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サヨナラの前の忘れ物 7

ふわんりと口内に甘く広がるオレンジとパイナップルの酸味、爽やかに感じるレモンの香り。ジュースをシェイクしただけのカクテルなのに、本当に酒を飲んでいるような気分になるシンデレラは酒が弱い俺にぴったりなカクテルだと思った。 「美味しいですね、本当のお酒みたいです。僕、シンデレラってノンアルコールカクテルなことは知っていたのですが、実はこうして飲んでみたのは初めてで」 差し出されたカクテルグラスに口をつけ、疲れた身体に染み渡る甘酸っぱい味を堪能して。素直な感想をバーテンダーの男の子に告げた俺は、カクテルグラスをコースターの上に置こうと手を伸ばしたけれど。 シンデレラを提供された時にはなかったはずのものが目にとまり、俺はバーテンダーの男の子に問い掛ける。 「……あの、コレって」 カクテルグラスを置くためのコースターの上に、重ねるようにして置かれていたのは長方形の小さな紙。名刺サイズのその紙をとりあえず手に取り、俺はコースターの上にカクテルグラスを置いた。 「飛鳥さんの名刺です。お客様がもしも来店した際には、その名刺を貴方に渡してほしいと飛鳥さんに頼まれていまして。お客様がシンデレラを注文してくださったので、俺なりの遊び心を効かせてみたんです」 「ああ、だから貴方は僕に魔法だと言ったのですね」 手に取った名刺に視線を移すことはせず、俺はバーテンダーの男の子が話す内容に耳を傾けた。 「灰だらけで舞踏会に行けなかったシンデレラでも、魔法にかかれば王子様と出逢うことができました。このカクテルも同じなんです……アルコールが入っていなくても、シンデレラを飲めばバーの雰囲気を味わい、酔いしれることができるので」 カクテル名の由来の通りだと、バーテンダーの男の子の洒落た計らいと共に提供されたシンデレラと1枚の名刺。記憶が蘇る魔法とは、この名刺のことを意味していたのだと気がついた俺は、ただ無言で受け取ってしまった名刺に目を向ける。 「シンデレラは、人生を変える魔法を秘めたカクテルなんですよ。まぁ、飛鳥さんは王子様というより魔王みたいな人ですけどね。俺が初めて飛鳥さんを接客した時、どっかの店のナンバーワンホストが来店してきたんだって勝手に思ってたくらいですから」 ……魔王、か。 確かに、彼は紳士的な人ではなかった。 王子様より魔王が似合うと言った男の子の気持ちも分かるし、寧ろその方が適切だと思う。しかし、今日の朝に彼に抱いた印象とは異なる名刺の渡し方や、そこに記された職業は俺を驚かせるばかりで。 「気になりますよね、飛鳥さんのこと。すげぇイケメンで雰囲気もかっこよくて、肩書きも社長さんですし。同じ男としては、羨ましい限りの人ですよ」 男の子の話を聞いているつもりなのに、俺が頭で考えてしまうのは飛鳥という名の男のことだけだ。 忘れようとしたのに忘れられない容姿と名前、告げられた名が本名であったことにも驚いたが、俺と同年齢くらいだと俺が勝手に思っている飛鳥という男は、俺より社会的地位が上なことにも驚いた。 名刺に記載された文字、おそらく車関係の職に就いている男。名刺だけではこの情報以外得ることはできないが、それでも男の子が言うように気になる存在であることは確かだった。 今朝の時点では興味がなかったはずの男、その相手に興味を抱いてしまった自分……この感覚がなんなのか、少しだけ高鳴りつつある鼓動に問い掛けてみても、現時点でその答えが返ってくることはなかったんだ。

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