15 / 43

第15話 アパートの住人

 尻を蹴って性欲オバケをキッチンから追い出す。 「なんだよ。お前が俺の服着てるからビビるほどそそられるんだよ。チンコの疼きをなんとかしろ」 「知るか!」  塩撒いてやろうか。  舌打ちしながらレンジに向かう伸一郎にため息をつく。 (考えないようにしてるのに! 人の気も知らないで)  だぼだぼの彼の服。それに包まれているかと思うと、恥ずかしいやらにやけそうになるやらで、表情筋を押さえるの大変なのに。  冷蔵庫でしなびていたレタスをざっと洗い、手で千切って大皿に。きゅうりは薄く切って完成。まさかのマヨネーズ不在のため味付けはなし。  ひとまずサラダだけ持って行く。 「カレーはもうちょっと待ってね」 「おう」  テレビはお昼のバラエティー番組を流していた。藤行も正座して見てみる。火をつけているのでちょっとだけ。 「これいつも見てるの?」 「いや? たまたまつけただけ」  流し見をしているので頭には入ってなさそうだ。 「ねえ、伸一郎さん」 「あ?」  こちらを見ない空返事だが、返事をしたと言うことは聞いているんだろう。 「一度座ったら疲れて立てなくなったから、鍋にルーを入れてきて」  くいっとキッチンを指差す。 「……」  二度見されたが伸一郎はのそりとキッチンへ歩いていく。  疲れさせた自覚はあるようだ。 「一箱全部ぶち込むのか?」 「鍋の横に置いてあるやつだけ入れて」  キッチンが近いので少し大きな声を出すだけで会話可能。  チンしたご飯を皿に盛り、ルーをかけた夏野菜カレー。  二皿持って伸一郎が戻ってくる。 「ありがと」 「ほい。スプーン」  銀の大きなスプーンを受け取る。伸一郎は割り箸をぱちんっと割っていた。 「箸で食べる派なの?」 「スプーン一個しかない」  もぐもぐ。しばし無心でカレーを貪っていく。めちゃくちゃお腹が空いた。  サラダのレタスも食べようとしてスプーンを伸ばすが、なかなかうまく乗っかってくれない。  もたもたしていると伸びてきた箸がレタスときゅうりを挟み、藤行の口の前で停止する。 「へ?」 「ほれ。あーーん」  じっと箸を見つめていると、ようやく理解が追い付いた。  あ、あ、ああああっ⁉  あーんとか、してくれるの?  ぼふっと真っ赤になった藤行に顔を背ける。  広い肩が小刻みに揺れている。 「この程度で、お、お前……」 「笑うな! う……。あ、ありがと」  ぱくっと野菜を食べる。  カレー一色だった口内を、野菜の瑞々しさが洗い流してくれる。しなびていたレタスも美味しいじゃん。 「美味しい」 「あほ面……」  げしっと伸一郎の太ももを蹴っておく。  蹴られたというのにダメージが無いような彼は涼しい顔でカレーを食べている。 「しかしうめえな」 「っ……そう」  たった一言なのに窓を開けて叫びたくなるくらい嬉しくなった。 「でもこれ全部伸一郎さんの野菜だし、お金払うべき?」  また二万とかふざけたことを言うと思っていたが、 「いらね。お前がいなかったらカレー食えなかったんだし」  皿を持ち上げてかき込んでいく豪快男。  意外な返答にスプーンを持つ手が止まる。 「伸一郎さん……。どっか打った?」 「本当に二万円請求してやろうか?」  お返しとばかりに太ももを蹴ってくるが、つんっと触れるような威力だった。なにそれ可愛い。  三つの皿が空になり、ぼーっとバラエティー番組をふたりして眺めているとトイレに行きたくなる。 (あれ? この部屋トイレあったっけ?)  掃除の時一通り、すべての扉を開けたがトイレは無かった気がする。  彼の服の裾を引っ張る。 「伸一郎さん。トイレってどこ?」 「……ああ? それなら一階の共同トイレしかないぞ?」  信じられないことを言われ口が閉じられない。  令和だよね? 今。 「えええっ? そん、そんな馬鹿な? 