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第34話 安心できる場所①

※ 藤行が元気ないです。   キス無し。添い寝有り。  俺のせいなのに、家族に何かあっては嫌だ。特に弟に何かあれば冷静ではいられない。意味もなく家中を走り回る。  なので、外に出た。天気予報で寒波がどうとか言っていたが構ってはいられない。着込めるだけ着込んで重い足を引きずる。正直、自分がどんな着ぶくれ隊になっているのかなど、気にする余裕はなかった。  ろくに回転しない頭で弟のことばかり考えながら、覚えた道を進む。  世界が回っている気がする。地球は回っているがそういう意味ではなく。  通り過ぎる人がちらちら見ていくほど酷い足取り。瞼が閉じかけ、頭は寝させようとしてくる。これが厄介だし、もう自分でも何を考えているのか分からなくなってきた。  それでも――外装が怖いだけのアパートが視界に入ると表情が綻んだ。荒い息で笑みを浮かべる。  ……で、油断してしまったらしい。ここからパタリと記憶が途切れた。 〈伸一郎視点〉  スコ、スコ。 「……?」  我が家の壊れたインターホンを、誰かが押している気がする。 (交換するの忘れてたな)  ぼりぼりと頭を掻きながら、玄関に向かうことなく麦茶片手に居間に入る。  不自然な位置にポスターが貼られたフローリングの部屋。床には綺麗な色のラグが敷いてあり、直座りしても冷たくない。  低い机の上にはちょうど出来たばかりの焼きそばが湯気を放つ。これを冷ますのは惜しい。来訪者の相手をする気は無い。居留守を使えばそのうちどっか行くだろう。  家主のやたらデカい男は割り箸を歯で銜え、片手で割るとどかっと腰を下ろす。  スコ、スコ、スコ、スコ…… 「……しつけぇな」  鳴らないインターホンを押し続けている奇妙な客。セールスか、宗教勧誘か。一度押せば、インターホンが壊れていると分かるものだが。 (藤行なら勝手に入ってくるしな)  目だけをやりながら、ずそそっと焼きそばをすする。野菜を摂取しないと嫁が怒るので仕方なく切った野菜も混ぜて炒めた。量をミスったので次郎系ラーメンに負けない山盛りになってしまったが、楽勝で食える範囲だ。  スコ、スコ、スコ、スコ。 「……はあ」  いつまで押してるんだろうか。  仕方なく飯を中断して重い腰を上げる。玄関のすりガラスに映るやたら丸い人物の影。知り合いにあそこまで丸い人間はいなかったような…… 「どちらさん?」  気の弱い者なら失神してそうな不機嫌声と共に扉を開ける。脅すつもりはなかったが空腹のせいでこんな声になってしまった。  ぱっと見ただけで体型が丸いのではないと瞬時に悟る。と同時に不審な物を見つけた顔になった。服をこれでもかと重ね着しているのだ。確かに二月で寒いが、ここまでするか。  一体誰だ? しかも扉開けたのにこちらを見もせず、ひたすらインターホン押しを続けているのも妙だ。確かにここは怪奇現象(生きた人間)の多いアパートだが。 「おい、あんた――」  手を伸ばしかけ、伸一郎は目を見開く。  虚ろな目で力なく立っていたのは、 「藤行? 藤行じゃねぇか。おい。何やって……」  言い寄られては受け入れ、去る者は追わず。相手に困らない人生を歩んでいた自分が、唯一手放したくないと思えた人。  恋人――藤行は名前を呼ばれると電池が切れたかのようにふっと目を閉じ、倒れかけた。太い腕がそれを支える。服の着すぎでふかっとした。 「藤行? どうした?」 「……」  腕はプランと垂れ下がり、足にも全く力が入っていない。 「? なんだよ……」  舌打ちしたいのを堪え、彼を抱え上げて居間へと運ぶ。  藤行用の布団を敷き、そこに寝かせる。……寝やすいようにと上着は剝いでおいた。 (何枚着てんだ)  マトリョーシカが浮かんだが笑える状況ではない。  薄着になった藤行の顔色はわずかに青く、どう見ても具合が悪そうだったからだ。  