5 / 12

2)平 穏〈3〉

 ◇ 「バイトを再開したい?」  夕飯時、秋良は一緒に食事をしながら清詞にバイトのことを相談した。 「はい。居酒屋とお弁当屋さんでバイトしてたんですけど、火事で住むとこなくなったから、落ち着くまでってことでお休みしてて」  秋良の言葉に、清詞はふむ、と少し考えるような顔をする。 「ここにいる間は、お金の心配なんてしなくていいんだよ?」 「さすがに勉強に必要なお金や遊ぶためのお金は、自分で稼ぎます。……それに、引っ越しの資金も貯めておかないとですし」 「ずっといてくれてもいいんだよ?」 「……そうはいきませんって」  少し寂しそうに清詞が言うのを、秋良は味噌汁の入ったお椀に口をつけながら返した。ちなみに今日のメニューは、鯵の干物にかぼちゃの煮付け、カブ菜の胡麻和え、豆腐とお揚げとわかめの味噌汁に白米である。  この家にいられるのは、大学を卒業するまでの残り二年半だけ。それまでに、迷惑をかけないくらいの貯金を作っておかなけば。  ──清詞さん、下手すると引っ越し代も出すって言いそうだし。  どんな仕事をしているのかまでは知らないが、清詞はかなり稼いでいるようだ。だがさすがにそこまでは頼りたくはない。 「まぁでも、そっかぁ。ここにいる間は恋人も呼びづらいだろうしねぇ。僕は気にしないから、呼んでくれても全然いいんだけど」  清詞の言葉に、秋良は思わず味噌汁を吹き出しそうになった。  一緒に暮らすようになってから、そういった話はこれまで一切していない。まさかのタイミングで、少々油断していた。 「……い、今は()()とか、いないんで」  秋良は視線を少し逸らしながら言う。 「ふーん。今はってことは、ちょっと前はいたの?」  清詞がどこか楽しげに尋ねた。まさかの食いつかれるとは思わず、秋良はしぶしぶ答える。 「──火事で住む家がなくなったから一緒に住みたいって言ったら、親と同居してる気分になるし、一緒に住むくらいなら別れるって、振られました」 「それはひどいねぇ……」  眉を八の字に寄せて、清詞が悲しそうに言った。 「でも、新しくできても、連れてくる予定はないですっ」 「……なんだ、残念だなぁ」  ツンと素っ気なく返す秋良に、清詞はどこか楽しそうな顔でご飯を口に運ぶ。  ──彼女なんて、いたことないけどね。  清詞には、自分が男性を好きなことを、どうしても言えなかった。  かつて、さんざん叔父さんを好きだと言ってくっついて回っていた、何も知らない『子ども』はもういない。  食事を終えて洗い物をしながら、秋良は清詞の晩酌をどうしようかと考えていた。  清詞は金曜日の夕飯の後は、ソファでテレビを見ながらお酒を飲むのが習慣らしいので、次はその支度である。冷蔵庫を開けて並んだお酒を見ながら、夕方買い物をしていた時のことを思い出した。 「あ、そうだ。今日酒屋さんに呼び止められて『清詞さんが探してたワインが入ったんだよ』っていわれて、引き取ってきたワインがあるんですけど」  秋良はそう言うと、冷蔵庫からワインを取り出して、ソファでくつろぐ清詞に見せる。支払いは済んでいるから持っていってくれ、と言われたこともあって持って帰ってきた。  モダンなデザインの白いラベルが貼られた、暗い黄緑色のボトルの白ワイン。 「ああ、昔好きだったワインでね、秋良くんに飲ませてあげたくて頼んでたんだ。代わりに引き取ってきてくれたんだね、ありがとう」 「オレに?」 「うん。今日は秋良くんも一緒に飲もう」 「……はい!」  目尻に皺を寄せて微笑む清詞に言われ、秋良はワイングラス二つと、ナッツやチーズを乗せたお皿を持ってソファへ移動した。  暗いグレーのスクリューキャップを開け、グラスに注ぐと、とろけるような薄い黄色の液体から、ふんわりと花の香りが漂う。 「それじゃあ、乾杯」  清詞の隣に座り、ワイングラスの腹部分同士を小さく当ててから、秋良はワインを一口飲んだ。 