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第15話 アパートの住人
尻を蹴って性欲オバケをキッチンから追い出す。
「なんだよ。お前が俺の服着てるからビビるほどそそられるんだよ。チンコの疼きをなんとかしろ」
「知るか!」
塩撒いてやろうか。
舌打ちしながらレンジに向かう伸一郎にため息をつく。
(考えないようにしてるのに! 人の気も知らないで)
だぼだぼの彼の服。それに包まれているかと思うと、恥ずかしいやらにやけそうになるやらで、表情筋を押さえるの大変なのに。
冷蔵庫でしなびていたレタスをざっと洗い、手で千切って大皿に。きゅうりは薄く切って完成。まさかのマヨネーズ不在のため味付けはなし。
ひとまずサラダだけ持って行く。
「カレーはもうちょっと待ってね」
「おう」
テレビはお昼のバラエティー番組を流していた。藤行も正座して見てみる。火をつけているのでちょっとだけ。
「これいつも見てるの?」
「いや? たまたまつけただけ」
流し見をしているので頭には入ってなさそうだ。
「ねえ、伸一郎さん」
「あ?」
こちらを見ない空返事だが、返事をしたと言うことは聞いているんだろう。
「一度座ったら疲れて立てなくなったから、鍋にルーを入れてきて」
くいっとキッチンを指差す。
「……」
二度見されたが伸一郎はのそりとキッチンへ歩いていく。
疲れさせた自覚はあるようだ。
「一箱全部ぶち込むのか?」
「鍋の横に置いてあるやつだけ入れて」
キッチンが近いので少し大きな声を出すだけで会話可能。
チンしたご飯を皿に盛り、ルーをかけた夏野菜カレー。
二皿持って伸一郎が戻ってくる。
「ありがと」
「ほい。スプーン」
銀の大きなスプーンを受け取る。伸一郎は割り箸をぱちんっと割っていた。
「箸で食べる派なの?」
「スプーン一個しかない」
もぐもぐ。しばし無心でカレーを貪っていく。めちゃくちゃお腹が空いた。
サラダのレタスも食べようとしてスプーンを伸ばすが、なかなかうまく乗っかってくれない。
もたもたしていると伸びてきた箸がレタスときゅうりを挟み、藤行の口の前で停止する。
「へ?」
「ほれ。あーーん」
じっと箸を見つめていると、ようやく理解が追い付いた。
あ、あ、ああああっ⁉
あーんとか、してくれるの?
ぼふっと真っ赤になった藤行に顔を背ける。
広い肩が小刻みに揺れている。
「この程度で、お、お前……」
「笑うな! う……。あ、ありがと」
ぱくっと野菜を食べる。
カレー一色だった口内を、野菜の瑞々しさが洗い流してくれる。しなびていたレタスも美味しいじゃん。
「美味しい」
「あほ面……」
げしっと伸一郎の太ももを蹴っておく。
蹴られたというのにダメージが無いような彼は涼しい顔でカレーを食べている。
「しかしうめえな」
「っ……そう」
たった一言なのに窓を開けて叫びたくなるくらい嬉しくなった。
「でもこれ全部伸一郎さんの野菜だし、お金払うべき?」
また二万とかふざけたことを言うと思っていたが、
「いらね。お前がいなかったらカレー食えなかったんだし」
皿を持ち上げてかき込んでいく豪快男。
意外な返答にスプーンを持つ手が止まる。
「伸一郎さん……。どっか打った?」
「本当に二万円請求してやろうか?」
お返しとばかりに太ももを蹴ってくるが、つんっと触れるような威力だった。なにそれ可愛い。
三つの皿が空になり、ぼーっとバラエティー番組をふたりして眺めているとトイレに行きたくなる。
(あれ? この部屋トイレあったっけ?)
