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第19話 恥ずかしい。恥ずかしすぎる!
※前の話を飛ばした人用のあらすじ。
夏休み。
ドタバタの朝。何か忘れているような気がする。
我が家のチャイムが鳴った。
ピンポーン
二度目のチャイムが鳴る。
「なんだ? こんな時間に非常識な」
ため息をつきながら父親が扉を開ける。
ピンポーン
「はいはい。どちら様……」
ガチャッと扉を開けた平均以上ある父の視線が上を向く。
長身のため日光を遮る圧倒的日陰生産男。
「……」
口を開けて固まる父親。静かになったことを不審に思い、長男と次男がばたばたとやってくる。
「どうした? 親父……あっ!」
「お。兄ちゃんの友人の人」
不穏な垂れ目が藤行を見つけると「邪魔するぞ」と言って上がり込んでくる。
「し、伸一郎さ……」
「何やってんだお前。今何時だと思ってんだオイ」
彼のこんな低音ボイスは聞いたことがない。だが怖がるより先に約束を思い出した藤行は飛び上がる。
「ああ! しまっ……今何時だ」
菜箸を持ったままだった藤行はリビングの時計を確認する。約束の時間は三十分も過ぎていた。
「ああ、そうじゃん。兄ちゃん旅行行くって言ってたな」
ぽんっと手を叩いている青空。
長男が石像化していると我に返った父親が伸一郎に詰め寄る。
「お、おい。なんだお前は。藤行のなんだ」
「あ? セフレに決まってんだろ」
「ギャア――――ッ」
固まっている場合ではない。悲鳴を上げながらなんでも言いそうな口を塞ぐ。
な、なんてことを言うんだこの男は! 持っていたのが包丁なら刺しているぞ。
こっちは真剣なのに、伸一郎は藤行の顔を見てからかうように笑っている。絶対にわざとだ。
「そんなことより。準備できてないのか?」
「え? い、いや。荷物はもうそこの鞄にまとめてあるよ」
「あっそ」
玄関にきちんと置いておいた鞄を持ち藤行を肩に担ぐと、伸一郎はもう用はないと家を出た。
「え?」
ぽかんとする藤行。
「兄ちゃん?」
「ふ、藤行!」
父親が追いかけてくる。伸一郎はなんてことない顔で足を止めると腕を伸ばす。
「伸一郎さん!」
まさか親父を殴る気じゃ、と一瞬思ったが杞憂だった。
ひょいと父親を摘まみ上げ、玄関に放り込み丁寧に扉を閉めた。
「……」
何もなかったように駅に向かって歩き出す。
「……え、えっと」
担がれたまま家の方を見るが、もう父は追いかけてこなかった。男に片手で摘まみ上げられたのがショックだったのかもしれない。
「あ、あの。ちょ、弁当! 弁当だけ作らせて」
戻ろうともがくも空中を泳ぐだけになってしまう。
伸一郎はばたつく藤行の尻を我が物顔で撫でる。
「馬鹿っやめろ」
「なあ、お前の弟は小学生なのか?」
「はあ? 会ったことあるだろ? 高校生だよ」
「じゃあ、飯くらいコンビニで買えるんじゃねえの?」
「……」
そう、言われれば……。
飯を買うくらい小学生でもできるのに俺ってば、弟のことを子ども扱いしすぎていた。
「うぅ」
静かになった藤行。歩きやすくなった伸一郎は足を速める。
「伸一郎さん。三十分も、ごめんね? でも、迎えにいてくれて、ありがと」
何か言いたげな瞳が向けられる。
一瞬首を傾げたが、理解した藤行の顔が赤くなる。やりたくないけど、今回は俺が悪いのだ。
「ありがと」
担がれているのでやりづらかったが彼のこめかみにキスをする。
伸一郎はフッと笑った。
「ようやく覚えたな。上等」
電車で旅行会社のバスがくる駅まで移動し、そこからはバスに乗っているだけでいい。
そんなことより……
「降ろして! 伸一郎さん」
「やだね」
待ちぼうけさせた罰なのか、電車の中でも藤行はずっと抱っこされたままだった。電車内のすべての視線をひとりじめ。羞恥で心停止するかと思った。
「はず、恥ずかしいよ。伸一郎さん……。さすがに!」
顔を真っ赤にし泣き声に近い声を上げるも、ごつい手は離してくれない。
