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第2章:同居 2
「……住んでいいって言ったんだから、もうどけよ」
「久しぶりに一緒に住む可愛い弟にそんなに冷たいこと言って心が痛まない?」
「全く」
避けていたのは由利が悪いと思うけれど、だからと言って、黙って引っ越してくるなんて藍の行動のほうが何倍もおかしい。仕事場に突然現れるし、同じ名前を使って活動しているし、由利のことを嫌いじゃなかったらなんなのだ。
「ていうか、荷物これだけ?」
「あんまり物を持たない主義だから」
「だからって少なくない……?布団とかはあるよな?」
「ううん、ない。古かったから捨ててきた」
「いや、じゃあどうやって寝るの…?」
引っ越し業者が来ていたと言う割には部屋の中にある段ボールは5つくらいしかないし、寝具のような大きいものはない。あったとしても由利の部屋に空き部屋はなく置くところもないのだが、寝具類を捨てたとあっけらかんと言い放つ藍の態度にたらりと冷や汗が背中に伝った。
「"あの頃"みたいに一緒に寝ようよ、由利」
頭が痛い。耳鳴りがする。
目の前にいる藍はもう24歳で、身長も由利より高くて180センチは超えている。艶のある黒髪だけは変わっていないが、中身は中学生の少年のままなのだろうか。あの頃、シングルベッドに二人でぎゅうぎゅうになりながら眠っていた頃とは違うのだ。その時みたいな『純粋』な感情はもう持ち合わせていないし、二人で犯した過ちを藍が忘れているわけないだろう。
「……さすがに、それはないって」
「どうして?兄さんと僕は"仲良し兄弟"だから、なにも問題ないと思うけど」
「藍、俺を困らせるな」
心臓が破裂しそうなくらい脈打っていることは、知られてはいけない。藍と二人きりの空間に耐えられず浴室に駆け込むと、スマホがメッセージの通知を知らせた。
【由利、藍くんには黙っててほしいって言われたけどやっぱり気になって連絡しました。仲良くやってね。藍くんも一人だと大変だったみたい…あなたと二人なら大丈夫だろうけど、気遣ってあげて。たまには実家にも帰ってきてね、由利】
母からのメッセージを読んでため息をもらす。この連絡をもう少し早く送ってくれていたら、阻止することはできなくても心の準備くらいできたのに。もしかしたら藍は両親にも『仲がいい兄弟』だと説明しているのかもしれない。だからこそ母も藍の言葉を信用し、由利にわざわざ確認を取ることもなかったのだろう。
藍がいつからこういう計画をしていたのか分からないけれど『偶然』カメラマンになって『偶然』同じ雑誌の仕事をして、由利に近づいてきたとは考えにくい。何かのタイミングでそう思うことがあったのだろうと思うが、彼を変えてしまったのは言わずもがな過去の由利だ。
今更タイムマシンを使って過去の出来事を変えたいと思ってもすでに遅い。どうやって償えば、彼は許してくれるだろうか。
「……俺、ソファで寝るから」
「別に、ベッドは広いんだから成人男性が二人寝ても窮屈じゃないよ」
「窮屈じゃなくても俺が気になる」
「なんで?……もしかして、このベッドで誰かと寝たことあるの?」
「ばっ、かなこと言うな…ッ!」
シャワーを浴びて出てくると、由利の寝室のベッドで藍がカメラをいじっていた。いつの間にかマスクと帽子を取っていて、部屋着に着替えている。悔しいけれどマスクを取った藍の素顔は昔と変わらずイケメンで、本当にかっこよく成長したと思う。カメラマンではなくモデルになったほうが映えそうなのにと思うほどには顔は整っているし背も高いのに、いつからそんなにカメラが好きになったのだろう。思えば、由利は藍のことをまともに知らないなと気がついた。気がついたところで、どうにもならないのだけれど。
「ねえ、ゆうり。このベッドで誰と寝たの?」
「……そんなことしてない。家にはあんまり人を上げないし、知ってる人も少ないから」
「ふうん、そっか。なら安心した」
「だからと言って藍と寝るつもりはないよ」
どれだけダメだと言っても藍の意思は変わらないらしいので、由利が離れるしかない。ベッドの側から離れようとするとグイッと腕を引っ張られ、情けないことにそのまま柔らかいベッドの中に引き込まれた。
「おい!ちょっと……!」
「一緒に寝てくれないと、今度現場で由利が兄さんだって話そうかな。兄のことが大好きすぎて同じ名前で活動してるんです、って」
「ら、ん……ッ」
太い腕にぎゅっと抱き込まれて身動きを取れなくさせられ、耳の中に直接流し込むような話し方にぶるりと体が震える。相当なブラコンだと思われるのは藍のほうだが、後々面倒くさくなるのは由利のほうだと分かって言っているのだ。由利自身も周りから根掘り葉掘り聞かれたら正直困ってしまうし、自分が藍を避けていたから何も知らないなんてことも言えない。由利の痛いところを確実に突いてくる藍は、後ろからくすくす笑っているだけだった。
「分かった、分かったから!もう逃げないって…!」
「……本当に?」
「本当!今のお前に力で勝てるわけないだろ!」
そう言えばやっと力を緩めてくれて、でもしっかりと後ろから由利を抱きしめ直される。由利の後頭部に藍の形のいい鼻先が当たり、洗ったばかりの髪の毛の匂いを嗅がれているのが分かってぎゅっと胸が締め付けられた。
「ありがとう、兄さん。なんだかんだ言って僕にも甘いよね」
「……甘いわけじゃない。面倒くさいから諦めただけ」
「うん、それでもいいよ」
久しぶりに再会した20歳を超えている義兄弟が、同じベッドで眠るなんてどういう妄想小説だ。二人きりの空間はすごく気まずいと思っていたのに、眠気からか背中に感じる藍の体温を心地いいと思ってしまった。いまだに子供体温なのか、藍は。中学生の時も藍は体温が高くて、人間カイロだと言ってよく抱きしめていたっけ。これは眠気による不可抗力だと自分を納得させ、由利はこの意味不明な状況を受け入れることにした。
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