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会偶 (3)

 そんな状態で大丈夫かと心配になったが止める間もなく田口はスマホを手にバーの扉の外へ出ていってしまった。夜風に当たって嫁の声を聞いて少しは酔いが覚めれば良いが。 「……すみません、騒々しい奴で」 「やー、全然、大丈夫っすよ」  酒も飲むし煙草も吸うそれなりの年齢の大人の男で更にはバンドマンだ、酒の席には慣れているのだろう。涼しい顔で一杯目のビールを飲み干すと横目で悠臣の様子を窺う。その仕草が妙に色っぽくて悠臣は思わずドキッとした。  目が合うと男は田口との間に空いていた席に座り直す。 「何飲んでるんですか?」 「え?あぁ、メーカーズマーク」 「じゃあマスター、次俺も同じので」    初対面ということ以上に掴みどころのない男の飄々とした言動にいちいち狼狽えてしまう。先程のライブを見ていなかったらそんなことも無かったのかも知れないが、あまりにもライブでの印象が強烈過ぎた。 「おにーさん名前は?」 「あぁ、青木、です」 「下の名前は?」 「悠臣」  そちらは?と悠臣が言い掛けたタイミングで電話を終えた田口が戻って来た。 「いやぁ〜電話遅いって嫁に怒られてすっかり酔いが冷めましたよ、すみませんでした青木さん、とそれから、あ、そういえばまだお名前伺ってなかったですね、俺は田口佑磨です」  自分が聞こうとしていたことを田口に言われ、美味しいところを持って行かれたような気分で少し面白くなかったが別に怒るようなことでもない。 「……(みなみ)です」 「南さん!よろしくお願いします!や〜、ほんとさっきのライブ良かったですよ〜」 「下の名前は?」  酔いが冷めているとは思えない田口の声量に負けないよう少し声を張って悠臣が尋ねる。特に意味は無かったが、何故だか彼と同じ返しをしてみたくなった。 「……尚行(なおゆき)」  “みなみなおゆき”心の中で繰り返して、あることに気が付いた悠臣は堪えきれず吹き出す。 「Southboundってバンド名、単純にオールマンの曲から取ったのかなって思ってたのに、もしかしてそっち?」  悠臣の言葉の意味も笑っている理由もピンと来ていない田口の向こう側で尚行は一瞬驚いた顔をした後、不機嫌を露わに眉を顰めた。 「お、名乗ってすぐに両方気づいた人は初めてじゃないか?やるねぇ」  ムスッとしたままの尚行の代わりにマスターが答える。 「ん?どういうことですか?」 「さっき彼が言った“オールマン”っていうのは、The Allman Brothers Bandって言う1969年にデビューしたアメリカのバンドのことで、サザン・ロックって言われるブルースを核とした泥臭いサウンドとライブでの即興演奏が今聴いても秀逸なんです」  そう言ってマスターはカウンター内の棚から二枚のレコードを迷うことなく取り出す。   「有名なのはこのライブアルバム、それからこの“Brothers and Sisters”というアルバムにこいつのバンド名でもある“Southbound”という曲が収録されてるんですけど、“Southbound”を直訳すると?」 「“South”は、南ですよね、“bound”って、何でしたっけ?」  田口はいつの間にか三杯目を飲んでいる悠臣に助けを求めた。 「“跳ねる”とか“向かう”とか、“Southbound”だと、“南行き”って意味になるかな」 「南行き、みなみ、ゆき、あ!名前?」  南 尚行、みなみなおゆき、南、行き、みなみ、ゆき、単なる偶然でないことは、先程のマスターの反応ですでに立証されている。 「バンド名決めるのとか俺苦手だからメンバーに任せてたら変なのばっかり言ってきて、その中でも一番まともだったんすよ。漢字が“直行”じゃなかっただけまだマシ」  相変わらずの憮然とした表情で尚行は唇を尖らせて言う。 「他にどんな候補があったのか興味あるけど、良いじゃないですかSouthbound、演ってる曲とかバンドのイメージにも合うし、俺は好きですよ」 「笑ってたじゃないっすか」  そう言いながら尚行自身も笑っている。気を悪くさせたかと思っていた悠臣は少しほっとした。   「いや、なんて言うか、あんなレベルの高いジャムセッション繰り広げる洗練されたバンドからそういうオチ想像出来なかったからちょっと面白くて、笑っちゃってすみません」 「驚いただけで別に怒ってないっすよ。音楽詳しいみたいだけど、何かやってるんですか?」 「……いえ、ただの音楽好きですよ」 「あー、だから青木さんこのバーに来たかったんですね、レコードや楽器も置いてあっていかにも音楽好きな人が集まりそうなバーですもんね」  田口の言うように、カウンターには大量のレコード、壁にはそこそこ年季の入ったモーリスのアコースティックギターが飾られている。 「ここは地元の音楽好きには有名なバーですよ。ちょっと前に雑誌にも載って旅行のついでに来る人も増えたし」 「あぁ、俺もそれで知りました」  半年ほど前に本屋でたまたま目に付いて購入した全国の音楽バー・喫茶特集の雑誌は思いのほか良くて、以来悠臣はずっと愛読している。
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