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第37話 春まであと少し①
「黒川郷⁉ あの観光地の?」
「ああ」
小雪がちらつく寒い朝となった。
閑静な住宅街にある白い壁の一軒家。マダムが住んでそうな上品なリビングにて。
椅子に座って足を入れるタイプのコタツで、レモンはちみつジュースをちびちび飲んでいる藤行。対面では熊男が大あくびをしている。
先日。記憶が飛ぶほど体調を崩し、彼や弟にも心配と迷惑をかけてしまった。
優しいふたりのことだ。迷惑だなんて思わないだろうが、俺の気が済まない。
お礼鍋パーティをすると、伸一郎を家に招いたのだ。
ここに来る前にコンビニに寄ったようで、ホットレモンはちみつジュースを買ってきてくれた。……あの日以来。伸一郎さんと弟がやたら気にかけてくれる。
あたたかいペットボトルを両手で握り、指先を温める。
「どうして? 旅行? それなら誘ってよ。行ってみたい」
「ジジイの親戚が住んでてな。この時期は雪かきに駆り出されるんだよ……。はーあ。俺だってお前と二人で行きたかったよ」
「あ、頑張ってたんだ。お疲れ様」
にこっと笑うと、頬杖をついた彼が笑い返してくれる。悪人面の妖しい笑みだったがこの笑顔が大好きだ。
憧れの黒川郷に、興奮気味に身を乗り出す。
「雪すごかったの? どんな感じだった? 人多い?」
「俺の身長くらい積もってた」
このくらい、と手で高さを差している。
「え゛? 大変だったでしょ。転ばなかった?」
「水路に足はまってびしょ濡れになった」
「おおい。気を付けてよ。怪我したの?」
「いんや」
首を横に振っている。
当然のように怪我しないなこの男。怪我無くて良かったけど。
「人は、結構いたな。観光客。外国人が多めだった」
「うひゃあ。そんな積もるほど雪降ってるのに?」
「雪が珍しいんじゃないか?」
彼にとっては暑いのか、コタツに足を入れずにコタツの外で足を組んでいる。
「いいなーいいなー」
コタツ内でぱたぱたと足を振る。
「……春になったら行ってみるか? 親戚はいつでも(働きに)来て良いって言ってたしな」
まあ、こき使われるんだろうけど、と付け加えているが気にならない。
「行ってみたい」
「ほーん? 新婚旅行か? 悪くねぇな」
「おっっ! ……まえなぁ」
ペットボトルで顔を隠す。
「伸一郎さんさぁ。最近よく結婚の話題口に出すよね」
「そりゃ、お前が欲しいからなぁ?」
「……」
コタツの中に潜る。
「そんな寒いのか?」
「覗くな」
コタツ布をめくる手を押さえる。
「結婚の話題うざいか? 急かしてるつもりはないが……。嫌なら控えるぜ?」
「嫌なんじゃなくて……。その。う、嬉しくて」
「伸一郎さん。コタツ覗いて何してんの? なんか落とした?」
トイレに行ってた藤行の弟・青空が戻ってくる。
「お前の兄貴が潜っちまってな」
「え? 兄ちゃん? 寒い? どっか痛む?」
「すごく元気です‼」
弟にまで覗かれそうになり、しゅばっと這い出る。
「ごめんね。お待たせ」
出てきた兄に、朗らかに笑う。
「……可愛い」
うずくまって置物になった藤行の代わりに、伸一郎が鍋をテーブルコタツに運ぶ。
一緒に食べ始めようと、青空が出てくるまで待機していたのだ。
首根っこを掴んで藤行を椅子に座らせ、自分も腰掛ける。青空は冷蔵庫からジュースとコップを持ってきた。
三人手を合わせる。
「いただきます」
「「いただきまーす」」
藤行と青空の声がハモる。
三人で作った鱈鍋。
お礼だから。俺が一人で作るからくつろいでてと言っても、誰も言うことを聞かなかった。
