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目には見えない不確かなもの 1

【隼side】 白石飛鳥に振り回されてから1週間、今日は飛鳥から一方的に取付けられた約束の日だ。朝から気分は憂鬱で、仕事に向かう俺の足は重たかった。 けれど、それも勤務時間になってしまえば普段通りに身体は動くのだから不思議なもので。 「先輩、お先っス」 「ああ、敦君……はい、今日も一日お疲れ様でした」 今日も変わらずヒラヒラと俺に手を振って、さっさと職場からいなくなる部下の背中を見送る俺は、一日があっという間に終息へ向かっていたことを知る。 事務所の時計が示す時刻は22時……の、10分前。 今から仕事を切り上げ、俺が猛スピードで帰り支度をしたとして、これまた猛スピードで事務所の戸締まりを確認したとしても。 「間に合わない」 指定された待ち合わせ時刻は22時、どう考えても、どう頑張っても、俺は遅刻確定だけれど。ここまで考えて、俺の思考は新たな気持ちを生み出してしまった。 ……嫌なら行かなきゃいいのではないか、と。 そもそも、俺は飛鳥の約束に了承したつもりはないわけだし。それなら待ち合わせ場所があっても、待ち合わせ時刻があっても、俺には関係のない話なんじゃないのかと。 もう二度と会うことのない相手にするならば、この約束を破談にすればいいだけの話。約束だと捉えるのか、端からなかったことにするのかは、俺自身が決めればいいことだから。 何故、俺は今日一日。 飛鳥に会うつもりで行動していたのかと不思議に思うほど、今の俺は気持ちがスッキリしているはずなのに。   仕事が片付いた自分のディスクをぼんやりと見つめ、独り溜め息を吐いた俺は、募る寂しさを隠しきれなかった。 飛鳥に会いたくはないけれど、この寂しさを埋める術が見つからない。どんなに意地を張って仕事一筋だと思っていても、こうして一人きりの時間がやってきてしまえば、途端に訪れるのは計り知れない寂しさばかりだ。 恋なんてしないと決めたのに、誰でもいいから俺に寄り添ってほしいと思う瞬間。孤独がもたらす精神的苦痛は、じわりじわりと心の奥底を這い蹲う。 誰でもいい、誰でもいいから。 だから、俺を独りにしないでくれ。 そう心の中で叫んでも他者に届くわけもなく、正常な判断ができなくなるまで俺はこの寂しさを放っておくことしかできない。 放置というのか、目を瞑るというのか。 どちらにせよ、結局は溜まりに溜まったストレスから解放されたい気持ちが強過ぎてしまって、その挙句に俺は酒に頼り、そして暴走する。 その結果が、こんな事態を引き起こして。 脱出経路が見つからない檻の中に閉じ込められたような気分で、どうしようもない不安と孤独が交差している果てに、一筋の光として見えているのは飛鳥の存在だけ。 会いたくない。 間に合わない。 でも。 寂しい。 一夜だけ、肌を重ねた相手。 まだ耳に残ったままの僅かな吐息も、熟成されたウイスキーのような瞳の色も。その全てにもう一度、心の何処かで縋りたいと願ってしまう自分がいるのが嫌だった。 嫌なのに、知らず知らずのうちに急いでいる俺がいる。約束の時間に間に合わなくても、俺は飛鳥からの約束を了承していないとしても。 俺は、俺はただBARに立ち寄るだけでいいからと。 飛鳥を求めているわけじゃなくて、俺は俺がしたいようにBARに飲みに行くだけだって……幾つもの言い訳と、矛盾した心と身体を引き摺り、俺は自らの意思でBARに向かう選択をしていた。
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