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第35話 安心できる場所②

 鍋をコンロに置いてお湯とチンした米を放り込む。  ぐつぐつ煮込み、米が柔らかくなればオーケーだ。 「卵粥にしたいなー」  ちらっと見てくる。 「ほい」  渡すが受け取らない。 「伸一郎さんが割ってよ。二人で作ったって言ったら喜ぶって」  好かれている自覚ありまくりの青空の言葉。流しに殻をぶつけると粥を作るには大きな鍋の中にぽちょっと落とす。  青空が素早く菜箸でかき混ぜる。 「いいねいいね~。おいしそうだよ」 「……」  なんか、無邪気なところが可愛いな。  手を出したいとかではなく、足元で仔犬がボールにじゃれている可愛さ。 「ねえ。お粥の味付けって、塩かな?」 「塩入れとけばなんでもうまくなるだろ」 「う、うーん……。そうなのかな? まー俺が作れば兄ちゃんはなんでも美味しい美味しいって言うけど。どうせなら本当に美味しいもの食べてほしいからさ」  今の台詞、藤行が聞けば一瞬で回復しそうだな。  少量の塩を入れ、ぐつぐつ煮込む。 「寒いだろ。もう部屋行ってろ」  廊下の延長線のような狭いキッチンには暖房器具はついていない。廊下と寒さが変わらないのだ。一般人(?)には応えるだろう。  青空は「やだよ」と腰に手を当てる。 「火をつけてる時は、そばから離れちゃいけないんだよ」 「?」  その通りだがそういうことを言っているのではなく。 「俺が見とくから、お前は部屋に戻ってろ」 「……」  ポケッとしている。  もしかして目の前に居るのに俺の存在を忘れていたのだろうか。  目を丸くしていたが、青空は首の後ろを掻きながら眉を八の字にした。 「伸一郎さんってその見た目で優しいよね……。お邪魔して、飯まで作ってもらってるんだから。これくらいは俺がやるよって言いたかったんだ。伸一郎さんこそ部屋に行ってなよ~。寒いっしょ?」  このクソつまらねぇことを気にするところがよく似ている。前半は喧嘩売られた気もする。  無理矢理居間に押し込もうかと思った時、がらっと居間の扉が開く音がした。  二人同時に首を向けると、藤行がキッチンを覗いていた。 「……あ、青空? いたのか?」 「藤行」 「兄ちゃん! 何起き上がってきてんの? まだ横になってなよ!」  言いたいことを言ってくれたので青空に任せる。弟は兄の背中を押すと部屋に押し込んだ。  見覚えのある服が積み上がっている。兄が薄着だったのでその山から上着を一枚取り、肩にかけた。 「兄ちゃん? 気分どう?」 「青空……。え、えっと。ちょっと頭が、ふらつくかな?」 「薬持ってきたんだ。兄ちゃんがほら、たまに飲んでるやつ。お粥作ったから。伸一郎さんと。それ食べてから薬飲めばいいよ」 「青空がお粥を⁉ 俺のために⁉」  恋人のデカい声がキッチンにまで聞こえた。伸一郎さんと、の部分をわざわざ弟が言ってくれてるのに耳に入らなかったようだ。弟が好き過ぎて他のことが耳に入らない残念なところに胸がときめく。  ぎゅっと青空を抱き締める。 「ありがと~。お兄ちゃん。嬉しいよ」 「……兄ちゃん。やっぱ家は落ち着かない?」  少し悲しそうな声。弟を悲しませるのは誰だと言わんばかりに憤慨する。病み上がりなのだからすごく寝ててほしい。 「ど、どうした青空! 何が……何かあったのか⁉ お兄ちゃんに言ってみろ」 「……」  一瞬、生ぬるい瞳になる弟。 「伸一郎さんの家に来てるじゃん。体調悪いのに。それって、家では熟睡できないんだろ?」 「あ。そうだ。俺なんで伸一郎さんの家に居るんだ?」 「……」 「……」  それはお前が分からないのなら誰にも分からない。伸一郎はコンロの火を消す。  鍋から器に移し、トレイに乗せて居間へ運ぶ。 「おう。起きたか」 「伸一郎さん。……ごめん。なんか記憶がぽかんしてて」  布団の上で座り込んでいる藤行の姿を見ただけで嬉しくなる。寝顔も良いが、やはり起きて活動していると安心する。 「俺が誰か分かるか?」 「え? 伸一郎さん」  学ラン男子を指差す。 「こいつは?」 「世界一可愛くて頑張り屋さんの青空。俺の宝物」 「……兄ちゃんマジでさぁ」  片手で顔を覆って身体ごと背けている。この愛情アタックは思春期にはキツイかもしれない。  トレイを机に置く。 「それだけ覚えていればお前は大丈夫だ。ほら、食え」  わなわなと震え出す。 「こ、これが。青空が作ってくれたお粥……? はあ、はあ……。これが、国宝か。何とか保管出来ないかこれ」 「お願いだから食べて」  弟のお願いだからか、手を合わせるとすんなり食べ始めた。  あたたかくやさしい味に涙が出そうになる。 「幸せ。もう死んでいい」  青空が振り返る。 「伸一郎さん。あんなこと言ってる」 「元気になったらお仕置きしとくわ」 「おねがーい」 「ちょっと待って?」  弟と彼氏がとんでもない会話をしている。 「なあ。俺って何時頃ここに来た?」  伸一郎も床に座る。この部屋に男三人は狭いが、恋人とその身内という癒しメンツしかいないので、もっと狭くてもいいかもしれない。 