「うわ、美味しい……」  レモネードのようなスッキリした甘さが、花の香りと一緒に口の中に広がる。ワイン独特の苦さもなくて、とても飲みやすかった。 「あ、口にあったかな? よかった」 「はい! すっごく美味しいです!」  秋良が目を輝かせてそう言うと、清詞がどこか懐かしそうな顔でワイングラスに口をつける。 「あの小さかった秋良くんと、こうしてお酒を飲む日がくるなんてねぇ」 「えへへ、大人になりました!」 「二十歳のお祝いをしてあげられなかったからね。僕からのささやかなお祝いだよ」  清詞の言葉に、秋良は二ヶ月前に迎えた、二十歳の誕生日のことを思い出していた。  二十歳の誕生日は、まだ蘇芳と付き合っていたこともあり、もちろん一緒に過ごしている。蘇芳は少し高めのレストランを予約してくれていて、その時にお酒も初めて飲んだ。  ただ、その時の支払いは蘇芳が財布を忘れたからと、秋良が払ったし、その後すぐに当たり前のようにホテルへ連れて行かれたのだが、そこの支払いも秋良がした。  こうして思い返すと、蘇芳の代わりにお金を払うことが多かったような気がする。最初は忘れっぽい人で可愛いなぁと思っていたが、だんだん秋良が支払いをするのが当たり前になっていった。  いくらバイトをしても全くお金が貯まらなくて不思議だったのだが、思えば蘇芳の生活費を肩代わりしていたようなものなので、当然である。  ──蘇芳さん、今頃困ってそうだな。  蘇芳はバイト先の居酒屋の、近くのコンビニで働いていた人だ。休憩場所が近いのでよく顔を合わせるうちに覚えられ、バイト先の子と好きな人の話をしていた時に、男が好きなのを知られたようで、ある日向こうから付き合わないかと誘われた。  最初は喜んでくれた料理も掃除も、そのうち自分がやるのが当たり前になって、感謝されることもなくなって。  ──……清詞さんも、そのうちそうなっちゃうのかなぁ。  ただこの家での家事は、置いてもらうことと生活費への対価だ。むしろ当たり前になっていいはずである。  ──何考えてるんだ……!  秋良はぶんぶんと頭を振り、ワイングラスを大きく煽った。 「ん、秋良くん?」 「……あれ?」  スルスル飲めるといえど、ワインのアルコール度数はビールなどより圧倒的に高い。  考えながらぐいぐい飲んでいたせいか、視界が少しずつぶれてきて、瞼もなんだか重くなってきた。 「ありゃ、回っちゃったかな? 大丈夫?」 「だ、だいじょーぶ、れす……」  水を飲めばおさまるだろうと、水を取りに行こうと立ちあがろうとしたのだが、視界が揺れて上手く立てない。ふらついてしまって、隣に座っていた清詞に抱きつくように膝の上に座ってしまった。 「おっと、飲みすぎちゃったね」 「す、すみませ……」  慌てて降りようとしたのだが、清詞の腕にそのまま引き寄せられ、ぎゅっと抱きしめられる。抱きついた格好のまま、秋良の背中を、清詞がトントンとやさしく叩き始めた。  ──安心する。  秋良は清詞の肩に頭をすり寄せる。懐かしい振動に包まれて、寝かしつけられていた時のような、昔の気持ちが蘇ってしまって。 「……清詞さん」 「なんだい?」 「オレもう『子ども』じゃないんですよ……」 「んー? そうだねぇ」 「やくそく……おぼえて……」  とろとろと、夢の中へと意識を引きずられて、口が動かなくなってしまった。 「……寝ちゃったか」  長い睫毛に縁取られた瞼を閉じ、スースーと寝息を立て始めた秋良を、清詞はぎゅっと抱きしめる。 「ちゃーんと覚えているよ」  遠い夏の日。  田舎の山間を流れる小川で、小さかった彼と交わした約束。  清詞はそっと秋良の小さな額に口付けた。 「でも、秋良くんは『大人』になっちゃったんだねぇ」  秋良の肩を抱く、左手の薬指に光る指輪を見つめて、清詞は小さく息をつく。 「……どうしたものかなぁ」

ともだちにシェアしよう!