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第40話 春まであと少し④

🐻  早朝家を出たのに、黒川郷に到着したのは日が落ちた頃。  ようやく指定されていた駐車場に車を停めることができた。伸一郎さんは到着したことを親戚の人に連絡している。俺は助手席で身体を思いっきり前に倒していた。  進まないし雪がカーテンのようになるのをいいことに、車内でいちゃつきまくっていたのだ。それが今更恥ずかしくなってきた。 (あっという間過ぎる……ッ!)  風邪の時に触れ合えなかった分を取り戻すがごとく。手を握って、抱きしめられて、抱きしめて。キスをして……。たまに外に出て、車を埋めようとする雪を持参したシャベルで、道の邪魔にならないところに退かす。  作業していると二台前の運転手が出て来て、シャベルを貸してほしいと言われた。暇だったのでその人の車周りの雪も二人でせっせと退かす。  おじさんはいたく感謝してくれて、ほっこりした気持ちになった。  十二時間も車内にいたのに、物足りないと思うほど。彼との時間は…… (ああああああああ!)  声にならない叫びをあげていると、ちょんちょんと背中をつつかれた。  顔を上げると、伸一郎さんがよくする残念なものを見る目があった。その表情やめろよ。 「電話、終わったの?」 「迎えに行くから動くなだと。……疲れただろ」 「俺は座ってただけだし。伸一郎さんは? 運転疲れたでしょ?」  くあっと大あくびしている。ほら、疲れてんじゃん。 「いや全然? 信号で止まるたびにお前が甘えてくるから。俺は今、逆立ちで屋根に登れる」 「伸一郎さん。SAS〇KEにでも出れば?」 「あれは観てるのが楽しい」  確かにあれは観てて楽しい。  ひとまず下りる準備をしておく。 「ねえ。俺車持ってないから分からないんだけど。ガソリン代っていくら払えばいいの?」  鞄から財布を取り出す。 「ガソリン代はジジイに請求するからいらね」 「十二時間も世話になったんだし。ちょっとくらい出させてよ」 「嫁にガソリン代払わせるとか、意味わかんねーんだけど?」 「う」  一瞬納得しかけたが、俺らはまだ付き合ってる段階だろ! 「……」  でも否定も訂正もしたくなくて、財布を仕舞う。 「じゃ、家についたらマッサージでもしてあげるよ。たまに外出たけど、座りっぱなしだったもんな」 「運動不足ならセックスすりゃ解消できるだろ。あれ結構カロリー消費してるらしいぜ?」 「一生タダ働きさせてやろうか」  だからよそ様の家で! セックスするとか気が狂ってるだろ。 「ま、まあ? ちょっとくらいなら、いいよ……? 声出ないようにしてよ?」  伸一郎さんは後頭部で腕を組み、大きくもたれる。 「……お前。甘えるようになってきたなぁ? さっきも車の中で犯罪的に可愛かったし。キスするたびに物足りなさそうな顔しやがって」 「忘れるんだ今すぐに」  真顔で言っていると、コンコンっとガラスがノックされた。油断していた俺はビクッと背筋を伸ばす。周りが真っ暗だからつい、ビビってしまった。  ガ―ッと窓を開けると、優しそうなおじさんが覗き込んでいた。伸一郎さんの親戚の方なのでてっきりこちらも天を突く大男なのかと思いきや。そんな意外性はなく。マフラーと毛糸の帽子が良く似合う小柄なお爺さんだった。 「よお。伸ちゃん。よく来たな。おや? そっちの子は?」 「電話で言った嫁だ。俺がついてきてほしいって言ったらついてきてくれた」 「オイイ!」  いきなり嫁とか言うな! 同性愛者絶対殺すマンだったらどうすんだ!  おじいちゃんは特に気にせずにこっと目を細める。 「ほほっ。伸ちゃんにお嫁さんが……。さ、おいで。疲れただろ。ご飯食べよう」 「ありゃ?」  