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落ち度

 次ぐ日の日曜日早朝。  所謂てつやが寝ている時間を見計らって、京介は部屋に会社用のスーツや少しの荷物を取りに戻った。  リビングの続き間をてつやに使ってもらっているためリビングは静かに歩き、大きく開く引き戸を見ながら、顔みてえなあ…などと思ってその奥の自室へ入った。  とりあえずスーツ3点とネクタイ数本、とワイシャツ。あとは普段着、部屋着下着類数枚をバッグに詰めて自室を出る。  再び引き戸に目をやり、いつまで続くのかな…などと考えながらため息をひとつついてリビングを横切っていった。  その引き戸の向こうでは、戸の持ち手に指をかけたまま立ち尽くしているてつやがいる。眠れない夜を過ごしたてつやは、京介が帰ってきたと思ってベッドから飛び起きたまではいいが、やはりどこか意地が突っ張らかって素直に戸を開けることができなかった。  足音が止まって、今自分が立っている戸を見つめている気配はすごく感じる。  今戸を開けて謝れば…京介の話をちゃんと聞ければ、また楽しい日々に戻れるのに…意地が勝つ。  ため息が一つ聞こえ、足音が再び鳴り出すとてつやの指に力がこもった。  リビングを抜け、玄関の廊下に出るガラス戸が閉まり、玄関ドアが開いて閉まる。  そこまで聞いてやっと…、てつやは戸を開けた。  京介の匂いが残っていた。微かに香るヘアワックス、タバコ、好きな匂いだ。  そのままリビングの床にへたり込んでそのままこてんと横になる。 「別れることになるなんて…思ってないんだけど…なぁ…」  寝転んだままそこから見える窓のカーテンを見つめて、これからの自分たちを考えてみた。  デスクの椅子を蹴られて、一瞬目が覚めたような顔で後ろを見上げると、ワンフロアーだが隣の課の同期小林女史が立っていた。 「随分昨日から腑抜けてるじゃない?どうしたの?てつやくんと喧嘩でもした?」  相変わらずショートカットが似合う人だなと思いながらも、京介はその言葉にため息をつきデスクに頬杖をつく。 「なに、当たっちゃったの?あら珍しい。いつも鬱陶しいほど話聞かせてくれんのに。そんな時もあるか。よし、じゃあ今日の帰りは飲みに行こうか」  頬杖をついていた顔の、目だけを小林に向けて 「おう…」  と力なく返事をする。 「え?本当に行くの?残業と、会社の集まり以外は即帰るあんたが?え?まさか今別居中?」 「別居っていうな」  小林さんはちょっとワクワクしてきてしまい目が輝いてきた。 「ごめんごめん、じゃあ今日の帰り本当に飲もう。付き合うよ〜〜」  京介の肩をそう言いながら叩いて自分の席へ戻ってゆく小林さんを、目で追うこともめんどくさくて、京介は目の前に開かれた課内予算の残高をみた。  支給額より多くなっていることに気づき背筋を伸ばす。 「あっぶね。これで出しちまったら課の予算来月出なくなるところだった」 「気をつけてくださいね〜。7月はビアガーデン開店を課長や部長が心待ちにしてるんですから。なんならその残高もいじって来月増やしてくださいよ」  隣の席の佐々木くんが不穏なこと言ってくる。 「俺いかねーからな〜どれも…」 「え?別居中なんでしょ?わかんないじゃないですか〜〜」  佐々木くんもわかってて意地の悪いこと言ってくる。とは言え、彼女だと思っているのだけれど。 「そこまで長引かせる気はないっつのよ。ほい、さっきの書類。誤字と計算ミス5箇所。直したら判押すから持ってきて」 「ええ!5個もあったすか??」 「誤字はもっとあったぞ」  マジか!と叫んで、佐々木くんはパソコンと仲良しに。  いや、冗談ではないぞ…ビアガーデンのシーズンまでこんなの耐えきれない…なんとかしないとなぁ… そう考えてしまうことが仕事の集中を途切れさせ、普段しないミスなど今日は3件も課長から指摘されていた。 「大人しく、ファイルのデータ化やってよ…」  ファイルを深い引き出しから取り出し開いてると 「それ間違ったら大変なんで、今やらない方が良くないですか?」  画面を見ながら佐々木くんがそう言ってきた。それなりに心配もしてくれているらしい。  それもそうだな…と思い直し、予算の画面を閉じ、 「今日昼飯奢ってやる、何食いに行くか決めとけ」  そう佐々木くんに告げ、とりあえずタバコを吸いに喫煙室へと向かった。  小林さんが選んだ店は、よく来るというスペインバル。 「俺居酒屋がいいな〜」  店の前でそんなことを言う京介に 「あんたの話聞いてやるんだから、私の好きな所に行かせてよ。で、最初に言っとく『ごちそうさま♪』」 「なんだよそれ」  仕方ねえな、と言う顔をして小林さんの後に続いて店に入る。  