「美味しい! え、鱈って、うまいじゃん」
青空が感動した声を出す。かわええなぁ。
「味がたんぱくだから、何にでも合いそうだよな」
「例えば?」
伸一郎は大きな口を開けて、鱈にかじりつく。
「豪快だなぁ。好き」と思いながら答える。
「うーん。醤油とバターで、キノコと一緒に炒めるとか。出汁と一緒に米と炊くとか」
「いいじゃん。鱈ご飯食べたい」
弟の要望にでれでれと表情がだらしなくなるのを、なんとか堪える。
「いいよ? 野菜も入れるからな」
「うっ」
箸が止まる青空に、伸一郎が軽く笑う。
「野菜全般苦手なのか?」
「えー? そんなことないよ。食べられるのもあるけど……。食べなくていいなら絶対に食べない」
苦手と言うか、嫌っている。
「ま、野菜なんて大人になれば勝手に食えるようになるしな。焦らなくていいだろ」
「伸一郎さん。勝手なこと言わないで。青空にはバランスよく食べてほしいの」
俺が怒っているのに、伸一郎さんはまじまじとこっちを見てくる。
「怒った顔も可愛いな。お前」
「んぐっ! 俺の顔の感想は今いいんだよ」
「ちょっと夫婦喧嘩やめて」
伸一郎は目を丸くし、藤行はまたコタツ内に消えた。
伸一郎が青空を肘でうりうりとつつく。
「良いこと言うじゃねぇか」
「俺早く、伸一郎さんをお義兄さんって呼びたいんだよねー。光先輩……ひ、光『さん』にも、兄夫婦ですって紹介したいしさ」
コタツからひょこっと顔を出す。
プルプル震える青空の顔はりんごのように真っ赤だった。
俺と伸一郎さんが拍手する。
箸を持ったまま、青空はとうとう突っ伏して顔を隠した。
俺と伸一郎さんはワッと盛り上がり、高校生男子の背中を叩きまくる。
「青空⁉ オーケーもらったのか? もらったのか?」
「おお。やるじゃねぇか。とんだ勝ち組だなお前。なんて告ったんだ? ポエム読んでないだろうな」
「ああもう! 痛いよ。二人とも」
うがっと腕を振り払われる。
なんでもっと早く言わないんだよ。赤飯炊いたのに。ハッ! 赤飯?
「赤飯炊くか」
「いいって! 鱈ご飯炊いて! ……ちょっとまだ夢かなと思ってて。報告遅れたの」
「そうかそうか」
伸一郎さんが青空の頭を撫でている。この二人が仲良しだと俺は嬉しい。
「ケーキ焼こうか⁉」
「いらな……ケーキは食べたい!」
「いいぞ。チョコケーキか?」
「伸一郎さんも食べられるケーキにしないと。ね、好きなケーキは?」
気遣いのできる自慢の弟です。光先輩は見る目があるな。
兄弟の顔が伸一郎に向けられる。
伸一郎はぱちりと瞬きした。
「お前が主役なんだし。お前の好きなケーキでいいだろ」
「「……」」
「俺はタルト系が好きだな。果物乗ってるやつ」
藤行は嬉しそうに破顔したが、青空は微妙な顔をした。
「タルト苦手か?」
気まずそうに青空は頬を掻く。
「あんまり好きじゃない……」
「藤行は?」
「タルトタタン」
伸一郎は青空に顔を向ける。
「……ってなんだ?」
「リンゴの、アップルパイ的なお菓子。兄ちゃんたまーに、リンゴパイだけ食べる時期があるから。家中いい香りする」
「ほお? リンゴ好きなのか」
「いや。好きじゃない」
「?」
伸一郎さんに「何言ってんだ」みたいな顔をさせてしまった。ごめん。でも俺にもこの現象はよく分かってないんです。
チョコケーキにフルーツタルトにタルトタタン。
バラッバラ。
これは作るのは無理だ。
「じゃ、間を取ってホットケーキにするか」
どこの間を取ったのかは謎だが、二人に文句はなかった。
「兄ちゃんが作ると何でも美味いから、楽しみー」
もぐもぐと、鱈と白菜を頬張っていく。
