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第11話 なんで忘れてんだああああ

「いや……。いや! いやいやいや!」 「なんだよ。広げていかねえと俺のチンコを全部呑み込めねえぞ」 「呑み込む予定ないわ! 全部入るかあんなもん」  力を振り絞り、尻を掴んでいる手を蹴り飛ばす。 「大人しくしろよ」 「黙れ! 万年発情期が。ゴミを外に放置しておけるか」  まだ余韻に震えそうになる身体を鞭打って起き上がり、ティッシュを何枚も引き抜き床を拭く。丸めてゴミ箱に捨て、新たに取ったティッシュで伸一郎の手も拭こうとした。 「ほら。汚れただろ」 「……」  手のひらから白濁液を拭き取る。 「っはぁー。マメだな。俺は精液を汚いとは思わねえよ」 「そりゃこの部屋よりは汚くないだろうけど」  ティッシュをゴミ箱に投げ、衣類を引き寄せ袖を通す。 「つーか粗大ごみの日じゃないのに、あのゴミ山どうすんだよ」 「ゴミ屋敷問題って、結構問題になってきているから。回収業者に頼めば個人のゴミでも引き取りにきてくれるサービスがあるんだよ」 「ほお?」 「だから、俺たちはゴミを分別して出しておけばいいの」  床に転がったせいで髪についた埃をぱっぱっと払う。次は三角巾も必要だな。  伸びてきた手に顎を掴まれると、ちゅっとキスされる。 「え? へ?」 「さて、掃除の続きするか」  腕をまくりアパートの階段を下りていく背中を追いかける。 「なんだ。やる気出てきたのか?」 「ああ。掃除が終われば尻拡張タイムだと思うと、燃えてきたわ」 「…………」  ここは階段。このまま背中を突き飛ばしてやろうかと割と本気で考えた。自分の尻を守るためには殺人も致し方ないかもしれない。 (……やめとこ。階段から落ちたくらいで死にそうにないし。こいつ)  舌打ちして分別作業に取り掛かる。意味不明なゴミが多いが、燃えるか燃えないかくらいは判断出来た。 「またお願いしまーす」  回収に来てくれた清掃員制服のお兄さんが、眩しい笑顔でトラックの運転席に乗り込み去って行く。  夕方。  トラックを見送ったふたりはアパートの部屋に戻り、一息ついた。 「…………」  一度座ると立てそうにない。フローリングに足を投げ出し、壁にもたれる。 「つっっかれた……」  息を吐き、肺の中を空にする。  まさか一日で片付くとは。  伸一郎がやる気を出したのが大きい。大きなものも引っ越し業者のようにすいすい運び出すため、人数が必要なかった。  くたばっているとずっと元気な不死身男が紙袋を漁る。 「昼飯も食わなかったな。カップ麺しかないけど、塩味と醤油、どっちにする?」 「……いや。帰るわ。そろそろ青空が帰ってくるし。夕飯の準備しないと」  洗濯物も干しっぱなしだし、やろうと思っていた風呂掃除も出来ていない。花壇の水やりや雑草抜き、あれやこれも……  エプロンを外すと伸一郎は意外そうな顔をした。 「え? 帰んの? 飯食って一発ヤってから泊っていくコースだろ?」 「そんなコースはない」  荷物を纏め、「お邪魔しました」と言って扉を開ける。くたびれたけど、これで火事になっても少しはマシだろ。  仏頂面の伸一郎がついてくる。 「忘れ物した?」 「送る。そんなフラフラで歩いていたら電柱やチンピラにぶつかるぞ」  ぐいっと彼女のように肩を抱かれる。  その手を叩き落とした。 「ああ?」 「肩を抱くな」 「じゃあどこを抱くんだよ。姫抱きしてやろうか?」 「歩けますぅー」  憎たらしく唇を尖らせオレンジ染まる街を歩く。でかい男前が目を惹くのか、通行人がちらちらと見てくる。 「なあ、藤行」 「はい?」 「明日も来るのか?」 「……なんだよその嫌そうな顔は。水回りの掃除に窓やフローリングも磨かないと。それと、壁に不気味なシミがあるから、ポスターか何かを貼って隠そう」  落ち着いてきた気温。生ぬるい風が髪を撫でていく。  そこまでしなくていいと思うが、掃除を始めたらピカピカにしないと落ち着かない。 