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第5章:家族 4
『死は救済』とはよく言ったもので、生きていることで苦しむのなら死んで解放されたほうが幸せだ、という思想のことだ。
ただ、死後の世界のことを考えたことがあるだろうか。
実際にそうなってみないと分からないことだが、地獄に落ちた者は人間にとっての一生を遥かに超える年月の苦しみを味わうとされている。自分が信じている宗教によって異なるだろうが、死後の世界でも解放されることはないのだろう。
それに自分たちは、地獄にだって行けないかもしれない。
「ダメだよ、由利。そんなことを言う由利は好きじゃない」
「だって藍が!俺を恨んでるから、だからそれで俺に執着してるだけだろ?俺を不幸にするのが目的なんだから、それならもういっそのこと……っ」
「不幸にしたいわけじゃない。由利にただ、僕のことを愛してほしいだけだよ」
「でも、なんで俺なの……?藍ならもっといい人がいるよ…オメガの運命の番とか、現れるかもしれないじゃん……」
「僕にとってそれが由利だって、何回言ったら分かってくれる?」
アルファとオメガが出会った瞬間に『番』だと分かる、運命の番というものが存在するらしい。でも確率的にはとても低いようで、アルファがビッチングしてオメガに転換する確率と同じくらい低いだろう。そんな都市伝説を持ち出してくるなんて由利はいつになったら藍の本気を信じてくれるのか、今までの藍の言葉を何一つ信じてくれていなかったのだなと頭が痛くなった。
「オメガになってほしいって言ったことで誤解させたのかもしれないけど、兄さんがアルファでも僕には関係ないんだよ。男とか女とか、アルファとかオメガとか関係なく、僕は椿由利のことを愛してる。初めて会った日からずっとずっと、僕には由利だけだから」
「藍……」
初めて由利と体を重ねたとき、初めて幸せを感じた。
こんなにも幸せな時間があるかと、涙が出てきそうなほど嬉しかったのを覚えている。それがたとえ由利が藍になんの感情もなく、ただ抱かれる感覚を経験したかっただけだったとしても。由利が藍に大事な体を委ねてくれたのは紛れも無い真実であり、もし地獄にさえ行けないとしても、それがとても幸福だったのだ。
「僕は由利がいたら幸せなんだよ。でもただの兄弟じゃ耐えられない」
「なんで……?」
「だって、由利がもし結婚する人を連れてきたら、その相手を憎んでしまう。どうにかこうにか結婚できないように行動して、婚約が白紙になった由利の心につけ入ると思う。それで、由利には僕しかいないって洗脳するんだよ」
「そんな怖いことするんだね、藍……」
「そう。でも由利はそんな僕は嫌いだから、こうやって優しくしてる。由利には優しくしたいから」
顔を埋めていた方に口付けて、首筋、耳、頬に口付けていく。由利がなんの抵抗もしないので試しに彼の細い顎を掬ってみると、きゅっと目を瞑って藍からの熱を待っていた。そんな健気な由利にどくどくと心臓が脈打つのを感じながら、そっと唇を重ねた。
「ん、……」
「ゆうり、口開けて……」
「ぅん、」
お互いを確めるように深いキスをして、離れがたいというように二人の間を透明な糸が繋ぐ。唾液で濡れた唇を由利はぺろりと舐め、こてんっと藍の胸元に頭を預けた。
「……もう無理だよ、藍」
「ん?」
「俺、だって、藍のことを嫌いなんて言えな……っ」
由利は藍の服をぎゅっと掴んだまま、ぼろぼろと涙を溢していた。どんな高価な宝石よりも美しい由利の涙を親指で拭う。透明な宝石が溢れ出している目尻に口付けて涙を掬うと、由利の腕が藍の首に回ってぎゅっと強く抱きついてきた。
「ごめん、藍。ごめん、ごめん……!」
「なにがごめんなの?由利」
「藍のことを、好きでごめん――愛してて、ごめん」
その言葉を、噛み締めた。
最初は本当に由利のただの優しさだったかもしれない。結ばれない義兄に恋をして、彼と同じベッドで寂しく自分を慰めることしかできない藍に同情しただけ。でも、アルファの自分が今後誰かに抱かれることはないだろうから、なんてバカみたいな理由を藍が信じると思ったのだろうか。
あの時、今は香恋が眠っている部屋で藍を誘ってきた由利の顔は、欲にまみれていた。
オメガではないのにふわっと甘い香りが漂ってきて、ずくりと下半身が疼いた感覚を覚えている。そんな由利を見て藍は初めて『この人は自分のオメガだ』と感じたのだ。他の誰かに奪われる前に自分のものにしないといけないという本能が働いて、何度も何度も由利と体を重ねた。
でも藍の『オメガ』はいじっぱりで、家族思いの優しい人だから、藍の元を去っていった。由利が藍の元から去った気持ちも理解できたのでそっとしていたけれど、その期間は逆に自由ではなく、藍のことを更に考える期間になったのだろう。
それと同時に、改めて『Camellia』の編集長・浅沙に藍は感謝した。
『Camellia』の専属モデルを決める前に、既に藍が専属カメラマンになることが決まっていたのだ。当初は麗を起用しようとしていたがメンズ雑誌だったので、由利の起用を考えていると相談されたことがあった。その話は使えるなと思い、由利に憧れているYURIの話をすると浅沙がYURIの夢を実現してくれたのである。
それが二人が『偶然』再会するきっかけになった、裏話だ。
こればっかりはタイミングよく『Camellia』の話があったので、ロマンチックな再会ができてよかったなと思う。このことを今まで黙ってくれていた両親にも、深い敬意を表したい。
これから二人の可愛い息子たちはまた罪を犯すけれど、どうか許さないでほしい。
許さなくていいから、二人揃って追放してくれたら、それでいいから。
「僕も愛してる、由利。これから一生、一緒にいよう?」
始まりの場所で、僕らは初めて結ばれた。
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