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第3話

3.  コテンと名付けられた彼は、10年程前に一度だけ召喚を受けたことがあった。優秀な召喚師ではあったが、コテンが通れるほどの巨大な扉を『こちらの世界』に開くことができたのは、まぐれであり奇跡であり偶然であった。  彼は喜び、コテンを大切に扱ってくれた。獣姿をとらせず、常に人型を強制し、戦にも出させなかった。コテンに触れる年相応の乾燥した皺の多い手は、正直、気持ちが悪かった。  ああ、早く帰りたい。  久しぶりの召喚に気分が高揚し、契約を承諾してしまったあのときの自分をぶん殴りたい。  そう思いながら過ごしていた。   「今日からこの子も家族の一員だ」  突然、召喚師が連れてきたのは、まだ幼く、痩せこけた少年だった。白い肌の上には痛々しい傷跡が残っている。大きな目は落ち着きなく左右に揺れながら下に向けられていた。  聞けば、奴隷商から買ってきたのだという。  コテンはすぐに少年の力の強さに気が付いた。召喚師もそうだろう。だからこそ、ここに連れてきたのだと思っていた。  金のために親に売られたのだという彼は、「ルブ」と名乗った。    ***  穏やかな毎日が続いた。全く声を発しようとしなかったルブも段々と慣れてきたようで口数が多くなった。むしろ、楽しくて仕方がないようで、一生懸命にコテンに話をしてくれていた。  コテンはその様子を可愛らしく思っていた。 「髪、すごくきれいですね」 「ああ、毎日主が梳いて下さるしな。毎日、毎日、毎日、毎日」  飽きもせず、コテンを愛でる。時折肌にも触れてくる。  とうに枯れているくせに、とんだ好色じじいだ。 「大きいし、羨ましいです」 「――お前はもっと食え。それに大きいってもなあ。本当の俺はもおっと大きいんだぜ。今のこの身体はむしろ窮屈で仕方がない」 「すごい! もっと、大きくなれるんですか!」 「ああ、お前に見せたい」  ルブはコテンのことを慕ってくれていた。親鳥にひっついて回る雛鳥のように、兄弟のように、無条件に好いてくれているようだった。  にこにこと笑う顔を見ていると、不思議と心がざわついた。けれどそれが、決して不快ではなかった。  今の生活も悪くないなと思わせてくれた。   「なにを、しているんだ」  眠っているルブに、召喚師が跨っていた。手が、衣服の下に潜り込んでいる。ルブは起きない。薬を使われているのかもしれない。  頭が真っ白になった。 「ああ、違うんだ。これはな、ほら寝苦しそうにしていたから、襟を緩めようとしただけで」  苦しい言い訳だった。  召喚師は慌てて寝台からおり、コテンにすり寄ってきた。「私にはお前だけだから」、そう言う召喚師からはもはや、知性も力も感じなかった。  ここまでか。  翌日の昼間、ようやく目を覚ましたルブを森の中へと連れ出した。 「出ていけ。戻ってくるな」  そのときのルブの表情を思い出すと、今でもコテンの胸は締め付けられるかのように痛む。  ルブは笑おうとしたようだが、失敗して俯いた。草むらに幾粒もの涙が落ちる。 「ご、ごめんなさい。これから気を付けます。だから、」 「近づくな!」  プツン。これまでかろうじでコテンを繋ぎとめていた契約の糸が切れたのを感じた。力に任せるがまま、獣姿をさらし、唸りながら牙を剥く。 「ひっ」  悲鳴をあげ背を向けたルブへ、前足で地面を蹴り上げ、砂をかける。途中何度も躓きながら、やがてルブの姿は見えなくなってしまった。  コテンは、自分のすぐ真下に扉が開くのを察した。  このとき、初めて自覚をした。  彼のことが好きだった。ずっとあの日々が続けばよかった。大切にしたかった。こんなふうにこの姿を見せるはずじゃなかった。  巨体はゆっくりと暗闇に飲まれていった。   

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