38 / 43

第38話 春まであと少し②

   四月を楽しみにしていたのだが、二日後に予定外の連絡が入った。 「え? 大丈夫なの?」 『本人はな? でも家が埋まっているらしい』  伸一郎さんからの電話。黒川郷に住む伸一郎さんの親戚の人。  連日の大雪で雪かきが追い付かないらしく、伸一郎さんにヘルプが入ったのだとか。 『もてなすから二日ぐらい泊ってくれって言われてな……。はー。藤行。かなり過酷だが、一緒に来るか? 手伝っ……いや危ないな。この話は忘れてくれ』  通話を終わろうとする気配を感じ取り、慌てて引き止める。 「なんでだよ。一緒に行こう、で良いんだよ。微力だけど、俺も何かしたい」  電話の向こうでため息が聞こえる。 『いい嫁だなぁ……』 「しみじみすんな。で、いつ出発するの?」 『ああ。早い方が良いって言ってたな』  伸一郎さんと話し合い、日程をメモする。 「じゃあ、その日に行けるようにしておくね?」 『お前が一緒に来てくれるってだけで一気に楽しみになったわ。当日、迎えに行くから』  それだけ言うと通話が切れた。 「……ばか」  スマホを仕舞い、メモを握りしめた。 「え? 俺も行こうか?」  青空には伝えておかなくては。親父にはメモ残しておけばいいだろ。  優しい弟は手伝いを申し出てくれたが、 「いいよ。光先輩と予定あるんだろ?」  青空が両肩を掴んできた。 「兄ちゃん。無理しないでよ? 頑張り過ぎないでね? 怪我しないで、伸一郎さんと離れないようにな?」  心配通り越して、弟が保護者みたいになっとる。 「うん。二人に心配かけたばっかりだし。絶対無理しないから」 「あの兄ちゃんが『無理しない』って言ってる……。一応」  すっと額に手を添えてくる。無いよ。熱は。 「二日帰らないけど、三日分のおかずは冷蔵庫に。タッパーに山積みになってるから」 「三日?」 「雪で、帰りが遅くなる可能性があるかもしれないだろ?」 「頑張って準備してたもんなー。ははーん? 兄ちゃんも楽しみなんだね?」 「……そんなんじゃないよ」 「そんな顔で言われてもな」  今のうちに青空にハグしておく。二日三日も会えないなんて、大丈夫だろうか。俺が。  不安になっていると、察した弟が「夜にメールしてあげるから」と、背中を優しく叩いてくれた。  泣いた。 🐻  風が強い早朝。 「よお。藤行。お。青空は見送りにきてくれたのか?」  家の前に黒の4WDが停まる。  彼が歩いて来るのを家の中で待っていたら、家の前に車が停まったのでまさかと思い出てみれば。  降りてきたのは熊男だった。  ファー付きのジャケットを身につけ、ズボンもダウンパンツとこの男にしては珍しい冬の装いだ。雪で家が埋まっている地帯に行くので当然と言えば当然だが。見てる方が寒いから普段から着てればいいのに。  車より、着込んだ彼をまじまじと見てしまう。 「お、おはよう……。伸一郎さん? 車持ってたの?」 「おはよ。持ってない。ジジイの。雪道だしこれ使えって。車置いてジジイは歩いて山に帰った」  もう滅茶苦茶だ、この一族。 「免許は?」 「取った。去年」  車内を覗くと、シャベルに水ペットボトルに軽食。その他諸々が積んである。もし雪で車が動かなくなった時対策なのだろう。雪を舐めてない堅実なところに、心がギュンとなる。 「伸一郎さん。おはよー。寒いよね」 「おう、おはよ」 「カイロとか持ってる? 俺のあげようか?」 「足に貼るタイプのやつまで持ってきたから。大丈夫」  かっこいいからか、青空は車の方をちらちら見ている。 「余裕をもって出発したいからもう行くけど、藤行。青空とハグしておかなくていいのか?」 「さっき散々したから……」  ちょっとくたびれた顔で、青空が遠い目をしている。散々したらしいのに藤行は蝉のようにしがみつく。 「くうぅ……。ちゃんと飯食べるんだぞ? 青空」 「はいはい。伸一郎さん。兄ちゃんから目を離さないでね? 兄ちゃんをお願いします」 「任せろ」  ぺこぺこと、青空と伸一郎が頭を下げあっている。 「ホラ行くぞ」  襟首掴んで藤行を助手席に放り込む。 「あああああああ! 青空~っ‼」 「いってらっしゃーい」  手を振って見送る高校生男子。  喧しい恋人を乗せて、車は発進した。 「あ、あおぞらが……。青空が見えなくなった……」  助手席の窓ガラスにへばりつくが、愛しい弟の姿はなく、あまり通らない道を走る。 