はい世界一可愛い。異論は認めない。
「俺は甘すぎないホットケーキが良いんだが」
「あ、じゃあはちみつかけないで目玉焼きとベーコン乗せてあげるよ」
今度は彼が複雑な顔をする。
「ケーキにベーコンって、合うのか?」
んぐっと、兄弟は小さく吹き出す。
「はちみつかけるから。甘さ控えめ生地にしてるんだ。だから大丈夫だよ。ほら。アメリカンドッグって、生地は甘いけどウインナーと合うでしょ? あんな感じ」
「アメリカンドッグ……は、あんま食ったこと無いな。ホットドックとは違うか? あれ。どんなんだっけ?」
「青空。今度伸一郎さんと買い食いしてきて。お小遣い渡すから。おススメの店、案内してあげて」
「おっけおっけー」
「は? お前も来いよ」
「それなら俺邪魔じゃない? デートしてきなよ」
「お前が邪魔なわけないだろ! 二度と言うな」
「お。あ、うん」
兄に引きつり気味の弟。
三人でつついているため、鍋はあっという間に汁だけとなる。
「おじやにしようよ」
「うどん入れようぜ」
弟と彼氏の声が重なる。
顔を見合わせる二人。
「兄ちゃんは?」
「パン」
……さっきから何ひとつ一致しないな。
「意外だな。食パンか?」
「そうそう。食パンを一口サイズに切るでしょ? ひたひたになったパンをスプーンで食べるのが好き」
「へえ。うまそうだな。麩、みたいなもんか」
青空が笑顔で手を上げる。
「兄ちゃんまた、間取ってよ」
なんだもう可愛いなぁこの子。
「マ〇ニーちゃん入れるか」
鍋は汁一滴も残らず空になった。
腕まくりして皿洗いしようとしたら、ぺいっと二人にテレビの前に放り投げられた。
「ねえ⁉ 今回は二人へのお礼、なんだけど⁉」
「もう十分だ」
「テレビでも見て休んでなよ」
「……う、うん」
並んで皿を洗い出す二人の背中。
あそこに割って入っても、俺の力じゃまたぺいってされるだけだな。
素直に好意に甘えるとしよう。
水音にアニメの曲が混じり出す。
「……なあ。青空」
「はい?」
「藤行の服、お前が選んでやってくれないか? なんでおぞ気のする服しか持ってないんだあいつ」
「ぶっは!」
弟の笑い声が聞こえたので反射的に振り返る。
食器を拭いて水気を切ってから仕舞っていた。
「あっはははは! ……ひっふ……。んぐ。でも、ひひひ。ひ、伸一郎さんは残念な兄ちゃんが好きなんでしょ? んふふ。お洒落した兄ちゃんが待ち合わせ場所に現れたら、萎えない?」
「萎え……んー」
悩んでいる。
「あいつがお洒落したらただの美人になっちまうしなぁ……。あー……。ワリィ。さっきのは忘れてくれ」
「はいはーい」
なんの話だろうか。ここからじゃ聞こえないが、青空のデートの相談にでも乗っているのかな?
「というか、弟としてあいつの服のセンスどう思ってる?」
「んふっ。……あれでいいんだよ。じゃないと兄ちゃん、変な人に好かれやすいから。伸一郎さんにしか興味なくても、引き寄せちゃうんだよね~」
「ああ。そういうとこあるな」
ペンライト持ってアニメを見ている二十一歳を振り返る。
「……」
「あの姿に頬染めてくれるの伸一郎さんだけだよ。好きだなー」
棒読みで言いながら、青空は淡々と片づけを進めた。
「黒川郷って、四月じゃないと駄目なの?」
「五月でもいいぞ?」
「あ、そうじゃなくて。もっと早めに、行きたい」
「今の季節行っても、雪しかないからな。物資が届かなくて土産物店も閉まっていることが多い。道路も麻痺しやすいし。我慢しろ」
「はーい」
では今のうちに計画立てておくか。
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