23 / 49

目には見えない不確かなもの 5

反論したくても出来ないような、なんとも言えない雰囲気が静かな車内に漂っていく。 知りたい、でも今すぐ帰りたい。 どちらも俺の本心なのに、どちらかを選ばなきゃならない感情なんて不要だと思った。 何も考えたくないのに、何も思いたくないのに。俺の心は常にどんな時でも、喜怒哀楽のいずれかを表現しようと模索している。感情が欠落してしまえば楽なのかもしれないが、そうできない俺はただ黙り込むことしかできなくて。 「……人を好きになるってさ、どんな気持ちなんだろうな。お前は知ってんだろ、俺の知らねぇ愛情ってものが何処から生まれるのか」 無言の空気を変えた飛鳥が、運転中にゆっくりと口を開く。けれどその声は、さっきまで俺を揶揄っていた男の声とは違っていた。 心細く、孤独感に溢れた独り言のような呟き。 俺に問われているはずなのに、飛鳥の言葉は俺に届く前に宙を舞って消えていく。 俺の話を聴くだけでいいと、飛鳥がついさっき言ったことを俺は飛鳥のひと言で理解したけれど。助手席から眺める飛鳥の横顔と、俺が見つめた先の男に感じるちょっとした違和感が気になってしょうがなくて。 これはおそらく、飛鳥の弱さなんだろうと……そう思った俺は、飛鳥に届くようにと想いを込めて言葉を紡いでしまう。 「飛鳥は、人を愛したことがないんですか?」 俺が知りたい情報とは異なる話だけれど、そう聞かずにはいられなかった。 「ねぇよ、そんなもん。容姿がよければ好きになるのか、セックスの相性がよければ好きになるのか、性格がよければ好きになるのか……まず、俺には好きって感情がなんなのかさえ分かんねぇから」 寂しげに、でも他人事のように言った飛鳥と一瞬だけ視線が交わり、そして再び逸らされた琥珀色の瞳が揺れる。暗闇の中、数少ない街頭の光に照らされた飛鳥の姿は、言葉では表現できない孤独と闇を抱えているように思えてならなかった。 「お気に入り、とでもいうんでしょうか。自分のモノにしたいとか、ずっと一緒にいたいとか……好意を抱くことって、特別な根拠があるわけじゃないのかもしれません」 孤独と寂しさに嘆く俺に、彼女を失った自分自身に投げ掛けるようにして呟いた俺は、飛鳥と自分を何処かで重ねていたんだろうと思う。しかし、飛鳥からの返答は、やはり俺とは根本的に違っていた。 「根拠がねぇのに好きになんのっておかしいだろ。お気に入りは好きとは違ぇんじゃねぇのか、気に入ってても傍には置きたくねぇ女なんかごまんといるぜ?」 「それは、飛鳥と僕の価値観の違いです。人それぞれ考え方も捉え方も異なりますし、明確な定義というものはないに等しいのではないかと僕は思いますがね」 愛を知らない男の、哀れな考え方。 本当に飛鳥は人を愛したことがないのだと、この歳になっても誰かに愛を注ぐことができない飛鳥に俺は同情してしまうけれど。 「ふーん、やっぱ俺には分かんねぇわ。愛なんてなくてもセックスはできるし、金さえあれば生活はできる。欲を満たす為に必要なものは愛情なんかじゃねぇ、金と時間だ」 そうハッキリと言ってのけた飛鳥は、スーツのポケットからタバコを取り出して。真っ黒な箱から一本だけを口で咥えると、慣れた手つきでその先端に火を点けた。 この歳になると固まってしまう自分の思考、他人の意見より自分の中のアイデンティティを大切にしてしまう大人は、こんな時酷く面倒だと思いつつも、俺は飛鳥に分かってほしくて噛んでいた唇を動かしてしまった。
12
いいね
0
萌えた
7
切ない
0
エロい
0
尊い
リアクションとは?
コメント

ともだちにシェアしよう!