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目には見えない不確かなもの 12
俺のミスと言うべきなのかどうかは分からないが、今年度、俺が指揮を執るスクールでは人手が足りていないのが現状で。
猫の手も借りたいくらいの気持ちで毎日過ごしている俺にとって、飛鳥の発言はとてつもなく魅力的だった。
「……頂けるなら、欲しいですが。あの、一応確認しておきますけど飛鳥の弟さんを俺に任せる気じゃないでしょうね?」
どんな人材であれ、今のスクールの状況を打破出来るのなら俺は助っ人が欲しいけれども。話の流れからして、どう考えても俺が得られる人材は飛鳥の弟だと思うから。
この男の弟の話をついさっき聞いたばかりの俺には、すぐに飛鳥の弟さんを受け入れるような気持ちにはなれなくて……申し訳なさを声に滲ませつつも、俺は飛鳥に問い掛けることしかできなかったんだが。
「察しがいいじゃねぇか、その通りだ。大の男が仕事のし過ぎで疲労困憊、酒に酔って見知らぬ俺を誘った挙句に、こんな廃墟の前で立たされてるお前にとっては悪い話じゃねぇと思うぞ」
俺のことをあたかも全て知っているみたいに、俺が飛鳥に振り回されているのは自業自得だと告げるみたいに。俺は飛鳥から、心底馬鹿にされているのだろうと。
俺は、本気でそう思っているのに。
飛鳥の声色が驚くほど優しくて、俺の頬をゆっくりと撫でていく手があまりにも温かくて。揺れる瞳と笑う口元に、一瞬だけ見えたのはとても不器用な優しさで。
「……隼ちゃーん、お願い」
「あ、すか……」
俺に縋る様に伸ばされた飛鳥の腕を振り払うことも忘れ、俺は愛を知らない男の腕の中で、ソイツの名を呟くことしかできなかった。
よく知らない男の、理解できない頼みごと。
俺が飛鳥の頼みを承諾する必要はないに等しいのに、俺を抱く飛鳥の温もりに心が大きく揺さぶられる。
飛鳥に振り回されてばかりいる自分が情けないと思いつつも、本当かどうかも定かじゃない飛鳥の話に同情しかけている俺がいて。
「弟がまだ心のどっかで夢を諦めてなかったら、アイツは必ずお前の下で学ぶことを望むと思う……いや、そうであってほしいって俺が勝手に思ってるだけだな」
渇いた声と共に零れ落ちていくのは、行き先のない飛鳥の願い。それを今、受け入れようとしている自分と、すぐにでも逃げ出したい自分の気持ちが混ざり合って酷く苦しく感じるけれど。
暗闇の中で真っ直ぐに俺だけを見つめる飛鳥の瞳は、俺の心を捉えて離してはくれない。
俺とは違い過ぎる男の思考回路は全く理解できないままで、結局俺をどうしたいのかと聞き返す気力すら薄れていく一方で。
見つめ合うというより睨み合うような、お互いがお互いを試すみたいに、それぞれの瞳に映る己の姿を目に入れて……先に根負けし飛鳥から目を逸らした俺は、どうするべきなのか考えようと足元に視線を移すけれど。
「っ、…ん、ぅ」
視線と一緒に伏せてしまいかけた俺の顔を片手でするりと持ち上げた飛鳥は、有無を言わさずに俺の唇を奪っていく。
ほろ苦いタバコの味の口付けに溺れそうになっている俺とは違い、余裕たっぷりでこの時を味わうようにキスをする飛鳥。
俺のモノではない、いや……おそらく誰のモノでもないであろうこの唇が、今だけは俺の元に降り立っていることに少しだけ安堵してしまうのは何故だろう。
こんな男、好きじゃないのに。
頼みなんか、聞きたくないのに。
「……隼、頼んだぞ」
離れた唇を追いかけるようにして目を開けた俺は、心の内とは裏腹な態度で、甘く蕩けた瞳を飛鳥に向けつつ力なく頷いていた。
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