寒いのか、震えているのが気の毒でエアコンのスイッチを探す。なんせ藤行が来た時にしか使わないためどこに置いたやら。 「あった」  数日ぶりに起動させる。  藤行の額に手を添えると、熱は無いようだった。 「風邪か? それなら家で寝てろよ……。何やってんだこいつ」  風邪の辛さがイマイチ理解できない伸一郎だが、震えている藤行を見てこの部屋が寒いことは分かる。エアコンを見上げるが、部屋がぬくもるにはまだかかるだろう。 「……」  どうすりゃいいんだ。  何かしてやれることはないかと見回すも、カイロも何もない。俺で暖を取ろうとして藤行が引っ付いてきてくれるのが嬉しいのに、ストーブなんて置いたらそっちに藤行が行っちまう…… 「あ」  のんきにポンと手を打つ。  抱きしめてやればいいのか。そうすれば多少は温かいはずだ。俺は体温が高いようだしなぁ。  雪が降ろうともスウェット一枚の男は布団に潜り込み、細い身体をかい抱いた。  夕方になっても藤行は目を覚まさない。  顔色は良くなった。部屋があたたかくなって体温が上昇したおかげだろう。体調が悪いのにふらふら出歩いていたことは後で叱るとして。  普段は美人だなとしか思わないが、こうやって布団に埋まっているところを見ると庇護欲が湧く。監禁したい。……邪な想いが湧いたが本心だ。  ぐっすり寝るのは良いことだし、起きたら藤行が帰るんじゃないかと思うと起こす気にもなれない。今日はジジイのところで仕事手伝う(こき使われる)約束だったが、連絡を入れたら絶対に来るなと言われた。話の分かるジジイである。  藤行が起きたらお粥でも作るとして、俺はラーメンでも食うか。  スコ、スコスコ。 「ん?」  どうやら今日は来客が多い日のようだ。  人と会うことが楽しいと思える伸一郎は即席ラーメンの袋を片手に、玄関の扉を開けた。  ガララ…… 「あれ? 鳴らない……あっ」 「おう」  俺を見るなり口を開けているのは、学ランに身を包んだ高校生男子。見覚えしかない顔に、伸一郎は小さくフッと笑う。  藤行の弟、 「青空じゃねぇか」 「伸一郎さーん。こんにちはー」  人懐っこそうな、フレッシュな笑み。 「どうした。お前まで」 「……ってことは、兄ちゃん来てるの?」 「おう」  頷くと、肩の力を抜くような息を吐いた。 「あー良かった」  事情がありそうだ。 「入れよ」 「いいの? お邪魔しまーす」  のこのこついてくる学生にちょっと心配になったが、青空は藤行のような巻き込まれ体質ではないので大丈夫だろう。  扉を閉めていると青空は居間へすっ飛んで行く。何度か来たことのある家なので慣れているようだ。 「あー! やっぱ兄ちゃんいたー」  すさーっとスライディングして、布団の横で伸びている。 「何かあったか?」 「書き置きしか残ってなくて。帰ったら誰もいなかったからさ」 「?」  書き置きがあるなら不安になることもないだろうに。藤行のことだ。行き先と帰宅時刻を明記してあるはず。何故ならこんな風に弟が心配するからだ。 「はい」  俺の顔を見て、見た方が早いと紙を渡してくる。  焦って握り締めたのか、くしゃっとなった紙を広げて読んでみると、「そとでねてくる」とふにゃふにゃの文字で記されてあった。 「……これは、心配になるな」 「でしょ?」  外で寝てくるってお前。  青空がわざわざ俺の家にまで探しに来たことの得心がいった。これはいっそ、置手紙が無い方が安心するまである。頭働いてなかったんだな。  勝手に入ってくればいいのに、いちいちインターホンを押していた姿を思い出して紙を仕舞う。 「お前は部活帰りか?」  青空が起き上がり、あぐらをかく。 「聞いてよー。今日は無かったんだ。顧問の先生が風邪で。教師不足? で、代わりの先生もいないから帰れって言われちゃった。勝手に練習してろ、で良くない?」  学生らしい不満だ。青空はバスケットボール部のエースだと聞いている。走り回れなくて鬱憤が溜まるのだろう。 「伸一郎さん。