もしかして暗くてよく見えてなかったのだろうか。 「降りるぞ」 「はーい」  外は寒い外は寒いと繰り返しながらドアを開ける。油断してたら魂が持って行かれそうな寒さに襲われるんだ。気合を入れて、  づるっ。 「あ」  自分の靴が視界に飛び込んでくる。  気がつけば尻餅をつき、車にもたれる形で倒れていた。  頭が真っ白になっていると、車と車の間に伸一郎さんが狭そうに入ってくる。  俺の隣でしゃがむ。 「……大丈夫か?」 「いってー。滑った」  起き上がろうとする前に、彼の両腕が俺の背中と両膝の下に伸びるとそのまま持ち上げた。  伸一郎さんは自分と俺と俺の荷物を持つと、おじいちゃんのところまで慎重に歩いて行く。 「待たせたな」 「……若いって良いのぅ」  しみじみ頷くおじいちゃんに顔を覆う。頭から湯気が出そうだった。 「クソ恥ずかしい」 「別に、雪道でコケる奴なんて珍しくないだろ」  違うそうじゃない。抱っこされてるこの状況のことだよ。  懐中電灯片手に歩くおじいちゃんの後に続き、集落の中へと入っていく。黒川郷名物、両手を合わせたような「いただきます造り」の屋根が出迎える。 「ほんとに昔話に出てきそうだね」 「明るくなれば、家の向きが同じなのが分かって面白れぇぞ」 「え? なんで?」 「太陽で屋根の雪を順番に溶かすのさぁ」  おじいちゃんが教えてくれる。  東から西へ登る太陽で午前中は右側を、午後からは左側を。満遍なく光が当たるようにしているとか。 「ほー。そうでしたか。考えられてますね……伸一郎さん。歩くからおろしてよ」 「この方が、俺があったかい」 「……」  そう言われては何も言い返せない。  雪のせいか他に出歩いている人影はなく、そこまで恥ずかしくなかった。  月明りもない木造の室内は薄暗く、オレンジの照明がやさしく照らす。  床は板張りで、囲炉裏の周囲には「ござ」が敷いてあり、渋くもあり落ち着いた雰囲気に満ちている。タイムスリップしてきたかのような穏やかな時間の流れを感じることができ、室内を忙しなく見回してしまう。  木と、ほんのり埃のにおい。 「広い、ですね」  一部分だけ、吊り下げられている照明の更に上。屋根の三角の形が分かる、吹き抜けになっているところがある。  口を開けたまま、どこまでも首が上を向いてしまう。 「物が無いだけだ」 「いま、お茶淹れるからね」  荷物と俺を床に下ろす。 「ありがとね」 「……」 (人前で出来ないよ!)  声を潜めて言うが、熊男は肩を落としてため息をついてしまう。  荷物まで運んでくれたのに申し訳なくなり、ジャケットの裾を掴む。 「ごめんね? 後でちゃんとするから!」  おたおたする俺を無視して鞄を漁る。  ずぼっと、大きなクッションを取り出した。 「ほい」  俺に渡してくる。 「なに?」 「ござがあるとはいえ、板張りに直座りはきついだろ。これに座れ」 「……伸一郎さんのは?」 「俺は慣れてるからな」  クッションを抱いたまま順応力高すぎ男を見上げる。 「俺のために持ってきてくれたの? わざわざ?」  荷物も圧迫するというのに。  伸一郎さんは荷物を纏めて隅に寄せている。 「俺は基本、お前のことしか考えてねぇ」 「っ」  ほよっとクッションでケツを殴っておく。 (やめてよ! 我慢してるのに) 「何をだよ。トイレか?」 (……甘え、たいのを)  うつむき、クッションをぎゅっと抱きしめる。 「お前なぁ。可愛いのもほどほどにしとけよ」 「はい⁉」  おじいちゃんに手招きされたので囲炉裏へと近づく。 「渋いお茶だからね。若い子の口に合うかどうか」 「いえ。ありがとうございます。いただきます」 「そう思うならコークでも買っとけよ」 「伸一郎さん、コラ!」  なんか伸一郎さん、最近コークをよく飲むな。  