優しそうなご婦人が、具合が悪いのだと思い席を譲ってくれようとしたが、この野郎は丁寧に断っていた。
「こいつは俺が好きすぎて、抱いていないと不機嫌になるんで」
「―――ッ!!?!」
善良なご婦人に何を吹き込んでいるのか。
ご婦人の「そ、そうなの……」となんとも言えない声と目線に、気絶したかった。真面目にこの男を殺してやろうかと思った。
伸一郎はニヤニヤと話しかけてくる。
「ん~? なに怒ってんだよ」
「お前ぇ……。お前だけ紐無しバンジーしろよ」
「はっ」
渾身の恨みも鼻で笑って流される。
「伸一郎さん」
めげずに小声で睨みつけ肩を揺するも、しれっと返される。
「だってお前靴履いてねぇじゃん」
「!」
あまりの羞恥に耐えられず。もう何も見たくないと、男の首に手を回ししがみつき、ぎゅっと目を閉じておいた。
安い旅行だがやってきたバスはそこそこ大きく、内装もきれいだ。
『本日は当バスをご利用いただき~』
バスガイドが挨拶をしている。窓際に藤行が座り、通路側をでか男が陣取った。
三十分も遅れたがもともと早めに着くように計画していたし、伸一郎が猛ダッシュしてくれたおかげでなんとか間に合った。
すでに三日分くらい疲れた藤行は窓の景色を眺めてぽけーと放心している。
バスガイドをジロジロ見ていた伸一郎が、ぐっと顔を近づけてきた。
「おい。藤行」
「へ?」
間抜けな返事をするも、間近にある彼の表情は厳しい。
「左頬……どうした」
ハッと思い出し、咄嗟に隠すように手を添える。
「あ、えっと、こ、これは!」
「……」
返事を待っている彼にどうしたものかと目を泳がす。
「え、えと、えと……」
「弟……いや、父親か?」
ビクッと心臓が跳ねた。それだけで理解したらしい。伸一郎は腕を組んで背もたれにもたれる。
「し、伸一郎さん……?」
弱々しい声を出す。
だが彼は興味なさそうにあくびした。朝が早かったからか、少々眠たそうだ。
「まあ、安心しろよ。家族間のことに口は出さねぇ」
「そ、そう」
胸を撫で下ろしたのも束の間、耳にキスされる。鼓膜のすぐそばで「ちゅっ」という音が聞こえ、バスの窓ぶち破って外に出そうだった。
「! だからこんなところでっ」
「(バスガイドが美女だから)誰もこっちを見てねぇよ。それより口を出さねぇ代わりに、旅行中はずっと俺の事ばかり考えてもらうぜ」
ど、どういう意味だ?
ニヤッと笑った笑顔は妖しいものだったのに口調はとても優しくて。
藤行はしばし彼の横顔から目を離せなかった。
高速に入ると、バスガイドが話術を駆使して乗客を楽しませようとする。
頬杖をついて白けた顔をしていた伸一郎だが、何かに気づいたように靴を脱ぎ始めた。
「ちょいでかいかもしれねぇが」
「ん?」
靴が無いと言うことなので、伸一郎は自分の靴を貸してくれた。
「いや、流石に悪いよ」
「履いとけ。何も無いよりマシだ」
足を突っ込んでみると確かにぶかぶかで……温かかった。
「伸一郎さん靴下も履いてないじゃん。怪我するよ」
「俺、靴履いてない日の方が多いから」
そう言われると何も言い返せない。
保冷剤をハンカチでくるみ、手渡してくれる。
「頬に当てとけ。俺は喧嘩なんざしょっちゅうだけど、殴られ耐性のない奴には痛いだろ」
誰と喧嘩しているんだろうか。セフレの中に喧嘩友達でも?
この体格の男とまともに殴り合いで切る人間が他にもいるというのか。俺の近所そんなに魔境だった?
「周囲から喧嘩したとか思われないかな……?」
ちらっとほかの乗客の様子を確認する。今初めて見たがバスガイドは大層な美女だった。なるほど。誰もこっちを見ないな。
「虫歯ですって言っとけ」
「そうだね」
「やっと笑ったな」
彼の言葉にきゅうっと胸が締め付けられる。
俺が笑ったことを喜んでくれるなんて。
せっかくの保冷材が見る見る溶けていく。こんな思いをしたことがなくて、顔を上げることが出来なかった。
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