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第17話 夏だ! 海だ! 不穏な空気

🐻   もうすぐ夏休み。  それだけで弟の青空は毎日機嫌がいい。 「合宿場。海の近くに変更したんだ! 監督が泳ぐぞ! って張り切っててさー」  うきうきした様子で報告してくる笑顔に、藤行まで嬉しくなる。 「山の中の合宿場からがらりと変わったな」 「山も好きだけどね。空気マジでいいし川もあるし。でも、海なら! ひ、ひ」 「?」  青空は急にテンションを落としてもじもじし出す。 「光先輩の水着、見れるかなって」  うおああああっ。青春してる。  弟が眩しくて目を細める。藤行はろくに部活動をしたことがなかった。中学高校と、授業が終われば飛んで帰って家の事をする。恋人も作れずいまだに(リアルで)恋した人が小学生のここあちゃんで止まっているのだ。  なので、弟には目一杯青春を謳歌してもらいたい。  こっちまで充実した気分になれるぜ。  でも兄として言うべきことは言っておかないと。 「海に入る前は準備運動しろよ? 絶対一人で海に入るなよ。もし鮫が出ても焦らずに他の人を囮にするんだぞ」 「笑顔でそれを言う兄ちゃんがこええよ……」  心配性の兄に苦笑する。 「はあぁ。でも光先輩。ビキニ着てくれるといいなぁー」 「俺はスク水が好きだぜ? アロエちゃんが着てるしな」 「……」  なんで黙るんだ? 弟。  するとフンッと親父が鼻を鳴らしたのが聞こえた。 「うるさいぞお前ら。父さんは仕事で疲れてるんだ。藤行。これをクリーニングに出しておけ。いいか? 青空。バスケ部のエースは死守するんだぞ? 合宿に浮かれてエースの座から落ちるなんて、みっともないことをするなよ!」  荒々しく扉を閉める。  部屋に戻った父親に弟がぽかんとしている。 「どうしたんだ? 親父。最近ぴりぴりしてないか? うぜぇな」  父から受け取った仕事着を畳みながら言う。 「当たり前だろ。青空が泊まりに行くんだ。心配でしょうがないんだよ」 「……」  弟は何か言いたそうだったが「宿題がある」と言って部屋に引っ込んでいく。 (宿題するなんて偉いなぁ)  世界一偉いかもしれん。 「よっしゃ。俺はこの数日出来なかった草むしりをするか」  夏の雑草って一日でも放置したら森になるな。  近所のスーパーの青果売り場で、まさかの人物と鉢会った。 「伸一郎さん?」 「あ? ……おお。藤行か」  声をかけるとムスッとした顔で振り向いた。だが藤行の顔を見ると口元がうっすらと笑みの形になる。  だらしのないシャツとスウェットのズボン。遠くからでも目立つ長身。奥様方がちらちら見ていく身体つき。垂れ目なのに人相が悪いという矛盾した顔面。  買い物かごを片手に果物を物色している。 「ラーメンに憑りつかれてたのに。お祓いできたの?」 「買っておけばお前がいつ来ても、飯作れるだろ?」  自分で作る用、ではないようだ。  だんだんと地団太を踏む。 「俺は、作りに、行かないぞ!」 「それよか決めたか? 夏休みどこに行くか」  藤行は諦めて朝の会話を思い出す。 「聞いてくれよ。俺の弟が夏休み合宿で海に行くんだぜ?」 「海に行きたいのか?」 「弟の話してんだろが! 黙って聞け」  せっかく世界一可愛い弟の話をしてやっているのに、伸一郎はウンザリした顔で果物をカゴにぽいぽい放り込んでいく。 「おじいさまたちから果物は届かないのか?」 「たまに届くが今はストックがない」  藤行も弟の苦手な野菜たちをカゴに収めていく。 「というか、夏休み遊びに行く時間の余裕なんかないぞ? 俺」 「旅行興味ないのか?」  ぐっと言葉に詰まる。  そりゃあたまには羽目を外して遊びに行きたい。 「でも、あんまり遠くには……」 「近場で一泊くらいなら出来るんじゃねえの?」 「そのくらいなら、まあ。その前に伸一郎さん。お金あるの?」  疑わしい目で見上げると、余裕の笑みが帰ってくる。 「臨時収入があってな。金の心配はいらね。むしろお前の分も出してやるよ」 「銀行を強盗でもした?」  デコピンされた。 「あいって!」 「勝ったんだよ。競馬に」 「……あ、うん。良かったね」  レジで精算を済ませ、スーパーの外にあるベンチに並んで腰掛ける。またスマホを取られた。 「じゃ、この日の朝七時に待ち合わせな」 「やけに楽しそうだね。旅行とか好きなの?」 「ああ。旅館で温泉入ったら浴衣に着替えるだろ?」 「まあ、好きな人は浴衣着るかもね」 「浴衣姿のお前を抱けるチャンスじゃないか」 「……」  一気に行きたくなくなったんだけど。  そうだ。スタンガン持って行こう。  この日は約束だけして別れた。 🐻  数日後の夕方。  忙しない朝と違ってゆったりできる家族団らんの時間。  我が家全員の好物、カニクリームコロッケが食卓に並ぶ。  帰ってきてもぴりぴりしている親父が不穏な空気垂れ流している。 「このスーパーのカニクリームコロッケ、美味しいよな」 「そうだなぁ。兄ちゃんも好きだ。でもいつか手作りできるようになりたいな」 「え? カニクリームコロッケって作れるの? 家で」  フォークを握ったまま弟が目を丸くしている。  揚げ物は油の処理が途方もなくめんどくさい。だが昔よりは楽になったとは思う。「カタメール凝固剤(商品名)」で固形に出来る。 「兄ちゃんの手作りめっちゃ楽しみ!」  