「風呂もか? 殺人現場みたくなってんのに?」 「大丈夫。掃除道具は一通り揃ってるし。最近は擦らなくても汚れが落ちる洗剤なんてものもあるぞ」  背後で「オタクでブラコンでオカン属性まであんのかよ」と呆れた声が聞こえた。 「あー。ポスターならあるから、持ってこなくていい」 「え?」 「アニメのポスターなんぞ貼られたらたまらん」  藤行はぐっと親指を立てる。 「心配いらない。布教用のポスターだから」  俺の部屋用のポスターはしっかり貼ってあるし、保管用は大事に管理してある。それなのに特大のため息が聞こえた。 「なんだよ。保管用のポスターは駄目だぞ? あれは俺のだ」 「はああ~~」  会話するのも馬鹿らしいと言いたげに耳をほじっている。  我が家が近づいてくる。 「ここまででいいぞ。送ってくれてありがと」 「――」  伸一郎の口が何か言いたげに開いた時、背後から声をかけられた。 「兄ちゃん? ただいまー」  青空だ。振り返らなくても分かる。  弟の顔を見ると日常に戻ってきた感がすごくて、妙にホッとした。 「おお。お帰り。あ! すまん。すぐに夕飯の準備するから」 「あー。それはいいんだけど……誰?」  制服姿の弟が伸一郎を見上げる。 「あー、えーっと」  なんて言おうか迷っていると、伸一郎のデカい手が藤行と青空の頭に乗せられる。そのままぐしゃぐしゃ撫でまわすと「じゃあな」と片手を挙げて去って行った。 「「……」」  髪をぼさぼさにされた兄弟がぽかんと見送る。 「兄ちゃんの、知り合い?」 「ま、まあ、な……」  名前も本名なのか分からない相手だけれど、知り合い、でいいだろう。  夕飯は弟の好きなエビフライにした。  さくさく齧りながら弟がじっと見つめてくる。 「なんだよ。そんなに見ても兄ちゃんのエビフライはやらないぞ?」 「兄ちゃんさぁ。その首、どうした? 真っ赤じゃん」  とんとんと自身の首を指差す弟。ごぼっとお茶を吹き出す兄。  忘れていた。伸一郎あの野郎にキスマークを付けられていたことを。  手でばっと赤い花を隠す。見られたという羞恥が沸き上がり沸騰したやかんのような音を奏でる。  食事中だが、がたっと立ち上がった。ふらふらと玄関に向かう。 「お、お兄ちゃんちょっと、旅に出るわ」 「なんで? 薬塗れよ。夏なんだしそういうことあるって」  蚊に刺されたと思っているようでホッとした。いや全然ホッとできない。なんで忘れてたんだ自分。回収業者のお兄さんや帰るときにすれ違った人にも見られたってことだよなああああ~。  両手で顔を覆い蹲っていると、薬を持ってきてくれた青空が隣にしゃがむ。 「そんな痒いの? 塗ってあげるよ」  蓋を開けて薬を指で掬い、首筋に塗ってくれる。なんていい子なんだ。  でもくすぐったい。 「あ、ありがと。大丈夫。自分で塗るよ」  虫刺されではないので、かゆみ止めを塗るのは勿体無い。部屋でワセリンを塗ろう。受け取った薬の蓋を閉める。 「俺も気をつけないとな~。体育館にいるときは良いけど、外走るときとか。草の多い河川敷通る時あるし」 「虫もだけど、車にも気をつけろよ」 「兄ちゃん。心配しすぎ。でもありがと。気持ちは嬉しいよ」  そう言ってちゅっとおでこにキスしてくる。  わあ。可愛い。 「こら! どこで覚えてきた」 「……あ。キモかった? ごめん……」  しゅんと肩を落とす弟の肩を掴んで前後に揺さぶる。 「目ぇ回る目ぇ回る」 「そんなわけないだろ! でも、人前ではしないでくれよ」 「うん。ありがと兄ちゃん。あ、兄ちゃんもしてくれていいよ?」  さっと前髪を上げてニキビのあるおでこを晒す。高校生にもなって、子どもっぽいんだから。  のほほんとなる顔を必死で引き締め、藤行もおでこにキスを返す。 「ありがと。車に気をつけるよ」 「うんうん。俺も応援してるからな」  可愛い弟につい、でれでれと表情を緩ませそうになる。兄の威厳のために我慢した。

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