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サヨナラの前の忘れ物 8

シンデレラは舞踏会でガラスの靴を忘れていった、正確には落としていった。普段は灰だらけで過ごす娘が落とした物とも知らずに、王子は一夜限りのダンス相手を忘れることなくシンデレラだけを求め続けた。 忘れ物のガラスの靴、それを頼りにシンデレラの元まで辿り着いた王子だが、これはあくまでも作り話。誰もが素敵なお姫様のようになれるのだと、そう夢見ることのできる良くできた話だと思う。 しかし、現実の男というのは童話のように綺麗な部分だけで生きているわけではないから。作り話では描かれることのない性的欲求を王子が満たそうとしていたなら、町中の女性たちは王子に抱かれていたとしてもおかしくはないわけで。 ……例えば、王子を魔王だと考えたらどうなるのだろうと。俺が彼に渡した名刺がガラスの靴だとして、普段は仕事人間で生きている俺が昨日だけは酒に溺れて魔王と一夜を共にしたとするなら。酒の魔法が切れた俺を、魔王はわざわざ求めてくるのだろうか。 いくら身体を繋げたからといって、あの男は一度きりの相手に執着するようなタイプには思えない。そもそも、俺を抱いた彼が男好きなのかも分からない現状では、こうしてよからぬ妄想を繰り広げるだけだ。 昨晩のことは考えないように、忘れようと思っていたのに。名刺に視線を落としたまま悶々と考え込んでいる俺は、自分を正すために店内にずらりと並ぶアルコールのボトルに目を向けた。 バーテンダーの後ろに整列して並んでいるボトルの数々、カラフルな色合いも異なれば、ボトルの形状も様々なアルコール。果物のリキュール類や、ヨーグルトや卵の酒などもあり、BARのカウンターでのんびり酒瓶を眺める時間も悪くないと思えたけれど。 新たに来店した複数人のグループのお客に接客をし始めた男の子は、茶褐色で奥深い色合いのボトルを手に取りシェイカーではない別のシルバーの入れ物にその液体を注いでいく。 酒の名前は分からないが、三種類のアルコールを同量混ぜて出来上がったカクテルは、オールド・パルと呼ばれるカクテルなんだと……俺は、接客する男の子の話を盗み聞きしながら知識を深めて。 役目を果たし棚の上に戻ってきたボトルを見つめ、俺はそのボトル内の色に釘付けになってしまい、仕事中の男の子に問い掛ける。 「あの、今のカクテルで使用していたそのお酒は……」 「ああ、これはウイスキーです。味に深みのあるウイスキーをベースとしたカクテルもあるんですよ、飛鳥さんが落ち込んだ時に必ず飲むのがオールド・パルなんです」 訊ねていないことまで答えてくれた男の子に、俺はどんな顔をすればいいのか迷い、とりあえず頷いてみせるけれど。 「カクテルにも、花言葉のような言葉があるんです。オールド・パルのカクテル言葉は、思いを叶えて……俺から見れば全てを手にしているように見える飛鳥さんでも、叶えたい思いがあるのかもしれませんね」 ウイスキーの綺麗な琥珀色のような瞳、俺を見つめて笑った彼の顔が頭から離れない。三度目はないと言い捨て、名を告げた彼は一体どんな男なのか。 彼のことを考えないようにするために、俺は酒瓶を眺めていたはずなのに。結局、彼のことばかり考えてしまう自分が嫌になった俺は、大きな溜め息を吐いてスーツの胸ポケットからスマホを取り出した。 すると、着信を告げるバイブレーションが俺の手の中で震えて。見知らぬ番号が表示されているスマホのディスプレイを確認した俺は、男の子にひとこと断りを入れて店内から外へと出ていった。
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