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第11話
ぼくがタカハシに抱いた恋心というものは、どこかしら雛鳥の「すりこみ」に似ている。孵化したばかりの雛が初めて見た動く物体を親鳥と間違えちゃうという、あれだ。
ぼくはもとはといえばそんなに恋愛感情の豊かな方じゃない。
むしろ逆で、中学までは人を好きになるなんてどうやったらできるんだろう、顔が可愛いだけで好きになるなんてありえねーよなとか思ったり、でもそろそろむりやりにでも好きな女の子を作った方が体裁いいのかな、なんて人知れず焦ったりもしていた。
いったい人を好きになるなんてのはどんな感覚なんだろうと、今から思えば奥手なのか不感症なのかよく分からないドライな中学生だった。ましてや高校に至ってはぼくのこの女みたいだとよく言われた顔と、内向的な性格がたたって、同性から何回も言い寄られたりして、そのうえ家ではごたごた続きだったから、正直、恋愛どころの話じゃなかったのだ。
そんなわけでぼくはこれまで、悟さんのおかげでセックスの回数こそ人並み以上を誇れるものの、一方で恋愛感情やらお互いを労わりあうセックスやらはいまだかつて経験がないために、初めてあんなタカハシのお優しいセックスを目の当たりにして、ぼくはあの美少年から奪いたくなっちゃったくらいにタカハシを好きになってしまったのに違いない。
しかしさすがに我ながら、これはヤバい、と思う。
いわゆるこれって不倫とか略奪愛とかいうドロドロした愛憎劇に突入しちゃうパターンなんじゃね?と思ったりもする。
でもまあ、いっかぁみたいな、あっけらかんと開き直った感じも、どこかでするのだ。
だって、好きになっちまったもんはしかたがない。
それは逆に、誰かを好きになれない状況が自分ではどうしようもならないのと同じに、好きになっちゃったのもまた自分ではどうしようもできないことなのだから。こんな低レベルの開き直りって、もしかしたらぼくが元来、そんなに物事を深く思い悩むたちではないからなのかもしれない。
ただせめては、あまり見苦しくないように、好きでいよう、とは、思ったりする。
旦那はあの美少年のものなのだ。そこんところ、ゆめゆめ忘れちゃならないぞ、と。それはかなり、つらい覚悟ではあるけれど。
タカハシの家は学校の最寄り駅から二つ先の駅から近いとのことで、その改札口で待ち合わせた。
昼過ぎの定刻前に着くとタカハシはすでにいて、ぼくは初めての駅での居心地の悪さから、その顔を見るなりふっと開放された。
梅雨の合間の晴れた日で、初夏にふさわしいような気温、湿気もあるからやや不快に汗が滲む。
半袖シャツから覗くぼくの腕はそうとう情けないくらいに青白くて細くて、やっぱり少々暑くても長袖にすればよかったと、筋肉の盛りあがったタカハシの健康そのものな褐色の腕を目に留めながら後悔した。
「家に行く前にちょっと寄るからな、珍しいところ」
そうそう、と、ひょこんと心が躍る。
ここに来るまでの電車の中でぼくが考えていたことといえば、この、タカハシの言っていた「珍しいところ」ってどこなんだろう、って、いや、もっと正確にいえば、昨夜悟さんにガンガン突かれて喘いでいたときも、それを考えていた。
いったいどこへ連れて行ってくれるのかしら。珍道中ってやつね、これって。
なんたって「珍しいところ」だから。絶対にカラオケとかゲーセンなんてありきたりな場所じゃないよな。
大人っぽいタカハシの旦那に似合いそうなところだから、なんとなく、プールバーなんてどう? あれって未成年は入れないんだっけ? 旦那なら難なく誤魔化せそうだけど、ぼくはダメだ。見た目がガキ過ぎるもん。
いまは時間が時間だから、あまり不健康そうな店は開いていないだろう。ああ、でも、思いきって、ラブホなんてどうよ。タカハシさん。もうぼくを好きにしちゃって。なんでも命じちゃって。思いきり感じて、遠慮なく根元までブチ込んじゃって。そんでぼくをアンアン言わせて。…あ? ――勃ちそう。ただし背中は見せちゃダメだな。SMのムチ痕なんて見たら、勃つものもおっ勃たなくなっちゃうもの。
「バスに乗るんだ」
はっと我に返った。あまりにふしだらな思考をしていたのでなんだか恥ずかしい。
とにかく一緒に行くならあまり金のかからないところがいいのです、ぼくは貧乏人ですから、と、前もって断っておいたほうがいいかしら。
他に並んでいる人のいないバス停に二人で佇む。見ると運行は一時間に二本ばかり。どこの田舎に連れて行かれるのだろうか。
まあ、どこでもいいんだけれどね。タカハシと一緒ならばそれだけでぼくはうきうきしちゃうのだから。
