付けなくてはならないその矛盾に、どれだけ苦しんだことだろう。  黒曜がその身に取り込み続けていた穢れは、やがて自身では手に負えない邪神を生み出した。本来の役目であるこの国の穢れや陰の気をその身に留めることが難しくなったため、それを放出する自己防衛が働いたのだろうと、始まりの神子は言っていたらしい。  つまりはこの国のためにその身を削っていたはずが、今やこの国を闇で覆いつくそうとしているのだ。なんという皮肉だろう。  それをすべて元に戻すためには、始まりの神子と今の神子である宵藍(しょうらん)がひとつになり、その身を捧げて邪神ごと黒曜を封印するしかないと、そう結論に至った。  神子が眠りにつくということは、この国の四神が機能しなくなる可能性がある。それをなんとかする術をあちらの神子が考えていると言っていたが、もし不可能な場合、この国はどうなってしまうのか。  たとえ烏哭(うこく)の四天がその宗主と共に封じられたとしても、他の術士たちはただの人間。それらは野放しになるのではないか? (神子が目覚めるまでこの国を守る。目覚めた時に平穏であるように守り続ける。それが、神子を守ることに繋がる)  永遠の先に、いつか出逢えると信じて生きるのは愚かなことだろうか? (答えなど最初から決まっていただろう? 今更なにを悩むことがある)  禁呪の制約として、『自分が転生をしていることを神子を含め他の者に伝えてはならない』、『自害してはならない』、というものがあるらしい。  それをひとつでも破れば永遠の転生を止められるが、代償として二度と魂が輪廻することもなくなる。つまり耐えきれなくなってそれを破ってしまえば、二度と巡り会うことは叶わないという事。  黎明は姿勢を正したまま、明るくなっていく部屋の隅をじっと見つめていた。 (逢魔(おうま)には、なにも告げないつもりだろうか、)  自分の生みの親のこと。神子として宵藍がやろうとしていること。なにも告げずにその時が来たら、いくら逢魔でも心がもたないだろう。指を祈るように交差して握りしめ、黎明は俯く。  今日は早い時間から宗主たちが集まって話し合いをするらしい。神子ももちろんその席に招かれている。せっかく眠りについたのに、すぐに起こさなければならない罪悪感と、このまま三人でこの碧水(へきすい)から離れ、何にも関わらずに穏やかに過ごせたらと思う気持ちが交差する。  そんなことはできないと、知っていながら。黎明は宵藍の方へ身体を半分向けて、涙の痕をそっと拭うのだった。 ******  逢魔は昼間の神子の言葉に従いそれ以上問い質すのを止めたが、どうしても黎明のあの様子が気になり、とにかくじっと観察することにした。しかし相変わらずの無表情が、ここにきてそのすべてを覆い隠すことに役立っているようだ。  神子も神子で、傍でいつものようにほとんどひとりでしゃべっていて、時折黎明が「うん」とか「そうだな」とか返答している。 (神子はこんな面白みのないひとと、よく何十年も一緒にいられるよね)  自分がもし相手だったら、三日で音を上げるだろう。たが、黎明が善い男であることは知っている。言葉は少ないが行動力があり、なにより認めたくはないが尊敬している。  ただ、逢魔としては共有したいことがたくさんあるのに、伝わっているのかどうかさえかなり謎である。箸を咥えたまま頬を膨らませてふたりをじっと再び観察しながら、なにを言ったら反応してくれるかを考えていた。  少し遅い昼餉だが、先ほどまでの不穏さはどこへやら。何事もなかったかのように目の前に仲良く並んでお膳の料理を食べているふたりは、不自然なくらいいつも通りだった。 「ねえ、ふたりはいつから一線を越えたの?」  ぶっと神子は思わず汁物を吹き出す。こほこほと気管に入ったものを吐き出すように咳き込み、苦笑いを浮かべた。その背を心配そうに黎明が擦る。 「あの村を訪れた時はもういちゃいちゃしてたから、もっと前かな? 俺が幼い時はがまんしてたの? 十二歳までは三人で一緒に寝てたし。俺の前では口付けすらしなかったよね?」 「お、逢魔····君はいったい何の話をしているの?」 「興味があって。ほら、俺ももう大人だし。ふたりは目合(まぐわい)の時どうしてるんだろうって思っただけ」 「な、なにもご飯を食べながらする話じゃないと思うけど!?」  咥えていた箸を離し、ふたりを指すように向ける。行儀が悪い、と黎明が眉間にしわを寄せて視線だけ送って来る。胡坐をかいていた逢魔は、背筋はぴんと伸びていてなんでもないという顔で話を続ける。 「俺が神子の頬とか指に口付けしたり、抱きついてるの見て、師父(しふ)はいつもどう思ってた? 幼い頃は疑問にも思わなかったけど、今思えば、俺のこと嫌だったんじゃないかって」  申し訳なさそうに顔を作って、本当はわざとやっていたということは隠す。実のところ、それをやっている時にちらりと黎明を見ていたが、まったく表情が読めなかったのだ。しかしよく目は合ったので、何とも思っていないなんて答えは嘘だと解る。 「そうなの? 嫌だった? 嫉妬してた?」  逆に神子がそれに興味を持ったらしく、黎明の顔を覗き込んでじっと見上げていた。 「幼子になぜ嫉妬するんだ?」  しかし黎明の反応は予想通りではなく、不思議そうに首を傾げていた。どういうことだろう? と逢魔は顎に手を当てる。 「普通、自分の恋人が他のやつといちゃいちゃしてたら嫉妬するでしょ?」  黎明はその時の様子を思い出して、ひとり物思いにふける。 (最初は確かに嫉妬のようなものがあったかもしれないが、それ以上にふたりのその様子が愛らしいと思っていたのだが、答えを間違ったか?)  宵藍が頬を膨らませてじっとこちらを見てくる。黎明はそれすら愛らしいと思い、思わずその頬の膨らみを和らげようと人差し指と親指で同時に押した。そうすると口を尖らせたような形になり、思わずふっと笑みを浮かべる。  その表情に神子と逢魔は顔を見合わせて、同時に声を上げて笑った。指を離した黎明は不思議そうにふたりを交互に見ていたが、宵藍が左腕を自分の腕で絡めるように抱いて微笑する。 「ふふ。そんな君が本当に大好きだよっ」 「あーはいはい、ご馳走様。邪魔者は退散しまーす。でもさっきの答えはまだ聞いてないから、あとでちゃんと教えてね?」  ひらひらと右手を振って、いつの間にか膳を平らげ立ち上がっていた逢魔が気を利かせて部屋から縁側の方へ出て行く。腰に差した黒竹の横笛に付いている飾り紐がふらふらと揺れていた。 「なんなんだ、いったい?」 「あれは逢魔なりの気遣いだと思うよ? 本当に聞きたいことが訊けなくて、でもいつも通りでありたいっていう」  気持ちの整理が付いたら、伝えなければならないことは伝えたい。宵藍は黎明の腕を抱いたまま、身体を寄せる。  ふたりはしばらく逢魔が出て行った縁側の方を眺めていた。

ともだちにシェアしよう!