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第4話
「おれの歯は」ウィルクスが低い声でささやく。「ふつうですよ。でも一部、犬歯よりも尖っている。……ほら」
彼は手を伸ばし、ハイドの手を取った。あたたかい手だった。ウィルクスは厚みのある大きな手をじっと見つめ、身をかがめるとそれを自分の口の前まで持ってきた。ハイドが指を伸ばし、ウィルクスの唇に触れた。彼が口を開けると、ハイドはゆっくり指を中に入れた。上の歯列をなぞると、ふいに尖ったものに触れる。その部分はまるで鋭い牙だった。ウィルクスが口を閉じると、ハイドは口腔のあたたかさを感じた。そこはまるで密林の奥のように湿って蒸し暑く、指に這う舌は蛇のようだった。
ウィルクスが指を舐めて口を離すと、細い唾液の糸が彼の顎に垂れた。焦げ茶色の瞳は内側から欲望で熱され、曇っている。ハイドはその目をじっと見上げた。ウィルクスがのしかかり、ハイドはキスされて目を閉じた。
様子をうかがうようなおとなしいキスは、すぐに貪るように深くなった。ハイドは初めて男とキスをした。しかし、彼は自分の心の動きを観察できるほど冷静だった。やはり、同性とキスをしても心は波立たない。キスするぐらいたいしたことではない、と思っていた通りだった。なぜなら女の唇も男の唇も、器官としては同じだから。
ハイドは動揺しなかった。そして「同じ」と思っているがゆえに、ふいに興奮が兆した。
舌と舌が擦れあうたび、ハイドの閉じた目の奥で白い火花が散った。だれかとキスするのはあまりにも久しぶりで、忘れていた感覚が火柱のように肉体の奥で噴きあがる。快楽の芯を熱い手でつかまれるようだった。舌で歯列をなぞると、たしかにウィルクスの歯の何本かは牙のように尖っていた。ハイドが噛みつくようにキスを深くすると、ウィルクスは背を震わせた。彼の舌も唾液も、ハイドにはなぜか甘ったるく感じられた。
キスをしながら、ウィルクスの手はハイドの脚のあいだにすべりこんだ。指を絡ませてその部分をつかみ、手のひらを押しつける。
「おれは、いっつも抱かれるほうだから、怖がらないで」
キスの合間、ズボンの上からハイドの股間に触れながらウィルクスは熱い息を吐いてささやく。
「おれのケツに、あ、あなたの……でかいちんこ、ぶち込んでください。大丈夫ですよ、きっと、夢のようなものだから」
ささやくウィルクスの顔は欲情に崩れていた。うるんだ目を細め、うっとりした顔で彼の脚のあいだを煽るように撫でている。ハイドは彼の顔を凝視した。
おれはヘテロセクシャルのはずじゃなかったのか、とハイドは思った。久しぶりに誰かとこういうことになったせいで、肉体があおられているのだろうか? ハイドはそうだと思った。刺激を刺激として感じているだけだ。
刺激と欲望に負けて、理性が危うくなっている。ハイドは正気に返ろうとした。それでも、脚のあいだを執拗に撫でられると背筋に淫らな震えが走る。欲望は身をもたげはじめていた。ハイドは無言のまま、じっとウィルクスの顔を見つめる。目が合うと青年は泣きそうな顔で微笑んだ。
そもそもハイドには、一線を越える気はまったくなかった。依頼に全力で取り組む心構えはあったが、自分の身を呈してとは思わない。それでもウィルクスのすがるような目と必死に煽ろうとする手の動きを見ていると、なんだか気の毒になった。ウィルクスは見かけの年齢以上に落ち着いて、堂々とふるまっているように見えたが、いまの姿はハイドの目に、雨の夜に街をうろつく野良犬に見えた。
血ぐらい、あげたっていい。ハイドはそう思った。ウィルクスが彼の手を取った。冷たい手でハイドの手を握ったあと、自らの脚のあいだに押しつける。手のひらを押し返す力に、ハイドの眉間に皺が寄る。ウィルクスは彼の手を離すと目を細めた。
「あの、き……気持ち悪いですか? ごめんなさい。ど、どうしても、男に欲情してしまって」
ウィルクスは泣きそうになりながら、怯えたようにハイドの片膝に手を載せた。しかしそれもすぐに離した。目を逸らし、ハイドが座る椅子のひじ掛けをつかむ。
「あなたはとても優しそうで、いい人だ。だから、ついていっても大丈夫だって思った。でも、出てけと言うなら、消えますから」
ハイドは首を回し、ちらりと部屋の隅を見た。濃い緑のカーテンの向こうには休憩用の小部屋がある。彼は首を振った。正気に戻らなければ。ウィルクスがこわごわと視線を合わせてくる。そのとき、ハイドは気がついた。
おれは正気だ。
彼はワインを飲みほすとグラスを床に置き、ウィルクスを引き寄せた。頭をかたむけてくる彼の唇に、ハイドは目を閉じて軽く口づける。ウィルクスの喉が鳴り、胸が波打った。ハイドは目を開けると言った。
「最初に言っておくよ。これは愛でもなければ、恋でもない」
「わかっています」ウィルクスはうなずいた。「あなたはおれに同情してくれたんですよね」
ハイドは答えなかった。椅子から立ちあがり、黙って部屋の隅に歩いていく。緑のカーテンを引き開けると木の扉が現れた。扉を開け、来るように身振りで示すと、ウィルクスはゆっくり身を起こして、とり憑かれたようにハイドのそばまでやってきた。
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