有難くクッションの上に尻を乗せる。冷たい。 「うあっと。ズボン濡れてるんだった」  すってん転んだことを思い出し、クッションが濡れてないか確認する。 「着替え持ってるだろ? 履き替えてこい」 「横の寝室使えばいいよ」 「あ、ありがとうございます!」  鞄からズボンを引っ張り出し、隣の部屋へお邪魔する。そこは寝室のようで、畳まれた布団が積み上がっていた。床も板の魔ではなく、畳縁(たたみべり)の無い正方形の畳が隙間なく敷き詰められていて温かみがある。 (旅館みたい)  我が家は洋風なので、こういった和室の家が珍しくて青空にも見せてあげたい。  下着は濡れていなかったのでズボンだけ履き替え、丸めたズボンを持って囲炉裏に戻る。  ズボンは袋に入れて、持って帰ってから洗おうとしたのだが、 「ズボンはあっちの、脱衣所の籠に入れておくといいよ」 「え、あ。はい」  脱衣所は柔らかなマットが敷いてあり、いい濡れた木(のような)の香りがする。 (夜になったらここのお風呂に入れるんだよな……? やべえ。楽しみ)  小走りで戻り、クッションに座った。 「ふう」 「自己紹介が遅れたね。私は朝野(あさの)。朝ちゃんって呼んでね?」  おじいちゃんが可愛く自分を指差す。  ほわっと、表情が緩む。 「初めまして。藤行と申します。遅れてしまってすみません」  深く頭を下げる。  予定では昼過ぎに到着するはずだったのに。もう十八時を過ぎてしまっている。  おじい……朝ちゃんは朗らかに笑って手を振る。 「いやいや。無事に来てくれただけで、私は嬉しいよ。可愛い子だね。伸ちゃん?」  話を振られるが、彼は素っ気ない。  だがどこか親しみが滲んでいる。親しい間柄故の素っ気なさだろう。 「知ってる」 (知ってる、じゃねぇ!)  心の中でツッコミしながら、ずずっとお茶をすする。うわ、美味しい。 「あの。それで。今日は何をすればいいですか?」  手伝いに来たのだから、くつろいでいるだけじゃ駄目だ。  やる気十分。ふんふんと鼻息荒くするが、伸一郎さんと朝ちゃんの「?」と言いたげな視線を向けられる。 「もう遅いからね。今日は休んでちょうだい。明日で良いよ」 「え? でも……」  伸一郎さんに目を向けるが、お茶を一気飲みしている。熱くないのかな? 「こんな時間に雪かきなんかしたら死人出るぞ。ただでさえ俺らは雪に慣れてねえのに」 「むぐ」  他に、何かすることは⁉  仕事を探してお二人の顔を交互に見るが、伸一郎さんは大あくびしているし、朝ちゃんはのほほんとお茶を飲んでいる。 「何か。なんかすることない?」  彼にしがみつく。 「お前は……。働いてないと呼吸できないのか? もっとサボることを中心に生きろよ」  落ち着かないよ!  朝ちゃんに詰め寄る。家の中での仕事ならこの時間帯でも良いはずだ! 「あ! では。晩ご飯は俺が作りましょうか?」 「ん? ご飯はもう用意してあるよ。あとは囲炉裏で温めるだけ、だよ」 「掃除、とか」 「掃除は明るい時間帯に、皆でやろうね?」 「……買い出し、など……」  伸一郎さんが口を挟む。 「野菜とか水は車に積んであるぞ」 「おや。ありがとねぇ。雪で物資が届かなくて、お店がすっからかんなのだよ」 「ぐすん。役に立てない」  クッションの上で猫のように丸まった。 「拗ねんなよ」 「ふふっ。楽しいね。いつも一人だから」 「そんな目で見ても、ここには住まないぞ」  毎回のやりとりなのか返事が早い。  がばっと起き上がる。 「じゃあ今日は何をすれば⁉」 「んんー? ご飯食べて、ゆったりして。お風呂入って。眠ればいいよ? 長いドライブで疲れたでしょ」  やることが、無い、だと?

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