大きな広いテーブルの奥に陣取り、最初はサラリーマン定番とりあえずビールと言うことで生ビールを。 「で?何があったの?あんたがそんな腑抜けてるの初めて見たわ」  飲み物と一緒に頼んだオリーブのオイル漬けをピンに刺して、小林さんはそのピンで京介を指し示す。 「ん〜まあお前ならいいか。今てつやがマンション建ててんの知ってるだろ?」 「うん、そこにあんたたちも住むんでしょ?」 「そうそう、でな?一応俺らの家じゃん。だからさ一昨日てつやに俺が昔から貯めてた貯金を渡そうしたんだよ。使って欲しいって。そしたらあいつ怒り始めてさ」 「うんうん」  その間にイベリコハムとトマトとアンチョビのサラダ、レバーのムースを注文してくれた 「まあ、あんま詳しく言えないけど、あいつ小さい頃から苦労しててさ、それをほら友達のまっさんとか銀次っているだろ?そいつらの母親が全面的にたすけてくれてたんだよ。俺の母親も中学からは色々面倒見てたんだけど、てつやはその恩返しをしたいってずっと思ってて、今の生活になったわけさ。だから俺にも恩返しだから金なんかいらないって突っぱねられてさ…」 「ああ、あんたは自分の住む所の一部くらいは負担したいって所なわけか、なるほどねえ。まあ確かにそこはあんたに同調するわ」  やはり世間一般的にはそうなんだなと、胸を撫で下ろす…が、小林さんは続ける。 「でもあんたのやり口は不味かったんじゃないの?」 「へ?」  運ばれてきたお皿を受け取って並べながら小林さんは 「急に『これ使ってくれ』はないなあって思うよ」  取り皿にハムを分けてくれながらーそうじゃない?ーと言ってきた。 「ああ…まあ…」 「そんな話はさ、マンション建てて上に一緒に住む部屋も用意するって言う話になった時にするべきだったんじゃない?」  そう言われてーああ…そうだったかもなーと京介も思う。  確かにいくらでも言うタイミングはあった。忘れていたとは思わないけど、確かにタイミングを伺っていたのは自覚している。 「その時にじっくり話したら、そんな腑抜けになるようなことにはならなかったかもしれないじゃない」  てつやが拒むのは当たり前としても、いきなり通帳なんか出さずに払わせてくれないか?くらいから行った方がよかったってことか… 「サプライズのつもりでいたのかな俺…」 「まあそんなこと考えそうよね、あんた」  新たにサングリアを注文して、小林さんは塩対応。 「てつやを喜ばせたい、なんて気持ちだったんでしょうけど返って裏目に出ちゃってどうしよう〜〜ってなってる風に見える。ダサッ」  くすくすと笑ってジョッキとサングリアのグラスを交換して渡す。 「そんな滑稽か?」 「はい、滑稽です」  さすが同期。口さががなさすぎる… 「てつやくんの性格なんてわかってるんじゃないの?わかってなくて付き合ってんの?それとも愛で見えなくなっちゃってたかな〜?」  かなりなこと言われてるが、全部正論で返す言葉もない。  確かにまっさんがてつやと話してた時にも言ってたが、恩を返したい気持ちが大きいことや、それに向かって努力してきた姿も見てきていたはずだった。そんなてつやにいきなり通帳渡して『使ってくれ』は…今やっとやばいことだったと気づいた。 「まあ、さ。現実問題としては、さっきも言ったけどあなたの言ってることは間違ってないわよ。住む家には自分も出資したいわよね。男としても人としても。ただやり口がまずかったのよ」  京介の空いたジョッキを引いて、何飲むの?とメニューをかざしてきた小林さんに 「カヴァ(発泡ワイン)をボトルで、小林(おまえ)も飲みな。色も選んでいいよ」  と言いながら、少し思案タイム。  言われて気づくのもバカだったが、確かにやり口は不味かった…挽回しなければならないが、いったいどうやって挽回しようかが問題だった。 「そうやって別居なんていう言葉が社内で広まっちゃうと、あんた狙ってる女子がまた蠢き出すわよ」  面白そうに笑う小林さんに、 「それ田辺のこと言ってる?」 「まあ、それ筆頭に?」 「そんなにいるはずがねえ、それに田辺のことはもう大丈夫」  うわ、このハム美味いなー とイベリコハムを噛み締める 「あんた何かしたの?田辺に」 「したと言えばしたけど、そんな大したことじゃないよ」 「なにしたの?」 「内緒」 「何?そこまでいってあたしにも言わない気?」 「俺とてつやの問題だしね」  すこ〜〜しだけ光明が見え始めて、京介も少し元気が出てきたらしい。  最後までしつこく聞かれたが、逃げ切って、その日は解散となった。

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