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目には見えない不確かなもの 7

飛鳥とは話すだけ無駄だと思ったし、会話だって弾まないと思っていたのに。楽しいわけじゃないけれど、俺が感じる不満の先にある飛鳥の言葉が知りたくて、俺は走行している車内で飛鳥の声を聞く。 「昔な、俺も一度だけ好きになりかけた女がいたんだ。でもソイツは先輩の女だったんだなぁ……正確に言えば、俺が気づいた時には先輩の女になってたんだけど」 「……え、じゃあそれって」 飛鳥にも、俺と似たような経験があるのかと。 そう思った俺の心を見透かすように、飛鳥は俺の言葉を鼻で笑い飛ばして。 「お前と一緒にすんなよ、俺はお前と違ってソイツに執着してたワケじゃねぇし。茉央(まお)は当時、俺のお気に入りの中でナンバーワンだったってだけ」 少しだけ、ほんの少しだけ、飛鳥の気持ちに共感しかけたのに。俺は意味も分からず落胆し、そして大きな溜め息を吐いた。 「セックスフレンドの中のトップじゃ、本当に好きだったってことにはならないだろ」 自分でも驚くほど冷静に出てきた答えを口にすると、冷めた感情が俺を包み込んでいくけれど。 「だから、そうだって言ってんじゃねぇか。茉央も俺も、お互い遊び相手としては申し分なかっただけなんだよ……愛がなくもセックスはできるからな、それ以上でも以下でもねぇ」 「それ、飛鳥がいくつの時の話なんだ?」 「茉央と出会ったのが16の頃で、初めてアイツ抱いたのはたぶん俺が17の時。アイツが先輩と結婚するって言ったのは、いつだったっけかなぁ……もう、覚えてねぇや」 思い出す気がなさそうな飛鳥の声と、それを裏付けるような微笑み。飛鳥にどのような過去があるのか詳しくは分からないけれど、一つ言えるのは学生時代に話す類いの内容じゃないことだった。 高校生と言ったら、部活と受験勉強の両立に頭を悩ませつつも、淡い恋心を抱き始める頃だと俺は思っていたのに。想像を超えている飛鳥の話は、俺には理解し難くて。 「まぁ、俺の話はどうでもいいんだけどさ。他人がどうなろうとどうだっていいクセに、自分の周りのヤツが傷つけられたら人はその傷つけた加害者を憎むんだよ。加害者側の気持ちなんて知らずに、被害者を哀れむ……それは、やっぱり自分が一番大事だからだ」 分かるようで分からない呟きが続き、俺は話についていくのに必死になってしまう。けれど、飛鳥の声は掠れていて弱々しく、何故だか俺の胸が苦しくなって。先を聞きたいような、聞きたくないような……飛鳥が持っている闇の部分に触れる勇気なんて、今の俺にはないのだが。 「例えば、婚約者だった彼女が加害者で、お前が被害者だとする。俺はお前の話しか聞いてねぇから、俺はお前が可哀想だと思うけど。彼女のダチや親からすれば、被害者は彼女になるワケだ」 最初から、誰かを傷つける目的で生きている人間なんて存在しないんだと。自分が一番大事だから、俺たち人間は自分自身を守る為に人を傷つけるしか術がないんだと。 それは、どれだけ愚かで醜い感情なんだって……弱さを隠して生きるしかない大人の都合は、ただのエゴだって。遠回しにそう言った飛鳥は、ゆっくりとタバコの火を消した。 「被害者だって、見方を変えたら加害者かもしれない。人は他人を傷つけて、心の傷は目に見えねぇからって何も知らねぇフリをする。都合が悪けりゃ誰かのせいにして、自分は関係ねぇからって現実から逃げちまう」 「……飛鳥は、逃げてばかりなのか?」 どうしてこんなふうに思ったのか、根拠なんてものはないけれど。経験から語られたような飛鳥の言葉は、俺の想像以上に重みのあるものだった。 「傷つけるつもりじゃなかった、アイツの為を思ってやったことだった……でも結局、俺がやったことはアイツの心に大きな傷を残しただけだった」
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