顧問の代わりに学校に来てよ」 「真面目に部活取り組んでて偉いじゃないか」  バスケットボールのように頭を鷲掴み、わしゃわしゃと髪をかき混ぜる。青空は片目を閉じるも、振り払ったりしなかった。 「へへっ。まあね! で、何で兄ちゃんここにいるの? 伸一郎さんが呼んだとか?」 「いや? 俺もなんでこいつが来たのか分からねぇ。体調悪いなら、家で寝てるもんじゃないのか?」  どこか納得したようで、青空はリラックスした様子で両足を伸ばす。 「あー……。兄ちゃんは家では安心して寝てられないから、かな?」 「あ?」  冷蔵庫から引っ張り出したペットボトルを机に並べていく。好きなものを飲めと言うと、迷わずオレンジジュースに手を伸ばした。  がちっとペットボトルの蓋を開ける。 「ほら。うち親父が。兄ちゃんが具合悪くてもあれこれ用事を言いつけるから。のんきに寝てられないって言うか……」  家の恥部を晒すため、どこか恥ずかしそうな表情だ。  家族に恨みなど無いが藤行にとっては、あの家は安心して寝込んでいられる環境ではないのか。  ぐぎゅう~。  安眠を求めて俺の家に来たと思えば悪い気はしない。  オレンジジュースを一気飲みする。 「ぷはーっ。本当ならさー。こういう時こそ俺が親父から兄ちゃんを守ってやらないといけないんだろうけど。……部活切り上げて帰ってきたら兄ちゃん絶対『俺のことなんか気にするな』『部活しろ』とか言いそうで……」 「言うだろうな」  ぐぎゅるる~。  藤行はどこまでも「青空ファースト」だ。青空が自分に気を遣うと逆に体調崩すかもしれない。 「でも藤行が寝てるなら何も食べてないんだろ? 何か食ってくか?」 「いいの⁉」  いいも何も……さっきから可哀想なほど腹の虫が鳴いている。食べ盛りに飯お預けは気の毒だ。 「チャーハン作って! チャーハン!」 「おう。座ってろ」  手伝おうとする青空を摘まみ上げて、藤行の隣にお守りのように置いておく。弟が近くにいた方が藤行は元気になる気がする。  青空はそこそこ身長のある高校生男子を片手で持ち上げたことに驚いていた。まだ軽い軽い。  冷凍ごはんと卵、山盛りの野菜をふんだんに使用した山盛りチャーハン。大皿に入れて机においてやると顔が引きつった。野菜が苦手なようだ。 「あ、ありがとね。伸一郎さん」 「ああ」  一仕事終えたとばかりに、テレビをつけて伸一郎はコークを味わう。ビールを飲みたいのだが未成年の横で飲んだら藤行に包丁投げられるので諦める。  野菜は苦手だが空腹には勝てないのか、デカいスプーンでかきこんでいく。 「おひひい」 「そうか」  ハムスターのようになってふがふがと何か言っている。多分「おいしい」と言ったのだろう。コークを傾けながら横目で学生を盗み見る。守備範囲内だし可愛いとは思うが、青空にはびっくりするほど食指が動かない。性欲がどこに行ったのかと自分でも驚く。  ――藤行が聖域のように扱っているせいかもな。  真横でアナコンダが自分を見ているなど知らずに、ハムスターはチャーハンを平らげていく。 「ごひほふさま」 「よく食べたな」 「おかわひ」  すっと大皿を差し出してくる。いっぱい食べるやつは好きだ。しかし炊飯器は空っぽ。 「もうご飯ねぇよ」 「そっかー。ありがとうね。美味しかったよ」  にぱっと眩しい笑みを向けてくる。  人間が好きな伸一郎はそれだけで相手への好感度が上昇する。ぜひその素直さを保持したまま大人になってほしいなと、兄のような気持になった。 「ねえ。チャンネル変えていい?」  食休みする気満々のようだ。藤行の身内ならどれだけ長居しても良いので、リモコンを青空の方に滑らせてやる。 「いつもは部活で見られないテレビが気になってたんだよね」  青空は楽しそうに眺めるが伸一郎は興味ないドラマだったので、ごろんと寝転んで流し見する。  しばし無言で楽しんでいるようだったが。 「……伸一郎さんさー。兄ちゃんに何て告白したの?」 「あ?」  目を向けると学生がもじもじと左右の指を絡ませていた。 「いや……。