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サヨナラの前の忘れ物 12

どっかにいないかと思っていた面白いヤツが、俺の真横にいる。少し長めの前髪を左耳に流し、なんてことない茶色に染められた髪はある程度整えられているけれど。俺の隣に腰掛けた彼の髪だけが、濡れていた。 外が土砂降り状態なワケでもなく、衣服は綺麗なままなのに。入店してきた時には気づかなかった違和感を覚えた俺は、流し目でその相手を観察して声を掛けていく。 「サッカー、好きなんですか?」 「え……あぁ、はい。でも、どうして?」 「ソレ、ボールとスパイクだから」 濡れた髪のことの方が気になる点ではあるけれど、指摘していいものか迷う髪のことよりも、俺は彼のタイピンのデザインを指差して軽く微笑んでやる。 これが女だったなら適当に胸元のリボンとかに触れ、可愛いってひと言囁くだけで簡単に暇が潰せるのにと俺は内心思っていたが。 生憎、俺の横にいるのは男だ。 微かに香る爽やかなシャンプーの匂いと、見た目は穏やかそうな容姿。顔はそれ程悪くないと思っていた俺の目を見て、彼のつぶらな瞳がゆっくりと弧を描いていく。 「あの、気づいてくださりありがとうございます」 ふにゃり、そう音を立てたかのように嬉しそうに微笑んだソイツ。それは、その辺に転がってる女より遥かに綺麗だと思える笑顔だった。 彼が入店した時に纏っていた負のオーラが嘘のように、小さな幸せが彼を包み込んでいるようで。 「もしよければ、乾杯……僕に、付き合ってくれませんか?」 クソガキから差し出されたビールが入ったグラスを手にして、竜崎隼は俺にそう言って。野郎と乾杯することなんざ、仕事の席以外でないというのに。この時だけ、俺は何故か素直に頷いていたんだ。 飲みかけの酒で、見た目25くらいの名も知らぬ男と乾杯をし、俺はラブホでパクってきたライターで煙草に火を点ける。俺が宙に浮いていく煙を見ながら一息目を深く吸い込んでいると、横にいる男は一人でボソボソと喋り出す。 それは、俺に語りかけるような、そうでないような、なんとも言えない独り言だった。 髪だけが濡れている理由も、この店に一人で来店した理由も。タイピンについても、サッカーが好きな理由も……俺が問い掛けることをせずとも、一人で勝手にペラペラと話す男。 ゆっくり、ゆっくり。 謎解きをするように話をする彼の表情を眺め、俺の表情も僅かながらに緩んでいく。ただの独り言にしては面白い話の内容、久しぶりに人と飲む酒が美味く感じて。 この男が何処と無く疲れていたように思えたのは、サッカーのコーチの仕事で力尽きているからだと分かって。髪が濡れているのは、仕事終わりにシャワーで汗を流してきたが、乾かすのが面倒でそのまま退勤したかららしいということを知った。 ここに来るまでの間に自然乾燥させた髪、左手に指輪もはめてなければ、女がいる感じもしない。俺とは違い過ぎるそんな男は、数年前に婚約までしていた女に逃げられ、それからもう恋愛はしないと決めたんだそうだ。 「受け入れる側の気持ちが分かれば、俺も捨てられなかったのかなって……最近、そんなことばかり考えるようになっちゃって」 いい歳した男が、一体何を言ってんだろうと思ったりしてみたが。この男の話は、女のくだらない自慢話を聞くより些かマシだった為、俺はただ優しく微笑み話を聞いてやっていた。 あわよくば、深く傷を負わせたままの俺の弟に、もう一度チャンスを与えてやれるかもしれないと考えながら。
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