掃除の時一通り、すべての扉を開けたがトイレは無かった気がする。
彼の服の裾を引っ張る。
「伸一郎さん。トイレってどこ?」
「……ああ? それなら一階の共同トイレしかないぞ?」
信じられないことを言われ口が閉じられない。
令和だよね? 今。
「えええっ? そん、そんな馬鹿な? 不便じゃないの?」
「大家がトイレ付け忘れたって言ってた」
伸一郎は特に気にならないのか、テーブルに頬杖をついている。
「なんだ? トイレ行きたいのか?」
「うん……」
「チッ。部屋にトイレあったら限界まで我慢させて、放尿するところ眺められたんだがな」
「通報されろお前ぇ!」
大家さん。ありがとう。
ぷんぷん怒りながら飛び出して共同トイレとやらを探す。
外観は公園などによくあるようなものだったが、中は意外ときれいだった。おかげで俺でも使用することができた。
手を洗い、ハンカチ……を探すがそもそもポケットが無い。これ、彼の服だった。
伸一郎の服で出てきてしまった。
「うう。ま、いっか」
ぱっぱっと手についた水気を払う。
鏡でちょいちょいとついでに前髪を直していると、鏡の中の俺の後ろを誰かが通り過ぎた。
目だけで追っているとアパートの住民なのか、慣れた様子で個室に入っていく。スーツ姿の男。
(びっくりした……)
足音が無かった。
自分でも驚きすぎだろと苦笑いを浮かべていると、キィっと個室の扉がわずかに開いた。
「?」
反射的にそちらに視線を向けると、スーツ男が顔だけ出し藤行をじっと見つめていた。
申し訳ないが即行で走り去った。
両腕を意味もなく振り回し階段を駆け上がる。
角部屋に飛び込んだ。
「うえええええん」
「藤行?」
胸に飛び込み、伸一郎にしがみつく。
電話中だったようで。スマホ片手の彼には申し訳なく思ったが、離れることが出来ずくっついたままかたかたと震える。
「?」
鬱陶しいだろうに。しかし引き剥がすことはせず、大きな手は頭を撫でてくれた。
スマホの向こうから、訝しむような声がする。
『ちょっと? 伸一郎ちゃん? どうしたの? まさか! アタシ以外を家に入れてるんじゃないでしょうね?』
「だからそういう彼氏面をやめろって言ってんだろ。切るぞ」
『あ。待ちなさ』
躊躇なく通話を切り、スマホをテーブルに置く。
両腕がしっかりと抱きしめてくれる。それだけで泣きそうなほど嬉しかった。
「藤行? どうした?」
「あばばばばば。スーツが……顔が……」
お化け屋敷より怖かった。昼間じゃなかったら気絶していたかもしれない。
伸一郎は今の説明だけでピンときたようだった。
「もしかしてスーツの男がトイレの個室から顔だけ出していたのか?」
「見てたの?」
ばっと顔を上げると、彼はテレビを見ていた。なんだよ。こっち見ろよ。
「あのスーツ野郎。個室に入る時じっと見てくるんだよ」
「なんで?」
「知らん。どうでもいい」
このアパートの住人、クセ強すぎないか?
落ち着いてきたので離れようとするが、逞しい腕が放してくれない。それがまた嬉しくて、にやけそうになる顔をうつむいて隠す。こんなことで機嫌が直ってしまう自分に呆れる。
「電話中だった? 悪かったな」
「いや、いい。それよりアパートの住人、基本変人だが無害だぞ。怖がらなくていい」
子どもに言い聞かせるような声音に固まる。こんな声も出せるんだな。
「……あ」
今更ながらこの男にくっついているのが恥ずかしくなってきた。
友人でもないのに、甘えすぎだろ。
「も、もう大丈夫」
「そうか?」
今度は簡単に腕が離れた。
「で? この後の予定は?」
「もしかして伸一郎さん。掃除楽しくなってきた?」
彼は何も言わず目を逸らしただけだった。図星だったかな?
「洗濯機の服が乾くまでこまかいとこ掃除してよう」
「はあ? 第二ラウンドはいつやるんだよ」
「しつこいんだよ!」
そんなに身体を求められても嬉しい……わけないだろっ!
「でもこの調子だと、今日中に掃除終わりそうだな」
ロード中
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