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第1章:再会 1
「由利 さん、聞きました!?」
「なにを?」
「Camelliaの専属カメラマンの話ですよ〜〜っ!」
朝から何やら大はしゃぎしているヘアメイクアーティストの楪心 を、メイク室の鏡の前に座る椿由利 は怪訝な顔をして見やった。彼女は興奮状態で、このままだとウサギのようにぴょんぴょん飛び回るかもしれない。それくらい心は今日から就任する『専属カメラマン』のことが気になっているようだ。
「専属カメラマンがなに?」
「だって!あの超売れっ子カメラマンのYURIですよ!?由利さんと同じ名前の!」
「ゆうり、なんてどこでもいる名前じゃん。別に珍しくもなんともないって」
「でもでも!YURIさんって今までファッション誌の撮影はしてなかったじゃないですか!」
「あ〜…確か広告カメラマンだったんだっけ?CMとか」
「そうです!あと、噂によるとYURIさんってめちゃくちゃイケメンらしいですよ!」
椿由利、27歳。職業、モデル。恋人、なし。
大学生の頃にスカウトされ、学生の頃はただのバイト感覚でモデルをやっていた。適当に高校を卒業して適当に進学した大学だったので特別やたいことや夢もなく、意外とモデルが性に合っていたのでそのまま本格的に仕事を始めたのだ。
最初こそバイト感覚でファッション誌に小さく出ていたくらいだったが、仕事にするなら本気で取り組もうと思い、がむしゃらに頑張ってきた20代前半。
もちろん事務所やマネージャーのおかげもあるけれど、今ではそれなりに名前が知れたモデルとして活躍している。最近では海外のファッションショーにも呼ばれるようになり、日本だけではなく世界でも少しずつ名が知れるようになってきたのだ。
そして今回、日本国内での仕事として歴史ある出版社から20代後半〜30代の男性をターゲットにした『Camellia』という雑誌が刊行されることになり、半分実力、半分名前のおかげで由利が専属モデルに抜擢された。
もう一つの目玉として、最近引っ張りだこだという超売れっ子カメラマンのYURIと専属カメラマンの契約したということ。由利も名前だけは聞いたことがあったが、会ったこともなければ一緒に仕事をしたこともない。何度か彼が撮った広告は見たことがあるのだが、モデルのいいところを引き出すのが上手いカメラマンなんだな、という印象を持っていた。
ただ、それ以外は全く知らない。興味がないというわけではなく、情報が本当にないのだ。名前がYURI、男。それだけの情報しか出回っていない。本名も年齢も出身地も誰も知らないらしく、現場ではいつもマスクを着けて帽子を被っているという噂だ。
「……素顔見せないで有名じゃないっけ?なんで心ちゃんが知ってるの?」
「実は、私の友達がこの前化粧品の広告の撮影現場で仕事だったんですけど…その時に水を飲むYURIさんの素顔をチラッと見たらしいんですっ!」
「なるほどね。今日は素顔を見られるといいけど」
「YURIさんのマスクを取れたらすごいって噂ですよ〜。でも初めて撮ったモデルさんには素顔を見せてたとか!」
「へぇ。そのモデルが特別とか?恋人だったりして」
「そうだったら夢が壊れます〜…」
カメラマンとモデルが付き合うなんて、そう珍しい話でもない。所詮人間なのだから仕事とは言えある程度感情があるし、由利も同業者を綺麗だとか可愛いと思うことはよくあるのだ。お互い恋人がいたり結婚していないクリーンな関係なら別に付き合っても問題はないだろう、と思っているタイプである。まぁ、スキャンダルになったらそれはそれで面倒臭いけれど、真剣交際なら公表してしまえばいい話だし、結婚したっていい。
『普通』の恋愛ならば。
「由利さん入られまーす!」
今日の撮影は夏服の撮影だ。外の気温は一桁の真冬に真夏の撮影をするのはモデルにとっては普通のことで、野外の撮影でもノースリーブや水着を着て涼しい顔をしていないといけない過酷な仕事。今日は屋内撮影なので寒さの心配はないが、扇風機で風を当てられることになったらかなり寒いだろう。
「由利、あそこにいるのがYURIさんだ。撮影に入る前に挨拶を」
マネージャーの萩尾薫 が指差した先にいたのは、黒いマスクにグレーのキャップを目深に被っている若い男性。下手したら自分よりも若い人かもしれない、と遠目からでもなんとなく分かった。
「Camellia専属モデルの椿由利です、よろしくお願いします。YURIさんのことは広告写真を拝見していて、ぜひ一緒にお仕事ができたらなと思っていたので嬉しいです」
当たり障りのない挨拶をして、軽く握手をして終わり。いつもやっているただの挨拶で、由利にとっては何百回目かの出来事の一つにすぎなかった。
「――カメラマンのYURIです。いつか同じ名前の由利さんと一緒に仕事がしたかったので、夢が叶いました」
差し出した由利の手をぎゅっと握ったYURIが挨拶をしてくれたのだが、その声を聞いた瞬間、全身に電流が走った。握った手を離そうとしても離れず、由利より背が高い彼から見下ろされている威圧感と体に絡みつくような視線になんだか覚えがあって、どくどくと心臓が狂ったように暴れ出す。
見えている部分は少ないけれど、圧倒的な『アルファ』のオーラに気圧された。それと同時に感じた微かなフェロモン。彼からうっすらと感じるフェロモンの匂いに、由利は覚えがあった。
もしかして、いや、もしかしなくても。
でも、そんなわけがない。
『あいつ』がこんなところにいるわけ、ない――
「撮影、始めましょうか」
耳の中に流れ込んでくるようなねっとりと絡みつくその声に、由利は全身が震えた。
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