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失ったものと得られたもの 4

自室の壁に押さえつけられ、告げられた言葉に、脳が溶ける感覚がした。 恥以外のなにものでもないのに、堕ちるほどの快楽へと手を引かれた身体は、もう後戻りできないのだろう。けれど、それは身体のみ……だと、俺は思いたくて。 「……っとに、やめてくれッ!!」 身体がいくら素直に反応したとしても、このまま飛鳥に縋るわけにはいかない。 お互いに、いい大人なのだから。 飛鳥だって、欲に溺れて本来の生活を手放すなんて破滅的な考えは、俺と同様持ち合わせていないはずだ。 そんな俺の考えを肯定するように。 思いの外あっさり身を引いた飛鳥は、俺を寝室へ放置してリビングへと向かって行く。 その背中を眺め、安堵と共に僅かな寂しさを抱える俺の心なんて……この男には、一生掛かっても理解されない思いなのだろう。 そもそも、何故男の俺に構う必要があるんだろうか。バーテンダーの男の子だって、飛鳥は全てを手に入れているようだと話していたことがある。 そう思わせるには充分過ぎる容姿と風格を持ち合わせている男が、朝っぱらから俺をからかって遊んでいる事実を簡単に受け入れることはできない。 なんで。 どうして。 俺は、それを繰り返すばかりなのに。 深く知ろうと考えるほど、分らなくなる。 相手には困らなさそうな飛鳥が、何故……って、もしかすると、そういうこと、なのか。 いや、でも。 だからってこんな、一夜の過ちを何度も行う必要なんてない、だろ。 まずは、冷静になろう。 あの男の気が変わらぬうちに、俺が欲している者を手に入れるために。 とりあえず、飛鳥に流されているまま過ぎる時間を持て余す、なんてことは一番勿体ない事態なのだから。 そう考えを改め、よろめきそうになりながらもクローゼットの中からルームウェアを取り出した俺は、それを纏ってからリビングへと向かうことにしたんだが。 「……隼ちゃん、お前本当に俺より歳上か?」 服を着て部屋から出てきた俺を見るなり、ソファで寛ぐ飛鳥にそう問われた俺は、あからさまに機嫌が悪くなった。 「なんですか、その言い草」 振り回されないように、平然を繕う選択をしたのに。飛鳥のひと言で、こうも簡単に心が揺れ動いてしまうなんて本当にこの男は気に食わない。 それでも、なるべく表には出さないように。 尖りそうになる唇を噛み、悔しい思いをやり過ごすけれど。 「いや、スーツか全裸のお前しか見たことなかったから……なんかジャージ着てるし、今の隼ちゃんはどう見ても学生だぜ?」 下から上まで確認を取るように向けられた飛鳥の視線は、消え去った夜を思い返すように甘く揺らいでいく。 それなのに、発言はとても幼稚だ。 咥えているタバコの煙が目に入らないよう、片方だけ細められた瞳の奥の熱を俺は知っているのに。 「ふざけたこと言わないでくれませんか。童顔だとか、もう言われ慣れてますがッ、さすがに三十路前の男が学生には見えないでしょう!?」 小さく握った拳に、弱い自分が見え隠れする。それでも虚勢を張り、声を荒げてしまうのはきっと、男としてのプライドだけれど。 「見えてるから言われてんだろ。人の話はちゃーんと聞きましょーねぇ、隼ちゃーん?」 「バカにしないでくださいッ!!」 「ふーん、じゃ、真面目な話でもする?」 頬が赤くなりそうなほど怒りを露わにした俺に、柔らかな笑顔で差し出されたのは落ち着いた声色と、俺の知らない飛鳥の一面だった。

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