気になる人がいるんだけど。俺は『好きです付き合ってください』としか言えないだろうから。参考に?」  青春してやがる。  懐かしく思い、苦笑を滲ませる。 「悪いこと言わないからそれをそのままぶつけろ。変なポエムとか読むなよ? 相手が反応に困る」 「えー? 俺ポエム好きだよ」 「黒歴史を製造するなよ……」  覚えがある。若い頃は無敵なのだ。過去のことで枕に顔を埋めて悶絶するのは大人になってからのイベント。 「やっぱ。クリスマスとかに告白するべき?」  今は二月なのだが。気の長い話だ。 「せめてバレンタインかホワイトデーにしろよ。てか、そんなんいいからさっさと告白しろ。取られちまうぞ」  無敵学生はきょとんとした顔で首を傾げる。 「取り返せばいいじゃん? 結婚したわけじゃないし」 「…………」  だって俺なんだから余裕でしょ? と言いたげだ。  (毎回青空の話をしている)(頼んでない)藤行の話では運動神経も良く、やりたいことは大抵出来る体質のため、自身が満ちて浴槽から溢れて出ている。  若いうちに一回ボコボコに負けて挫折を味わってほしいと、祖父のような心境になった二十九歳。 「年上だっけ? お前の意中の人」  自分の情報が他人に漏れていることに慣れ切っている弟は気にせずたははっと笑う。 「まーね。めちゃキレイな人でさぁ。髪もさらさらで性格も優しいし……。俺がバスケ続けられているのも光先輩のおかげなんだよねー」 「巨乳か?」 「ブッ‼ や、やめてよ……」  顔を真っ赤にしているのが青臭くて和む。 「いいじゃねーか。男は尻とケツと胸にしか興味無いんだから」 「尻とケツは一緒じゃん」 「太もも派か?」 「なんの派閥? じゃあ、伸一郎さんは兄ちゃんのどこに惚れたの?」  お前も狼狽えろと言いたげな口調だ。頬を膨らましている。  天井に視線を移して考える。藤行に惚れたポイントか…… 「スペック高くて美人なのにすげー残念なとこ。めっちゃ惚れた」  これは譲れない。あいつが残念じゃなくなったら多分俺は悲しい。 「……人の惚気聞くのって、こんな気持ちなんだね」  自分から話を振った手前。文句も言えずに照れ顔でうつむいている。  寝ている人がいるのに声を小さくもせず青空が気を遣わないのは、自分の声が聞こえた方が兄は元気になると思っているからだろう。俺も全力でそう思う。  そこでビクッと、青空の肩が跳ねた。 「あ、いけね」  学生服のズボンから長方形の箱を取り出す。暇だった伸一郎は寝転ぶのをやめて起き上がった。 「どうした?」 「兄ちゃんが常備してる薬持ってきてたんだった。あぶねー。忘れてた」 「ほう」  ――ということは、ちょいちょい体調崩すのか?  伸一郎の顔色を読んだのか「違うよ」と手を振っている。 「たまにね? たまに頭痛そうにしてる」  ストレスか風邪か。天候の変化で頭痛になる人がいると聞いたこともあるな。  もう体調悪い奴の気持ち分からなさ過ぎて、一度風邪引きたくなってきた。 「海に飛び込んでみるか。これで風邪引けると思うか?」 「やめて? 伸一郎さんまで元気なくなったら誰が兄ちゃんを支えるのさ」  こいつは「若干」ブラコンなんだよな。 「兄ちゃんを好きでー、かっこよくてー、守ってくれる人じゃないと、祝福出来ないよ」 「へえへえ」 「兄ちゃん起きた時に薬飲んでほしいから、お粥作ってあげたい……んだけど、米無いんだっけ?」 「ちょっと待て」  ジジババから送られてくる野菜が入った段ボールを漁る。野菜の他にラーメンとハムと米も入っていた。 「チンするやつならあったぞ」 「いいね! ……それ使っていいの? 伸一郎さんのご飯でしょ?」 「何遠慮してんだ。この家にあるのは全部藤行の物でもあるんだぞ」 「……伸一郎さん。兄ちゃんのことだいぶ好きでしょ?」  呆れた様子の学生に、ふはっと鼻で笑う。 「そう言っただろ」

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