タカハシからふっといい匂いがしてくる。石鹸の匂いだ。ものすごく一般的な、小学校の手洗い場にあるような牛乳石鹸の匂い。
ぼくの鼻の高さにある腕、半袖の青いTシャツからぬっくと出ている上腕あたりから漂ってくる。風に揺られて、ほの甘く。
もう、クンクンクンクン、わんちゃんみたいに鼻をくっつけて嗅ぎたい。それができないから、ぼくはほんの少しだけタカハシに体を寄せた。ちょっと腕が重なるくらい、肌が触れ合わないように気をつけながら、胸いっぱいに息を吸う――――いい匂い……幸せ―――。
青い鳥。
青い鳥。
幸せはすぐ近くにあるんだよ。
青い鳥。
ということは、ぼくにとってタカハシは青い鳥だったのか。
やってきたバスに並んで座った。タカハシはぼくを窓際に座らせてくれる。お子ちゃまなぼくは、そんな気遣いがとても嬉しい。
後方の二人用の座席にGパン同士の腿を密着させて、腕の肌を擦り合わせて収まった。日に焼けたタカハシの腕はがっしりとしていて、そして肌が少しだけざらついている。こういうの、運動部のやつに多い。どうしよう。顔が火照る。まるで小学生がフォークダンスで好きな人と当たったときみたいだよ。これじゃ今夜もまた発熱しちゃうかもしれない。
走り出したバスの車窓から見える景色は時間を追うごとに田舎臭くなっていった。
まずビルが消える。マンションが消える。平成的な一戸建てが消える。昭和な民家が増えてくる。畑が増える。林が増えてくる。…あっちに見えるのは田んぼか? …サギがいる。ここ、ほんとに都内か?
こうなってくるといよいよぼくの頭の中では、行き先は二つしか考えられなくなってくる。実はタカハシは農耕少年で、ぼくと一緒に畑仕事をするつもりなのか。それとも田舎にありがちなコテコテのラブホに入って、お楽しみをするつもりなのか。
できればラブホがいい。ラブホであってほしい。
精神的にひ弱なぼくは農耕に向かないのだ。
なんと、駅から四十分も揺られてバスを降りた。
カアカアと頭上でカラスが呑気に鳴く。綺麗な空気の中であたりを見回した。ラブホはどこだ?
「酔わなかった?」
いまさら訊くから大丈夫と答えた。
公道から外れた、一台の車がようやく走れるような細い道に入った。片側には大きな一軒家が並び、片方は竹やぶになっている。蚊がいそう。うん。ぶんぶん寄ってくる。
「ねえ、あとどれくらい?」
痺れをきらして訊ねた。
「あと、ちょっと。この先」
どんなラブホが待ち構えているんだろう。シンデレラ城みたいだったらフくな。それよりもそろそろ心の準備をしておこう。ぼくを待ちうけるのは、農作業なのか、おセックスなのか。
しかし待っていたのは、当然、そのどちらでもなかった。
敷地の入り口に掲げられたでかでかとした看板が目を引く。
『社会福祉法人健鳳凰会 特別養護老人ホーム 小鳥こころの里』
(――は? 老人ホーム?)
「小鳥こころ」って、このネーミングの微妙な半端感、なに?
まさか珍しいとこって、ここ?
「やあ、宗太君、いらっしゃい」
ガラス張りの観音扉から中に入ったすぐの窓口で「お邪魔します」とタカハシが顔を覗かせると、中年のおじさんが返事をした。ぼくは所在無げな感じでタカハシの背中に隠れるように立っていたけれど、ぼくも名前を書かなくちゃならないようで、タカハシからペンを渡される。
「へえ、今日はお友達も一緒?」
「ハイ。じいさん、元気スかね」
「相変わらすだよ。宗太君が来るの楽しみにしてるから、会ったら喜ぶよ?」
へえ。タカハシの下の名前、「宗太」っていうんだ。
ぼくは記帳した自分の名前の上に書かれているタカハシの無骨な筆跡を目に留めて、思わず笑いが込みあげた。――ふふ。だって、なんかレトロで可愛い。タカハシソウタくん、か。覚えとこ。
なるほど、おじいさんの面会か。当然、ぼくは会う義理もないから部屋の前のロビーかなんかで待たせてもらうつもりになった。
小鳥こころの里は一見そっけない病院みたいな外観だけれど、内装はちょっとした観光ホテル並みに奇麗に装飾されている。ソファなんかも高級感があって、冷房も程よく効いていて心地いい。こういうのなんとなく、居住者重視の姿勢、というのかな。
ぼくは物珍しさにきょときょとと見回した。たしかに「珍しいところ」には違いないや。面白いかと問われればそうは思わないけど。しかし老人ホームなんてこの先、来る機会はそうそうないだろうし、世話になるのはきっとウン十年先で、そのときにぼくが生きているのかは甚だあやしい。
エレベーターでタカハシが五階のボタンを押す。そのドアが開いたと同時に、ぼくは広がった視界に呆気にとられた。
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