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再逢 (4)
悠臣の目の前で尚行は妖艶な笑みを浮かべる。まるで、ギターを弾いている時の様な……、その表情に体の奥底にしまい込んでいた不要な熱が呼び覚まされそうになって、悠臣は慌てて尚行を押し退けた。
「やめろって、何考えてんだ」
「ナニって、この状況でセックスしかねーだろ」
「お前、……え?お前って、そっち?」
「あれ、言ってなかった?俺ゲイだし。あ、Strange Brewのマスターとかバンドメンバーとか、親しい人は大体知ってるから」
バーのマスターの名前を出されて思い出した。“本気で気に入られたら後々大変だし、逃げるなら今のうち”って、そう言う意味か。
「……俺の軽率な行動で期待させたんなら申し訳ないが、悪いけど俺は、」
「でも悠臣はこっち側だろ?正確に言うと両方イケる」
臆することなく言い切る。揶揄っている風でなく、真剣な表情の尚行を前に何を言っても見透かされてしまいそうで、悠臣は取り繕うことを諦めた。
「もっと正確に言うと、どっちも経験があるだけだ。恋愛の対象は異性、同性に恋愛感情を抱いたことはない。今の会社に入る前、色々あってちょっと荒れてた時期があって、その頃に興味本位で一度だけ男とも寝た。だけど、この先はもう無い。俺さ、この転勤を機にちゃんとしようと思ってて、もうそこそこいい年齢だし、そろそろまともに恋愛して結婚もしたいんだよ。……こんなとこでこんな格好で言ったって何の説得力もないけど」
いまだ上半身裸でベッドの上にいたことにようやく思い至り、悠臣はベッドを降りてスーツを手に取る。
「スーツ掛けといてくれて助かったよ、ありがとな」
床に脱ぎ捨てたままだったら確実に皺くちゃのスーツを着て帰る羽目になっていた。
「……もういるわけ?そういう相手」
「え?あぁ、……まあ、そうだな」
「……ふーん、あっそ。昨日もクソ真面目な話ばっかして頭硬いヤツだなってちょっと思ったけど、そのくせ人の懐にはあっさり潜り込んできて案外簡単に落とせんのかなって思ったらやっぱクソ真面目だったし」
「……俺、何言ってた?」
なかなかの言われようだが、昨夜の記憶が無いので反論の余地は無い。
「お前のギターは世界に通用する、もっと活動の幅を広げて世の中にアピールすべきだ!お前のギターを聴いたことが無いくせに音楽好きを名乗ってる奴らは全員クソだ、後世に名を残すギタリストになれ!」
「……マジで?」
「マジで。俺がどんだけ興味ねえっつっても聞きやしねぇし。挙句ああしたらいい、こうしたらいいって業界人みたくうんちく垂れてくるし」
「……それでよくその場に放置せずわざわざ連れて帰って来てくれたな、ほんと、悪かった」
想像以上の醜態で治ったはずの頭痛がぶり返しそうだった。
「別にいいよ、面白かったし」
そう言って笑う尚行の表情に嘘は無いように思えて悠臣はほっとする。
「……まあでも、お前のギターをもっとたくさんの人に聴いて欲しいって思ってんのは、本当だよ」
悠臣がそう言うと、途端に尚行の顔から笑顔が消えて行く。
「けど、なんでかは知らないけど、お前がそれを望んでないってことは理解した。それでも俺はお前のギターに心動かされた一人だから、これから先一人でも多く、そういう人に届けばいいって、勝手に願ってるよ」
「……ほんっとクソ真面目だな。そういうの、嫌いじゃないけど」
振り返って見ると、初めて会った日と同じように顔を顰めて何だか困ったような顔をしている。その表情の意味を悠臣はもう知っていた。
「照れんなよ」
「照れてねえよ!クソ恥ずいこと言ってんの自分だろ。言っとくけど、俺このままで終わるつもり無いからな、覚悟しとけよ」
「ははっ、受けて立つよ。……けど、それよりお前、その前にこの部屋、どうにかした方がいいぞ」
八畳程の寝室内にはダブルベッドと洋服が掛けられたメタルラックの他に家具は無く、ベッドから降りるまで気が付かなかったが、床は足の踏み場も無い程物で溢れていた……。
その後すぐにライブでの姿からは想像も付かない程に尚行は生活能力が著しく低いと判明し、悠臣はこの現状を知りながら放っておくことは出来ず、更には驚くべきことに尚行の自宅から悠臣のマンションまでは徒歩で五分もかからないとわかると自ら世話役を引き受けた。以来仕事終わりや休日に足繁く通い、部屋の掃除をしてバランスの取れた食事を作り、低血圧で朝が弱い尚行のために出勤前にわざわざ尚行の家を訪れ、起こしてやって悠臣が用意した朝食を一緒に食べる。あまりにも何もしないのは流石に尚行のためにならないので、二人が使った食器を片付けるのは尚行の役割にした。
――あいつのために行動するのは別に苦では無いが、それでも三十一歳のいい歳した大人の男が一人で起きられないのは問題だからやっぱり何とかしないと。
ゴミ屋敷の様だった居住スペースの整理は一通り終わった。維持さえできれば人並みの暮らしは出来るだろう、維持さえ出来れば。問題はそこだ。仕事が忙しかったり体調が良くなかったりで悠臣が三日来れないだけで簡単に部屋が荒れる。
――次の改善点はやっぱりそれだな。
不健全、不健康で短命がミュージシャンとして格好良いなんて時代は、とっくに終わってんだよ。
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