不便じゃないの?」 「大家がトイレ付け忘れたって言ってた」  伸一郎は特に気にならないのか、テーブルに頬杖をついている。 「なんだ? トイレ行きたいのか?」 「うん……」 「チッ。部屋にトイレあったら限界まで我慢させて、放尿するところ眺められたんだがな」 「通報されろお前ぇ!」  大家さん。ありがとう。  ぷんぷん怒りながら飛び出して共同トイレとやらを探す。  外観は公園などによくあるようなものだったが、中は意外ときれいだった。おかげで俺でも使用することができた。  手を洗い、ハンカチ……を探すがそもそもポケットが無い。これ、彼の服だった。  伸一郎の服で出てきてしまった。 「うう。ま、いっか」  ぱっぱっと手についた水気を払う。  鏡でちょいちょいとついでに前髪を直していると、鏡の中の俺の後ろを誰かが通り過ぎた。  目だけで追っているとアパートの住民なのか、慣れた様子で個室に入っていく。スーツ姿の男。 (びっくりした……)  足音が無かった。  自分でも驚きすぎだろと苦笑いを浮かべていると、キィっと個室の扉がわずかに開いた。 「?」  反射的にそちらに視線を向けると、スーツ男が顔だけ出し藤行をじっと見つめていた。  申し訳ないが即行で走り去った。  両腕を意味もなく振り回し階段を駆け上がる。  角部屋に飛び込んだ。 「うえええええん」 「藤行?」  胸に飛び込み、伸一郎にしがみつく。  電話中だったようで。スマホ片手の彼には申し訳なく思ったが、離れることが出来ずくっついたままかたかたと震える。 「?」  鬱陶しいだろうに。しかし引き剥がすことはせず、大きな手は頭を撫でてくれた。  スマホの向こうから、訝しむような声がする。 『ちょっと? 伸一郎ちゃん? どうしたの? まさか! アタシ以外を家に入れてるんじゃないでしょうね?』 「だからそういう彼氏面をやめろって言ってんだろ。切るぞ」 『あ。待ちなさ』  躊躇なく通話を切り、スマホをテーブルに置く。  両腕がしっかりと抱きしめてくれる。それだけで泣きそうなほど嬉しかった。 「藤行? どうした?」 「あばばばばば。スーツが……顔が……」  お化け屋敷より怖かった。昼間じゃなかったら気絶していたかもしれない。  伸一郎は今の説明だけでピンときたようだった。 「もしかしてスーツの男がトイレの個室から顔だけ出していたのか?」 「見てたの?」  ばっと顔を上げると、彼はテレビを見ていた。なんだよ。こっち見ろよ。 「あのスーツ野郎。個室に入る時じっと見てくるんだよ」 「なんで?」 「知らん。どうでもいい」  このアパートの住人、クセ強すぎないか?  落ち着いてきたので離れようとするが、逞しい腕が放してくれない。それがまた嬉しくて、にやけそうになる顔をうつむいて隠す。こんなことで機嫌が直ってしまう自分に呆れる。 「電話中だった? 悪かったな」 「いや、いい。それよりアパートの住人、基本変人だが無害だぞ。怖がらなくていい」  子どもに言い聞かせるような声音に固まる。こんな声も出せるんだな。 「……あ」  今更ながらこの男にくっついているのが恥ずかしくなってきた。  友人でもないのに、甘えすぎだろ。 「も、もう大丈夫」 「そうか?」  今度は簡単に腕が離れた。 「で? この後の予定は?」 「もしかして伸一郎さん。掃除楽しくなってきた?」  彼は何も言わず目を逸らしただけだった。図星だったかな? 「洗濯機の服が乾くまでこまかいとこ掃除してよう」 「はあ? 第二ラウンドはいつやるんだよ」 「しつこいんだよ!」  そんなに身体を求められても嬉しい……わけないだろっ! 「でもこの調子だと、今日中に掃除終わりそうだな」
0
いいね
0
萌えた
0
切ない
0
エロい
0
尊い
リアクションとは?
ロード中

ともだちにシェアしよう!