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第9章:運命 3
「……由利のことをビッチングさせたいって、思ってるんです」
他のオメガのフェロモンに発情するなら、アルファでなくなればいい。
オメガになって他のアルファを誘うなら、藍と番になればいい。
今までそう思ってきたので正直に話すと、紫は今まで見たことがないほど顔を歪めた。
「由利くんの意思はどうなんだ。オメガにさせて番になったとて、お前がいつか運命の番を選んだら彼は一人になるんだぞ」
「僕は由利を一人にはさせません。運命の番なんか絶対に選ばないです」
「アルファはいつも口だけは達者なんだよ!運命の番なんて選ばない、ずっと一緒にいるなんて軽々しく口にするなッ」
「僕をあなたのクソアルファと一緒にしないでください!僕は由利以外誰も何もいらない!あのオメガを殺したって――」
そこまで言いかけて、自分が恐ろしくなった。
今まで由利を手に入れるならどんな根回しもしてきたし、手段も選ばなかったけれど、さすがにそれだけはやってはいけない。あんなオメガを遠ざけるために自分の手を汚して由利の側にいられなくなったら、それこそ本末転倒だ。
衣都のことが鬱陶しいのは変わらないだろうが、ここで感情的になると間違いを犯してしまう。この暴走の仕方は『番のいるオメガを捨てるアルファ』と同じくらい、バカな行動だ。藍は何よりも由利の側にいることを願っているのだから。
「悪夢を見るんです。こんなに嫌だと思っているのに、あのオメガと家庭を築いている夢を……朝目が覚めてから、僕の腕の中で眠っている由利を見ると罪悪感で胸がいっぱいになって、どうしたら一緒にいられるのか、どうしたら僕たちを放っておいてくれるのか、もう分からなくて……」
実の父親や、今まで相談してきた麗、今では恋人になった義兄の由利にもこの本音を話したことがない。情けないことに涙なんかも溢れ出してきて乱暴に手の甲で拭う藍を、紫も辛そうな顔をして見つめていた。
「……俺の元番も運命の番と出会った頃、夢を見るってよく言ってたよ。運命の番と家族になって、お互い幸せそうに笑いながら赤ちゃんを育てる夢だってな」
「それ、僕の夢も同じです……」
「神様に操作されてるのかもな、もしかしたら。こっちのほうが楽しい未来だよってさ……で、あのバカなアルファはまんまとそれに絆されたわけだ」
「一種の洗脳じゃないですか、そんなの」
「そりゃあ、そうだろ。神様が割り振った運命の番たちなんだから、結ばれないと労力が無駄になるとでも思ってんのさ。神様の言う通りにしていれば間違いないって洗脳されるのかもな」
「じゃあやっぱり、僕は神様の言う通りになんかしてやらない」
神様が作った『幸せな人生』のルートなんて進んでやるもんか。藍はすでにその道を外れているので神様も焦ったのだろう。急に衣都と出会わせて道を戻そうと必死なのだ、きっと。
でも藍は、自分の幸せは自分で決められる。
会ったこともなければ見たこともない、更に言えば信じたこともない神様が勝手に割り振った運命になんてしがみつくものか。由利を道連れにするのは心苦しいけれど、二人で一緒に追放されるなら、そこはきっと楽園になるだろう。
「藍の覚悟は分かったが……気をつけろ。運命の番という欲にかられたオメガはアルファを手に入れるなら手段を選ばない。自分の運命の手綱を握ってろよ、ちゃんと」
紫に話して心がスッキリした。衣都と出会ってから誰にも話せなかった悪夢のことを、運命に捨てられた紫に話すのは酷だったけれどやはり経験者の言葉は重みがある。自分は絶対に紫の元アルファと同じようにはならない――改めてそう思ういい機会になった。
「"今から帰るよ"っと……」
長いこと紫と話していたからすでに深夜近くになっていたが、一応由利にメッセージを送ってから帰路に着いた。バスに揺られている最中に【待ってる】と一言だけメッセージか返ってきて、寝ててもいいのに律儀に起きていてくれる由利を想像するとにやける口元が抑えられない。
早く帰って抱きしめて、柔らかい唇に口付けて一緒に眠りに落ちたい。由利が藍と同じ気持ちを返してくれることがそもそも奇跡なのに、藍の帰りを待ってくれているなんてまさに夢のようだ。
藍の人生の全ての幸福は由利と結ばれることに使い切ってしまったなと思うくらい、彼のことを愛している。だからもうこれ以上欲張るのはやめようと思うのだ。
由利をビッチングさせてオメガにしたいとか、そんなことはもう言わない。
ただ『由利』がいてくれたら、それだけでいい。
「――…YURIさん……」
マンションに帰り着くと、エントランスを入る前に声をかけられた。マンション周辺に植えてある木陰から姿を現したのは帽子とマスクで変装した男で、うっすらと感じるフェロモンの匂いからそれが衣都だと分かった。
「すみません、僕、あの……っ」
「……家まで来られるのは迷惑です、鈴香さん」
「分かってます、本当にごめんなさい……!」
もう出会い頭にラットを起こして寝込みたくもないし由利のことを悲しませたくないので、強めのラット抑制剤を服用しているからか、彼のフェロモンを嗅いでも取り乱さずに済んだ。
衣都は帽子の下の大きな瞳からボロボロ涙を零していて、なんだか足元もおぼつかない。Camelliaのモデル契約を打ち切られてから何をしていたのか興味もなかったので誰にも聞いていないが、しばらく会わないうちに何かがあったのだろうか。
「めいわくをかけてると、頭ではちゃんと分かってるんです、分かってるけど……!どうしても僕の本能がYURIさんを求めていて、自分のアルファだっていう気持ちが止められな、くて……」
ここで絆されてはいけない。
藍は衣都のアルファではないときちんと突き放さないと、このループは終わらないだろう。何度も突き放しているつもりだが彼がそれを受け入れてくれないのはやはり運命の力か、藍が恋人と別れる確証があるのかもしれない。
まあ、そんなことには絶対にならないのだけれど。
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