2 / 63
2 からの、これですか
オフィスで死んだはずなのに、森の中で目が覚めた。
持ち物は謎のネックレスだけ。
道なき道を進む。大木の根は歩みを邪魔してくるし、俺の背より高い植物をかき分けると得体の知れない虫が跳ねる。
季節は秋だろうか、風が吹くたびに寒い。
冒険にうんざりしてきた矢先、かすかに歌声が聞こえた。無垢な少年の声だ。
「歌……?」
こんな夜に子供が歌っているなど変だ。
あまり気は乗らなかったが、状況を知るための手がかりを無視するわけにもいかない。
耳を澄ませながら声を追うと、道が開けて視界が広くなっていく。
――そこには大きな湖があった。水面が雲から透ける月光を吸収し、ぼんやりと輝いている。
草陰から様子をうかがうと、ほとりの岩に腰掛けたような人影がある。
その人は下半身が魚のシルエットに見えた。何かの錯覚か?
近付こうと、草むらから身を乗り出す。
「おい、近寄ると内臓食われるぞ」
「うわあっ!?」
急に背後から声をかけられ、びっくりした。
「人魚が歌うのは捕食行動だって知らないのか? 変なにおいがすると思ってきたら……見ない顔だな。街から何しに来た?」
人魚? におい? 何?
声をかけてきた男は、同性が見惚れるほど鍛え抜いた体格をしていて迫力がある。肌の色は褐色だし、髪は灰色で瞳は緑、とても日本人には見えない。でも言葉は通じる。何者なんだ。
それに、とんでもないイケメンなのに時代錯誤の木こりのような格好で、ちょっと体臭が獣っぽくてきつい。なんなんだ。この体臭の人にニオイのこと言われてんの?
「あ、あの、俺、迷子……みたいなヤツで、その、街への行き方、わかりますか?」
動揺しすぎてカタコトになってしまった。
獣臭のするイケメンも、いぶかしげに眉根を上げて俺を見る。
そのとき、サァッと風が吹いた。
空の雲が流れ、満月の明かりが周囲を照らす。
「──あっ、まずい、月が……」
ドンと突き飛ばされて草むらから転がり出た。
「うわっ、い、いきなり何……えっ!?」
俺は驚愕して言葉を失う。さっきまで確かに俺と同じ人の姿をしていた男が、唸りながら姿を化け物に変えていくではないか。
肌が毛深くなって、人間の耳が獣の耳になり……鼻や口、手が……おとぎ話の狼男みたい……というか、狼男そのものだった。
「グルルっ……ヴウ……!!」
灰色の人狼は、鋭い眼光で俺を見た。
動物園で見た狼よりも大きくて普通ではないそれが、檻も無しに目の前にいる。
「うわっ! うわああっ!!」
思わず走り出していた。湖の人影に向かって。
「た、助けてっ? いや、逃げてっ? と、とにかく、変なっ、狼男がっ……! た、食べられる……ッ!」
そう叫ぶと、ほとりの岩に座る人物はこっちを振り向いた。
目が合う。
彼は俺の肩越しに狼男を見て「ああ」と言った。
「バウのこと? 満月を見たら変身しちゃうけど、中身はいつも通りだよ。ノミ移すからって人に近寄るのはイヤがるけどね」
「えっ?」
勢い余って岩にぶつかりそうになる。手を突いた俺はハアハアと肩で息をしていた。
長らくマトモに運動をしていない身体は、ちょっと走るだけで限界だ。
友達を紹介するような言葉にも驚いたが、月明かりに照らされた彼の姿にもっと驚く。
声は少年だったが、実際はもっと大人びた風貌だった。中性的なとびきりの美人だ。
そして……なぜか裸で、下半身は魚。作り物には見えない。腰にあるのはヒレか? ヘソがないのも卵生動物ってこと? 首にエラっぽいのもある。
本物の人魚?
「彼は街の人を食べないって誓いを立ててるから、食べられたりしないよ。──それにしてもキミ、いいにおいだね。これ、血のにおい?」
「え、あっ」
饒舌な人魚に指差された先を見ると、ワイシャツの二の腕あたりが破れていた。
隙間から見える左腕からは血がにじんでいる。気付かないうちに植物で切ったらしい。
「おいしそー。ね、こっちおいでよ」
「前半のセリフと後半のセリフの繋がりが不穏すぎる」
背後から狼の遠吠えが聞こえた。
振り返ったときには、四つ足で駆けてきた狼男が俺に飛びかかってくるところだった。――なすすべなく押し倒され、鋭い爪が肩に食い込む。
「ちょっと! ヒトは食べないんですよね!?」
すがるように人魚を見ると、彼は不思議そうに首をかしげていた。
「様子が変だなぁ。あ、バウは鼻がいいから、このにおいに酔っちゃったのかも。キミの魅了 能力でしょ? 制御できないの?」
「すみません! 言ってる意味がわからない!」
「グルルル……」
髪や耳元を嗅がれる。荒い鼻息が肌を撫で、ゾワゾワした。
剥き出しの牙は鋭く、首を噛まれようものなら一撃で死ぬだろう。
「ひいい」
身体が震えて止まらなかった。
なんだよここ! 人外しかいないし、食われそうだし、俺はまた死ぬためにこんなところで目を覚ましたのか? どうして? ろくな人生を送らなかった天罰?
狙いをすまして獣の口が開くのを見て、眼からぽろぽろと涙がこぼれた。
成人してから泣いたことなんかなかったのに。
──ひゅん。
風を切る音がしたかと思うと、ほぼ同時に破裂音が耳をつんざいた。
「キャウウンッ!」
狼男が悲鳴をあげて飛び退く。
ひどく背中を痛がっているが……何が起きたのかわからなかった。
「私の領地でさわがしいぞ」
知らない声がして振り返ると、鞭 を持った男が立っている。
いつ、どうやって現れたのかまったく気が付けなかった。
俺は目をしばたかせて、男に魅入ってしまう。
狼男と人魚の二人がまだ素朴だったと思わされるほどの、息を呑むような美丈夫だ。でも格好は中世貴族じみたフリルだらけの変な服装で、それでいて真っ黒だからいかつい。しかも革鞭。美しいのに、SM趣味の変態っぽい。
次から次へと現れる登場人物の個性の強さに、混乱は深まるばかりだった。
「う、わっ」
鞭男に腕をつかまれ、とんでもない力で引き起こされる。
立ち上がったのにその端正な顔は見上げる必要があった。身長差でさらにたまげる。俺もそんなに低くないはずなのに、頭一個分は違う。この人、二メートルくらいないか?
「おかしな魔力を感じて来てみれば……。いつもの獣臭に魚臭に……なんだこのにおいは。おまえ、変態か?」
「ええ……?」
変態装備のヤツに変態呼ばわりされて、さっきから理不尽すぎる。
でも、助かったと思った。
狼男も人魚もこの男を恐れているらしい。すっかりおとなしくなっている。
ともだちにシェアしよう!