「あ? んーとな」  焼きそば作ってたから、 「昼前。で今は夕方」 「俺そんなに寝てたの? その前にどうやって……なんでここに来たんだ俺は? え? 俺、歩いて来てた?」 「ああ。一応一階を見たけど、チャリは置いてなかった」  青空が補足する。 「兄ちゃんの自転車なら家にあったよ?」 「そ、そうか……。まったく思い出せない」  額を押さえている。でも食べる手は止めない。  卵粥を食べ終えると「もう無い」と絶望していた。スプーンで何もなくなった皿底を擦る。 「……」 「兄ちゃん。粥くらいまた作ってあげるから。薬飲んで」 「青空……」  錠剤を水で流し込むと、苦笑する弟に抱きついている。そろそろ俺にも触れてきてほしい。 「つーかそれは何の薬だ? 頭痛薬か?」  幸せそうに頬ずりしながら答える。 「そうそう。これ飲んだら大抵収まるから助かってる」 「お前後で覚えとけよ」 「なんで⁉ なんで急に不機嫌になってんだよ」  驚く兄の背中をぽんぽんと叩く。 「なんでじゃねーだろ? ほら。俺にくっついてないで伸一郎さんのとこに行ってあげなよ。伸一郎さんずっと面倒見ててくれてたんだし」  いや、何もしてない。何をすればいいのかも分からなかった。 「え、でも」  目を泳がせ、頬を染める。今さら何に照れてんだと思ったが。ああ、弟がいるからか。  人前で抱きつくのは抵抗があるらしい弟には抱きついていたのにな。  分かりやすく嫉妬していると牛歩の速度で近寄ってきた。  あぐらをかいている伸一郎の膝に尻を乗せ、逞しい肉体にもたれかかる。  生きてて良かったと素直に思えた。 「……覚えてないけど、なんか、あの、押しかけちゃってごめんな?」 「どうでもいい」 「……布団、敷いてくれたんだよね? ありがと」 「はあ?」  キスは? と言いたげに頬を指差すが両手で顔を隠してしまう。何してんだコラ。一生顔見せろ。 「キスは駄目だって! もし風邪だったら、移したらいけないし! ……?」  「伸一郎さんに風邪って移るのか?」みたいな顔すんな。まだ微妙に頭働いてないな。  キスでもしそうな大人たちに、未成年は気まずそうに視線をあっちこっちさせている。 「じゃ、じゃあ俺はそろそろ帰るよ。伸一郎さん。兄ちゃんをお願いします」 「おう」  ぺこりと頭を下げる青空に気安く頷く。  立ち上がりかけた藤行が学ランを掴む。 「あれ? お兄ちゃんも帰るよ? 泊まる用の着替えとか何も……。それに夜道一人歩かせられないし!」 「俺が送ってくわ」  膝立ちの藤行が待って待ってと手を伸ばす。 「え? 俺は?」  二人が振り返る。 「兄ちゃん。外寒いから室内にいなよ?」 「留守番してろ。青空送ったらすぐ戻る」 「あ、でも」  家の用事もまだ全然終わってないし、と続けたかったがぐらりと視界が傾く。 「兄ちゃん!」 「あほ。寝とけ」 「……ごめ」  恋人と最愛の弟の二人が同時に支えてくれる。視界に好きな人しかいない。この空間最高だなとかのんきなことを思いつつ、瞼は勝手に下りていった。  寒くないように布団を二枚重ねておく。暖房もつけっぱなしにしておくし、これなら大丈夫だろう。  言いづらそうにしながらも、青空が口を開く。 「ねえ。……伸一郎さん」 「あ?」 「兄ちゃんがここで休んでるって一応親父にも言っておくけど。……親父が騒ぐとうぜぇし。もし親父が押しかけてきても。相手しなくていいからね? 親父、人の話聞かないとこあるから」 「?」  どうしてそんな申し訳なさそうな顔をしているのだろうか。 「よく分からねえが……。その親父とやらが来たら一緒に晩酌でも楽しんでおくわ。ちょうどいい酒があるんだ。お前らの幼少期の話とか聞きたいしな」  藤行がどんなガキだったのか興味がある。アルバムとか持ってきてほしい。  本心だったが、青空は不思議そうな顔をした。  それからふっと微笑む。 「あんな親父なのに、普通に接しようとしてくれて嬉しいよ」 「お前らはともかく。俺は特に何もされてねぇしなー?」  義父になる人物を雑に扱う意味も分からん。  ハンガーにかけてある自分の上着を掴むと、青空に放り投げる。 「話は終わりだ。これ以上遅くなる前に行くぞ。それ着ろ。外寒いんだし」 「上着でっか! って、伸一郎さんは⁉」 「俺は寒くない」 「……」  外を歩いている間、ずっと未確認生物でも見ているような顔をしていた。  藤行たちの家の前。 「俺に何かあれば兄ちゃんが発狂しちゃうばかりに……。送ってくれてありがとね」 「おう」  自分の価値をよく理解している。上着を脱ぐと俺に渡してきた。 「これありがとねー。俺、告白頑張ってみる」 「お。やる気だな? いいじゃねえか。結果教えろよ」 「うん! おやすみ」  寒さから逃げるように家の中に飛び込んでいく。 「……」  雪でも振り出しそうな冷え切った空気。  白い息が零れる。  上着に袖を通すと、来た道を戻る。  

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