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第16話 感謝の言葉より
「お前も体力ある方だよな」
後回しにしていた廊下と玄関の掃除中。
高いところにある蜘蛛の巣を除去していた伸一郎を振り返る。
「そう?」
「帰ってからも家事するんだろ? なかなか元気じゃん」
踏み台(ビール瓶を入れておくあれ)を使って高いところの埃を落としながら「そんなすごくないよ」とぼやく。
「帰ったらヘロヘロだよ。でも弟の事を思うと元気が湧いてくるんだ」
「ブラコン」
なんか腹立つ言葉が聞こえた。
「なんだよ。伸一郎さんは兄弟とかいないのか?」
「一人っ子」
そんな気はした。
「てか、そのパワーを風呂場で使えよ。早々にダウンしやがって」
「っ」
今、風呂場の話をされると相当恥ずかしい。冷静に考えると風呂場で何してたんだ自分。
真っ赤になって拳を握る。
「やめて! 思い出すと火が出る」
「なにが恥ずかしいんだよ。俺は消化不良だったぞ。もっとあれやこれやしたかったのに」
「やめろって言ってるだろ」
ため息をつく性欲魔人の尻を、踏み台から降りて蹴り飛ばす。
「いてえな」
ぎろりと睨まれるが藤行は気丈に腕を組む。
「そんな睨んでも怖くないぞ」
顔つきの割にこの男は暴力を振るってこない。もう分かってるんだぜ!
ふふんと勝ち誇った顔で笑う。
「……ほおおぉお?」
伸一郎の手から蜘蛛の巣除去棒が落ち、ぴくぴくと目元が痙攣する。
「伸、一郎さん?」
あ、あれ? なんか雰囲気が。
じりっと後退るが遅かった。逃げる間もなく抱き上げられ、ラグの上に横たえられる。
「……っ」
「学習しねぇな。お前」
「え? だって」
殴ったりしないよね?
内心ビビり散らかしながらも、ぐっと悲鳴を堪え真っすぐに目を見る。
確かに彼は暴力を振るってこなかった。
ただ――めちゃくちゃ横腹をくすぐられた。
「ああああだめえええ! ひゃあああッ。やめえええあはひゃはははっぶぼ」
「従順になるよう、躾てやろうか?」
「うわあああ。だめだめだめっ! ごめ、ひピイいいィィいい」
全力で暴れるも熊の尻の下で兎がもがいてるくらい効果がない。
くすぐり地獄は藤行の声がかすれても続き、終わったのは洗濯機が「すすぎ洗い完了」を報せた時だった。
「――っあ。……ぁあ、はあ、も、やらあ……」
「ふん」
気が済んだのか、軽くキスを落とすとカゴを持って洗濯機に歩いていく。
それをぼんやり見送っていると、疲れもあり眠っていた。
目覚めるなり「日が沈んでる!」と元気いっぱい喚く藤行。
ビール片手にテレビをぼんやり眺めていた伸一郎は喧しそうに欠伸をする。
「なんで起こしてくれないんだよ!」
熱中症にならないようクーラー入れて服が布団代わりに乗っけてあった。快適過ぎて熟睡してしまったようだ。
上半身裸の伸一郎はテーブルに置いてあったものを渡してくる。
「お前の服」
差し出された服は乾いており、ぐしゃっと畳まれていた。
「……。あ、えっと。服干して仕舞っておいてくれたの?」
「その服を干すの、かーなり恥ずかったけどな」
むすっとしかけるもここまでしてもらったのに喚いたことが申し訳なく、おずおずと頭を下げる。
「ありがと」
頭を上げると同時に腕を掴んで引き寄せられ、ちゅっとキスされる。
「ほがっ!」
「はっ。感謝の言葉より俺はこっちの方が嬉しいかな」
苦いビール風味のキス。
慌てて距離を取り、部屋の隅で自分の服に着替える。
「なんだよ。テレビの前で着替えろよ。見といてやるから」
「変なこと言うな。妖怪!」
「妖怪……?」
ばたばたと自分の鞄に脱いだ服と掃除道具を詰め、帰る支度をする。
「おい。俺の服まで持って帰る気か?」
「洗濯して返すよ」
「あっそ」
鞄を持って玄関で靴を履く。
「……」
もしかしてと思い振り返ると、伸一郎がついてきていた。
「送る」
「いいよ別に。近いんだし……一人で……」
言ってる間に靴を履いてさっさと外へ行ってしまう伸一郎。
(散歩したいんかな?)
それか、チンピラと電信柱にぶつかった俺を心配してくれているのか。扉を一歩出ると、蒸し暑い夕方の空気。
小走りで隣に並び、彼を見上げる。
「ラーメン控えろよ?」
「藤行。お前スマホ持ってる?」
「は?」
持ってるに決まっている。
鞄から取り出し自慢げに見せる。
「落としても壊れないタフネススマホだぞ。何度か笑えない高さから落としたことあるけど、ヒビも入らない」
「お前どんくさいもんな」
失礼なことを言われ、スマホを取り上げられる。
「あ、おい」
しかも勝手に操作している。
文句を言う前に返却された。
「何したの? あれ? 登録されてる」
「俺の連絡先入れといたから」
「なんで? 俺ら友人でもないよな?」
伸一郎は不思議そうな顔をした。
「は? 寝ぼけてんのか? お前これからずっと飯作りにくるんだろ? 通い妻……だっけ?」
「……はあ?」
結構大きめの「はあ?」が出た。そのせいで歩いている人がちらっと目を向けてくる。
街中じゃなかったら「お前の妻になった覚えは無い」と叫んでいる。
「なんで毎日飯を……。家族の分だけでも大変だっつうのに!」
「それと今度どっか遊びに行こうぜ。どこがいい?」
「聞けや!」
すれ違う人がジロジロ見てくるが、肝心の男が一切こちらを見ない。歩きスマホをしながら夏休みでも空いてそうな場所を探している。
「歩きスマホやめろ。お前にぶつかった自転車が怪我するだろ」
「自転車が怪我するってなんだ?」
やめさせようと手を伸ばすも、伸一郎が手をあげただけで彼のスマホは遥か上空。
「てめー!」
背伸びして手を伸ばすがギリ届かない。
「チビ」
「平均以上はありますぅー」
悔しくて尻を蹴っていると家に着いた。電気がついている。
「やば。もうどっちか帰ってる。晩飯! じゃあな。伸一郎さん。送ってくれてありがと」
「だから」
あきれ顔で近づき、唇を重ねられる。
「……ッ……⁉ ……が」
「言葉よりキスしろって。じゃあな」
やりたい放題すると去って行く。
「か、かっか……!」
こんな近所の目がある所でででで!
やる事は山ほどあるのに、しばらくその場から動けなかった。
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