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第2話
豪奢なウェスト・エンドの繁華街で娼婦が客引きをするのは有名な話だったが、ハイドが見つけるよう依頼された男もまたピカデリー・サーカス付近に現れるようだった。劇場とミュージック・ホール、商業施設がひしめき、この場所の夜はなおさら人でにぎわう。白鳥の羽根を模している白いドレスを着て、艶めかしく笑っている背の高い女と、小柄でまるまる太った男の二人連れが人ごみの中で目を引いている。しかし、そんな奇妙な二人もこの場所の賑わいの中に溶け込んでいた。
まだ寒いのに、あたりはお祭り騒ぎのようだ。ピカデリー・サーカスの広場は貪婪な熱気を放ちながら混雑している。その広場の中央にある翼を広げたエロス像と噴水の下で、ロバート・ブリッジはくだんの青年に出会ったという。
ハイドは淑女たちに混じって歩く高級娼婦を見分けることができたが、男娼に関しては自信がなかった。ロバートの話によると、青年は女の格好をしていたわけではなかった。もし女装していたなら、その異様さに必ず人目を引き警察を呼ばれているだろうとブリッジは言った。青年は他の紳士たちと寸分たがわぬ格好をしていた。もっとも、質実剛健といえる身なりで、別段服装に凝っているようなところも、金を持っていそうなところもなかったという。
人でごったがえすピカデリー・サーカスで果たして目的の男を見つけられるのか、ハイドにも確固たる自信はなかった。それでも教えられた特徴を思い描きながら噴水の前に立つ。時刻は午後九時半すぎ、周りでは待ち合わせをしている紳士連中や、ミュージック・ホールから出てすこし休憩しているカップル、辻馬車を呼びとめようとしている身なりのいい老人もいた。人ごみにまぎれ、スミレの髪飾りで頭を飾った、まだ十四歳くらいの娼婦が軽やかな足取りでハイドのそばにやってくる。彼が首を横に振ると、少女は目を伏せ、口元に淡い微笑みを浮かべて去っていった。
ハイドは怪しまれないように、人を待つふりをして煙草を吸いながら噴水のまわりを少しずつ移動した。三月の夜はまだ険しさを残し、吐く息は濃い白に変わる。マフラーに顎をうずめ、革手袋をはめた手をポケットにつっこんで、ハイドは待っていた。
二十分ほど経ち、噴水の周りにいる人間も大部分が入れ替わったころ、ハイドはその若者に気がついた。
青年は長身痩躯の体を姿勢よく伸ばし、噴水のへりにわずかに身をよせてたたずんでいた。やや強面の凛々しい面立ちで、整った顔は人々の視線を無言で引いていた。それでも控えめそうなたたずまいから、彼が自分の美丈夫ぶりを誇っているかんじはまったくしない。服装もまた良識的で控えめだった。
ハイドが彼に目を留めたきっかけは、ブリッジから聞いた特徴に合致していたと気がついたからではなく、帽子をかぶっていないからだった。ずいぶん最近に失くしてあつらえる暇がなかったのか、青年も落ち着かなげにときおり自らの髪を触っている。無難ないでたちの中で、帽子の欠如は首のとれた人形のように異様に見えた。そのため、ハイドには彼の茶色の短髪が確認でき、整った顔立ちも見ることができた。
男娼と聞いていたが、ハイドの目にはそんなふうに見えなかった。小柄でなおやかな顔立ちではなく、女っぽさとは無縁だった。かといって男性性溢れる雄々しい男にも見えない。ロバート・ブリッジも確かにそう証言していた。一見、まじめで節度ある若者ふう。三十歳にもなっていないが目は鋭く、間違いなく娼婦や男娼といった不品行を取り締まる側の雰囲気をもつ。
探偵はこの若者を見ながら彼のそば歩み寄った。青年は虚空に視線を向け、自分の吐く息を眺めているようだったが、ふとハイドのほうを向いた。目が合うと、青年はなぜかぶるっと震えた。噴水周辺はいまだ人が集まっていたため、ハイドは声を絞らなければならなかった。彼はいつもどおりの穏和な表情で、青年の近くまで行くと「こんばんは」とささやきかけた。
「……こんばんは」
返事をするまで少し間があったが、彼の表情は怪訝なそれではなかった。むしろ、見知らぬ土地で知り合いに会ったように、どこか安堵しているようにも見える。ハイドがシガレット・ケースを差しだすと彼は礼を言って受けとったが、煙草を口にはくわえず、それを手袋を嵌めた手のひらで転がしてポケットに入れた。
「今夜も人が多いですね」
ハイドがケースをポケットにしまいながら言うと、青年はうなずいた。
「ここへはよく来るんですか?」
見知らぬ男からの質問に、青年は礼儀正しく首を振る。
「よく、というわけではありません。たまに、必要なときだけは」
二人は見つめあった。ハイドは微笑んで尋ねた。
「どなたか、待っている人がいるんですか?」
「いいえ。決まった人は待っていません」
そこで青年はためらいがちにハイドを見上げた。深い焦げ茶色の瞳は街灯に照らされて黒っぽく見える。見つめられ、ハイドは相手に自信がなさそうなところを見てとった。探偵はふとこんな言葉を思いだした。知らない人についていっちゃだめよ。母親や乳母が子どもに言う類の言葉。このときハイドは青年が、この見知らぬ男についていっていいものかと悩んでいるように見えた。ハイドは手を伸ばし、そっと相手の肘に触れた。焦げ茶色の瞳が彼を見つめる。ハイドは手を離し、なるべくさりげない口調を意識して優しく言った。
「わたしはどうですか?」
青年は目を伏せ、喜んで、と言った。
夫とたたずんで、往来を眺めてた中年の女が二人のほうをちらりと見た。
ハイドが手を差し伸べると、青年は彼のほうに向かって一歩前に進んだ。ハイドが歩きはじめると彼もあとをついてきた。
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