「はあ……。ご飯あれで足りるかな? 夜ちゃんと寝るだろうか」 「帰るか?」  すごく残念なものを見る目をされる。うるさい前見ろ。 「お前。朝飯食ってきたか?」 「え? あー……何食べたっけ」 「腑抜けになってやがる」  ハニワ顔で座ってるだけとなったが、しばらくすると彼と車内で二人きりだということに気づく。嗅ぎ慣れない人の車のにおい。 「てっきりバスと電車で行くと思ってた」 「俺もだけど、車があるから車で良いかなーと、な」 「……」  なんだろうなぁ。ハンドル握ってるだけなのに、二割増しでかっこよく見えるのは。 「伸一郎さんのおじいさん。軽トラ以外も持ってたんだね」 「あの辺、車がないと生活できないからな」  高速に入る直前の、サービスエリアで車を停める。 「トイレ?」 「いや。チェーン付けてないと高速に入れないから……とか言ってた。これ冬用タイヤだけど、一応付けとくわ」  ドアを開けて後部座席からチェーンを取り出している。ああ、テレビとかで見たことあるな。雪道走るから、鎖をタイヤにつけてる人。 「手伝うよ」  俺もドアを開けて降りああああああさっぶ‼ 「風キッツ‼」  木が大きくしなり、停まっている他の車がうっすら上下に揺れている。車を回り込み、飛んで行かないように熊のジャケットを握った。  ひいいいいいっ。さぶい。 「寒いだろ。入ってろ」 「俺もう元気になったから!」  伸一郎さんにばっかやらせるわけにはいかない。俺も何かしないと。 「……。サービスエリアでホット買ってきてくれないか? これ付け終えたら車内で飲みたい」 「お。いいよ。行ってくるね!」  財布の入った鞄を持ち、ダッシュで建物内に走る。  建物内は暖かく、肩に入った力が抜ける。真夏に、彼の履物を借りたことをふと思い出す。 「……」  思い出に浸りそうになり、頭を振る。 (飲み物飲み物)  缶ジュースを二本買い込む。 「あっつ」  熱い。そうだ。ポケットに入れておこう。  建物から出ると、雪がパラつき始めていた。空を見上げる。遠くにあった黒い雲が、空の半分を覆っていた。 「……すげー降りそう」  雪は好きだがこれから車で高速を走ると思うと、到着まで降らないでほしかったなーと勝手なことを思う。 (俺が長時間風を浴びないように、買いに行かせたんだろうな……)  頼りにされない虚しさと彼の優しさが、胸中で溶け混ざり合う。しかし自分にチェーンを取り付ける知識はない。素直に彼の気持ちを受け取っておくべきだろう。 (てゆーかこんなに大事にされて……っ)  気恥ずかしさと嬉しさが同時に込み上げる。さっきから感情が忙しい。でも決して嫌なものではなかった。  少し迷いつつ、彼の元に戻ると四つのタイヤにチェーンが取り付けてあった。どんだけ手際が良いんだよ。  彼は車の横で立ち、俺を探しているようだった。こ、こんな。些細なことで嬉しくなってしまう。 「おまたせ。もう終わったのぼふっ」  伸一郎さんはジャケットの前を開けると、俺をその中に閉じ込めるように抱きしめた。 「おかえり。こういうのは得意なんだよなー」 「……」  ぬっけぇ。  上を見ると、彼の口角が上がっている。車、好きなのかな? 俺は青空とアロエちゃんが好きです。 「ちょっと。こんなことされると離れられなくなるだろ!」  彼の背中に腕を回す。冷えた指先がじんわりあたたかくなる。外で作業してたのに、なんでこんなに体温高いんだこの男。 「……じゃあ、離れろよ」 「うるさい。もうちょっと」  ぬっくぬっく。あー……気持ちいい……。  俺は、駐車場だという事をすっかり忘れていた。  足音と、クスクスと笑い声が聞こえる。 「見て。可愛いカップル」 「俺たちも後でやろうか、ハニー」  仲良さげなパツキンカップルが遠ざかっていく。女性の方はミニスカートにだった。寒くないのだろうか。どこで修行したんだといつも思う。  彼の胸板に、頬を押し付ける。 「……俺たち、カップルに見えてるんだね」 「お? お前のことだから悶絶して奇声あげると思ったのに。正気か?」 「ぶっ飛ばすぞ。恥ずかしいけど、嬉しいなー、ってなった」 「そりゃこんだけ密着してりゃあな。これで付き合ってなかったら何なんだよ」  大きな手が頭を撫でてくる。幸せ…… 「…………むぐ」  あ、駄目だ。時間差で羞恥の波がドッ‼ と押し寄せてきた。

ともだちにシェアしよう!