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第10章:楽園 1

「藍、そろそろ帰ろう。面会時間過ぎるから……」 あの事件以来、Camelliaの仕事は一時中断されている。麗はまだ目を覚さないし、由利も藍も事件の中心人物になっていたので警察からの事情聴取に時間を割かれたり、浅沙からの厚意もあって今は休ませてもらっているのだ。 藍は特に実の妹である麗が自分を庇って重傷を負ったこともあり、他の仕事も一時的にストップさせて今は毎日病室へ足を運んでいる。 麗と藍の実の両親も病院に足を運び交代で麗の側についているらしいが、藍はほぼ一日中病室にいて麗が目覚めるのを待っているのだ。刺された時の出血がひどかったのもあり、ショック状態になっていたのが原因なのだろう。 事件自体も後味が悪いものになり、ニュースでも大々的に報道された。そして藍と麗の関係も公表せざるを得なくなったのだが、事件の見出しはもっぱら『美しき兄妹愛!』なんていうふざけたタイトルがちらほら見受けられて、この事件に関するニュースを見るのは更に避けるようになった。 由利に関してはほとんど報道されていないが、関係者には『藍の恋人だと疑った衣都が由利を殺めようとした』のは事実として広まっている。衣都が藍のストーカー行為をしていたのも、衣都の部屋の中には藍の写真でいっぱいだったのも、その中で由利の写真だけが黒のマジックペンで塗りつぶされていたこともあり、相当な執念があったのだろうと聞かされた。 「何か食べれる?藍が食べたいもの作るけど…それかデリバリーしよう。どうしたい?」 「………ゆうり」 「ん?」 ニュースにもなってしまったし、いまだに藍に何かコメントをもらおうと追いかけ回している記者もいるので由利と藍が義理の兄弟だとバレるのも、衣都の狙いが由利だったことがバレるのも正直もう時間の問題だ。 由利と藍が同居しているマンションには報道陣が多く押し寄せてきたので引き続きこのマンションにいるのは危険だと判断し、今は二人とも由利の事務所が用意してくれたマンションに身を寄せている。 このマンションは由利のマネージャーである萩尾の家とも近いし、麗が入院している病院からもタクシーで数分の距離。場所が変わっても同じマンションで暮らすのはどうかと思ったけれど、なんせ今の状態の藍を一人にするのは気がけたのだ。 一緒にいないと藍が消えてしまうような、そんな一抹の不安を由利は抱いていた。 「僕は、どうしてたらよかったんだろう……」 ソファに座った由利を抱きしめながらそう呟く藍の頭を撫でる。か細い声は今にも消えてしまいそうで、彼が消えてしまわないように由利もぎゅうっと抱きしめた。 「藍のせいじゃない。どんなに優しく突き放してても、同じことになったと思う」 「…僕が番になってたら、こんなことにはならなかったのかな……」 その言葉には、つきりと心臓が傷んだ。そりゃあ、どんなに雑な扱いをしていたとしても可愛がっていた実の妹が重体なのだから、そう思うのも無理はない。 藍が本気で衣都を好きになって番になりたかったと言われたわけではないのに、こうなる未来が分かっていたら彼は衣都と番になっていたのかと思うと、体の奥底からどろどろとした汚い感情が溢れてくる。 ――もし俺がオメガで藍の番だったとしても、藍は運命の番を選んだのかな。 そう考えてやっと、どうして自分がオメガじゃなかったのか、藍の運命の番じゃなかったのか悔やんだ。由利の母はオメガなので、由利だってアルファではなくオメガに生まれる可能性もあったのに。 どうして自分と藍はアルファ同士で、番にもなれなくて、運命の番に惹かれてしまうし、義理の兄弟なのだろうか。 この世の全ては上手くできていると思う。 由利と藍のような反乱分子は、結ばれないようにできているのだ。 「こんなことを言うべきではないって分かってるけど……じゃあ、俺のことはどうでもいい…?こうなる未来が分かってたら、藍にとって俺との関係ってなかったことにされるの?」 「そ、そうは言ってない!ちがう、違うんだよ由利、違う……っ!僕は由利がいないと生きていけない!」 番になれるし子供を産めるオメガを羨ましいと思いながら、オメガになる勇気もない中途半端でずるいアルファなんだ、自分は。 そんな自分が藍の『もしも』の話に怒る権利はない。 そもそもこんな関係のほうが、最初から間違っているのだから。 「ごめん、おかしくなってた……僕の相手は由利じゃないと嫌だ。由利だけ、アルファでもオメガでも、そんなの関係なく僕の番は由利だけだから……っ」 だからお願い、嫌いにならないで。嫌いにならないで。 子供のように泣きながらそう繰り返す藍の姿に胸が傷む。 そんな藍の姿を見たのは彼がまだ中学生の頃、由利が進学のために家を出る直前のことだった。 『行かないで、由利……』 そう言いながら一人でひっそりと泣いていた藍。 その頃からひたすらに一途に由利を想ってくれていた彼の気持ちをどうやって疑えるだろう。今は心が弱っているからきっとそう言っただけなのに思わず突っかかってしまい、大人気ないなと反省した。 「違う、俺のほうがごめん、藍……。こんなこと言うつもりなかったんだよ、本当に。ただ、俺がもしオメガだったら、俺が藍の運命の番だったらよかったのにって…そしたら藍にも麗さんにもこんな思い、させなかったのにって……」 「ゆうり、」 「どうして俺、アルファに生まれたんだろう。どうして俺、藍のオメガに生まれなかったのかな?どうして俺たち、兄弟なのかな……」 ぼろり、由利の瞳からも涙がこぼれ落ちた。 もしも父と母が出会っていなければ由利と藍も出会うことはなかったのだけれど、全くの赤の他人だったら、もっといい恋愛ができていたかもしれない。 両親には本当に申し訳ないし最低な息子だと言われても甘んじて受け入れるが、もっと違う形で出会えていたら今より幸せになっていたのかも、なんて。 そんなのは結局ただの願望で、都合のいい夢物語なのだけれど。 「ゆうり……」 由利の瞳からこぼれ落ちた涙を、同じように泣いている藍が拭ってくれる。 そしてそっと口付けられると、そのキスは涙のしょっぱい味がした。 「……由利のうなじを噛みたい」 「え……?」 由利の涙を拭った熱い手がうなじを撫でると、びくっと体が震える。番のいないオメガの人たちが不用意にうなじを噛まれないよう防止しているチョーカーなんか由利はしていなくて、無防備にそのまま晒されている状態だ。 藍はずっと『由利をオメガにしたい』と言っていたから彼がその気になればいつでも噛めたのに、由利の気持ちが追いつくのを待ってくれていたのだろう。 正直藍のやり方は強引で、ここまで執着されて面倒臭いし怖いとも思っていたけれど、今では彼の愛がないと生きていけない、ダメなアルファになってしまった。 「由利がオメガになっても、ならなくても、僕の番なんだっていう繋がりがほしい。だから、お願い」 未知の体験なので自分の体がどう変化してしまうのか怖かったけれど、きっとこれでいいのだと思う。 もし由利がオメガに転換して藍と番になれば、彼は今後由利以外のフェロモンを受け付けなくなるし、由利も藍以外の人はいらなくなる。 それが一番、ずっと一緒にいるための最善策だと考えた。もちろん、一般的に見れば間違った方法だというのは分かっている。 分かっているけれど、どうしても『愛』には逆らえなかった。 「愛してるからいいよ、藍」 神様の運命に背いて、二人で楽園を追放されよう。 二人でいられるのなら、どこだって楽園になるのだから。

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