おいおいおい。可愛いこと言ってくれるじゃないか。 「ふっ。まかせろ」 「カニは? どうすんの?」 「カニカマ! なんと『みらくる練り物ちくわちゃん』とコラボしているんだぞ。いっぱい食べてシール集めて光る! ちくわちゃんぬいぐるみを当てるんだ」 「……」  なんで黙るんだ弟。 「そういえばさあ。兄ちゃん。あれから……しん、いちろーさん、だっけ? と会ってるの?」  ぱちりと瞬きする。 「え? なんで?」 「いや。兄ちゃんの友達とか見たことなかったから、強烈に記憶に残ってる。仲良くしているのかなって」  青空は友人が多い。いつも人に囲まれている。明るく根が素直で運動神経もいいから納得なのだが、俺に親友とかはいない。そんな兄と親しくしている人が急に出ていたら、そりゃ驚くか。  藤行は笑顔で頷く。 「まあ、な。実は……」  旅行に行くことを伝えておかなくては。  わいわい話していると親父がどんっと拳で机を叩いた。 「「……」」  一瞬静まり返るも、すぐに話し出す青空。 「伸一郎さん。めちゃくちゃでかくて驚いたよ。バスケとかやってたのかな?」 「あーどうだろうな。あのガタイだし、何かやってたんじゃないか?」 「誘ったらワンオンワンやってくれないかなー」 「ワンオン……? ああ。一対一か。どうした?」  弟は尖った唇でコーラにさしたストローを吸う。 「だーって。最近張り合いのある相手がいないんだもん」  上達の早い弟はすぐにうまくなるがその分、飽きるのも早い。様々な大会で賞をもらい部屋はトロフィーがずらり。だがどれも一年ちょっとでやめてしまっている。  今のところ、バスケが一番長続きしているのでついに没頭できるものが見つかったかと安堵していたが。 「飽きてきたのか?」 「え? いや、『まだ』楽しいとは思えるけど、この先どうなるか、わかんねえし~」 「ふふっ。まあ、色々やってみるのもいいんじゃないか」 「……そうだよな。俺また水泳やりたいと思って……」   「静かにしろ、お前ら! ご飯中にぺちゃくちゃ話すな」  急に怒鳴り出す父親に藤行は目を丸くし、青空は小さく舌打ちした。 「うっせえよ、親父」 「青空! 父親に向かってなんだその口の利き方は。藤行! お前。変な奴とつるんでいるんじゃないだろうな。誰だ! その、なんとかいう奴は」 「変な奴?」  うーん。変な奴と言われたら変だし。変というか変態……だけど。 「それがどうかしたのか?」 「どっ……! どうかしたのか? だと? お前はふらふら流されやすいんだから、友人が出来たら俺に紹介しろと言っただろ。もう忘れたのか!」 「……」  親父の中で俺の成長は何歳で止まっているのだろうか。白目を剥きそうになった。  確かに友人だと思って仲良くしていた相手がヤベェ奴だったことはある。幼稚園……あれ、小学生の時だったかな? もう覚えていない。俺も怖くなってそれ以来友人が出来たらきちんと紹介してきたし、なるべく友人を作らないようにしてきたけど…… (俺もう二十歳過ぎてんだぜ?)  口元が引きつる。 「一回家に連れて来い! 俺が見定めてやる」  良いけど親父驚くと思うぞ。なんつったって人間の服着た熊だし。森に返して来いと言われそうだ。  青空が馬鹿馬鹿しそうに頬杖をつく。 「親父ー。兄ちゃんに過干渉すぎじゃね? 確かに自慢の兄ちゃんだけど、もう二十歳超えた男だぜ?」 「青、空……」  ぶわっと涙があふれる。自慢の兄ちゃん……自慢の……じまん……(エコー)  我が人生に悔いなし。 「ほら。兄ちゃん泣いちゃったじゃん」 「生意気な口を利くな、青空! だいたいなんだお前は。部活をころころしおって。一つの場所で頑張れないようでは社会に出てやっていけんぞ。俺が若い頃はな!」  まーた始まった、と言わんばかりにため息をつく。 「あのさ。仕事で嫌なことがあったのは可哀想だけど、俺らに当たるのは違うくない?」 「なんだと‼」  ガタっと立ち上がるが、弟はそちらを見もしない。 「自分の機嫌くらい自分で取れよなー。いっつもそうじゃん。俺らで憂さ晴らしして。親父いくつなんだよ」 「青空っ! お前という奴は……」 「なんだよ? やんのか?」  椅子を蹴っ飛ばして立ち上がる次男に、親父は一瞬だけたじろいだ。昔は親父が怒ると泣いて怖がっていた弟だが、今やもう高校生。身長も伸び、毎日部活でトレーニングも積んでいる。殴り合いになればいい勝負になるだろう。  ……なんて、のんきにポカリを飲んでいる場合ではない。 「はいはいはい。やめろやめろ。ご飯中に暴れるな。飯に埃が入る」  今にも殴り合いが開始しそうな二人の間に割って入る。 「どけ! 藤行」 「兄ちゃんに怒鳴るなよ」  守るように弟が抱きしめてくる。可愛い嬉しい。  藤行は満面の笑みで弟を抱きしめ返すが――ふと時計が目に入った。 「アッ! アロエちゃんが始まってまう!」  スリッパが脱げるのも構わずテレビの前にスライディング。ぽちっとリモコンを押すとポップな歌が流れた。 「うわあああ! 今週も可愛いいい~」  びっくりするほど可愛い。びっくりした。  アロエちゃんカラーのペンライトを両手に持ち、熱唱しながら完コピした振り付けを披露する。オープニングやエンディングで踊るアニメ、増えたよな。 「「……」」  親父たちは無言で席に戻った。

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