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相関 (2)

 翌々日の日曜日は遅番で、仕事を終えて帰宅し、玄関の扉を開けて家の中に入ると良い匂いが漂ってきて思わず喉が鳴ったが、ひとまずぐっと堪えて尚行は夕食を用意してくれていた悠臣を正面から睨みつける。 「……昨日帰るって言ってたくせに」 「まだ怒ってんのかよ」    悠臣は金曜日と土曜日の出張が終われば土曜日の夜には帰る予定だったが、大学時代の友人に誘われ、宿も飲み代も奢ってくれると言うので土曜日の夜もそのままもう一泊することになった。明けて日曜日の今日には帰って来たのだが、詳細を知らせていても尚行は納得していなかったようだ。 「昨日も今日もわざわざモーニングコールしてやったんだから十分だろ」  尚行の機嫌を取るためにはどんなに理不尽でも自分が折れて何でもいいから謝ったほうが早い。短い付き合いでもとっくに理解していたが、お互いのためにも悠臣はなるべくその手法は取らないようにしていた。ただし、尚行の世話は悠臣自らが進んでやっていることなのでそれ以外の時間は好きにさせろ、などと突き放すような言い方はそう思っていてもなるべく言わずに、言葉少なに尚行の様子を窺う。しばらく睨みをきかせていた尚行だが、「風呂入ってくる」と言ってそのまま浴室へ向かった。尚行だって黙っていられない性格なだけで喧嘩をしたいわけではない。言いたい事を言えば落ち着くのが常なのでこういう時はそっとしておくのが一番だ。  そして風呂から上がってテーブルにつく頃には案の定機嫌も直ったようで、風呂に入っている間にテーブルに並べられていた鶏胸肉のバンバンジー、焼売、中華スープに早速手を付ける。先に夕食を済ませていた悠臣は尚行に付き合う形で缶ビールを飲み、二人はしばしとりとめもない話をしていた。  尚行は悠臣の仕事や交友関係についてあまり興味がないので二人の会話は自ずと尚行の仕事やバンドの話になる。特に尚行が店長を務めるショップは音楽好きで個性的なお客さんが多数訪れることもあり、毎日のように聞いても飽きることはない。今日も初来店のお客さんと話し込んでしまい休憩に行きそびれたと言いながら尚行は楽しそうだった。  そうこうしているうちに時刻は午後十時を過ぎていたので悠臣が帰り支度を始める。 「泊まってけばいいのに」 「お前は明日休みでも俺は仕事だから」  職場がシフト制の尚行はだいたい月曜日と木曜日に休みを入れることが多い。 「それにこれからスタジオ入るんだろ?邪魔しちゃ悪いしさっさと帰るよ」 「別に邪魔とか思わねーけど、……明日は?」 「仕事休みだし朝は起こしに寄る必要ないだろ?尚が帰って来る前に色々作って冷蔵庫入れといたから二日くらいは持つだろ」  そこまでして貰って、流石に文句は出なかったが顔は不服そうだ。 「……まあ、仕事早く終われたら様子見に来るよ。お前スタジオ入るとすぐ寝食忘れるし」 「ちゃんと寝るし食うよ、でも、……来れたら来て」 「わかったよ、じゃあな」  何処かほっとしたような表情をしてみせた尚行に背を向けて悠臣は玄関を出ると、夜空を見上げて軽くため息をついた。  ――懐かれた、のは、俺がこうして甘やかしているせいか。  わかってはいるが、どうにもあの顔に弱い。  尚行は人当たりは良くて顔も広いが基本的にあまり他人を信用していない。親しくなればなる程傍若無人な振る舞いをするようになったし根本的に身勝手な性格だ。だけどそんな尚行が時折見せる寂しそうな表情が気になって、悠臣はつい尚行の言うことを聞いてしまう。  それに、この居心地の良過ぎる家も問題だ。  尚行は元々祖父母が住んでた家を譲り受けて、この純和風平屋の一軒家に一人で住んでいる。更には一番広い部屋を防音仕様に改装してスタジオまで作っていた。  悠臣は転勤でこの街に引っ越して来た当初、近所の探索をしている時にこの家を見ていた。自宅マンションから程近い、閑静な住宅街の外れに佇む趣のある木造の平家住宅はかなり目を引いた。外観が好みだったのもあるが、それ以上に気になったのは荒れ放題の庭だった。空き家なら手入れして自分が住みたいと思った程だ。まさかそこの家主が尚行だったとは、酔い潰れて尚行の部屋で目を覚まし、家を出て愕然としたあの日のことは忘れもしない。だけど同時にこの家を自分の好きに出来るかもと思ったのも事実だった。    気を許してくれて我儘を言われるのも甘えて来られるのも嫌ではないし、可能な限りで答えてやろうとさえ思える。  だけど、あんな風に自分の言動にあからさまにほっとしたり、寂しそうな顔をしたり、普段のよく見知っている尚行とは違う姿を見つけてしまうと、これ以上踏み込んでは行けない尚行の領域があるような気がして、悠臣は気付かないふりをしてつい目を逸らしてしまっていた。    それでも、悠臣はもうSouthboundの音楽と、尚行のギターが聴けない日々は考えられない。  親しくなればなる程難しくなってきた距離感に少し戸惑いながらも結局悠臣は尚行の望み通りに、明日もこの家を訪れてしまうのだ。

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