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理由 (1)
「しかし、ここまで綺麗になると逆に落ち着かないんじゃないっすか?」
翌日の月曜日、尚行の自宅スタジオでドラムパートのレコーディングを終えたSouthboundのドラム、河村啓太 はダイニングテーブルの椅子に座り、持参した缶ビールを飲みながら見慣れたはずの見慣れない尚行の住まいを見渡した。ほんの二ヶ月程前まではゴミ溜めのようだった家がどこを見ても綺麗に整理整頓されていてまるで知らない家のようだ。
「いや?すげー快適だよ。俺だって別に部屋汚い方が好きとかじゃねーし」
尚行は二人掛けサイズのソファに一人で座り、リペアに出して返って来たばかりの黒のストラトキャスターをアンプに繋がず弾いている。
「結局尚さんて自分が何もしなくても周りが何とかしてくれる星の下に生まれてんだよな〜」
「何もしてねぇわけじゃねーよ、ちゃんと皿洗いとか風呂掃除とかしてるっつーの」
「尚さんそれ、やって当たり前だから」
啓太の表情は哀れみに満ちている。
「うるせえな、いいからおまえもう帰れよ」
「まだ七時半じゃないっすか」
「俺明日仕事だし」
「俺だって仕事ですよ。つーかちょっと前まで次の日仕事だろうが関係無く遅くまで飲んだくれてた尚さんどこ行ったんすか」
「そういうのもう卒業したの」
「なんすかそれ。……けど、飲んだくれてた頃も含めて、そのストラト弾いてる尚さん見ると、やっぱ昔を思い出すなぁ」
啓太の言葉に尚行は一瞬手を止めたが何も言わずにまたギターを弾き始めた。
「……もう、大丈夫なんですか?」
少し間を置いて、遠慮がちに聞いてくる啓太をチラリと見てから尚行は軽いため息を一つつき、サイドテーブルに置いていた煙草に手を伸ばしケースから一本抜き取って火を付ける。
「まあ、もうそろそろいいかなって。別にいつまでも拘る必要もないだろ」
そう言うと尚行は煙草を咥えたまま、またギターをシャカシャカと鳴らす。
「……すごいな、今まで誰も出来なかったのに」
「ん?」
ぼそっと呟くように言った啓太の言葉は尚行の耳には届かなかった。
「なんでもないです。つーかこれからどうします?それ話すために残ったんですけど、……でもその前にビールもう一本飲んでいいですか?あと腹減ってきたし、冷蔵庫になんか美味そうな物いっぱいあったからアレ食っていいっすか?」
空になった缶を持って立ち上がると啓太は真っ直ぐ冷蔵庫へ向かった。
「いいわけねーだろ、もう帰れ」
「嫌で〜す、せめて俺が買って来たビールは全部飲んでから帰りま〜す」
啓太は500mlの6缶パックを買って来ていた。
「ふざけんな、勝手に飲んだりしねえからマジで帰れって」
「ちょっと、何マジなテンションで言ってるんすか、顔が怖い」
「最初からずっと本気で言ってるわ」
尚行が段々と苛々して来たその時、玄関の引き戸が開く音がして啓太が目を輝かせる。
「……あ〜、もう」
煙草を灰皿に押し付け火を消してからストラトをギタースタンドに立て掛け、煩わしそうに立ち上がると尚行は玄関へと向かった。尚行の家の玄関を合鍵を使って当たり前のように入って来られるのは、今のところ一人しかいない。
「悠臣、悪い、今ちょっと変な奴が家にいて……」
「変な奴?」
悠臣が玄関で靴を脱ぎながら尚行の方を向くと、尚行の肩越しのその“変な奴”らしき人物が目に入った。
「初めまして〜、Southboundでドラム叩いてます河村啓太ですぅ」
「あぁ、初めまして、青木と言います」
そういえば見たことがある顔だと思った。
「おまえ、勝手に出てくんな」
「だって黙ってたら尚さん絶対紹介してくれないっしょ」
「紹介する必要もねーよ」
「まあまあ、あ、青木さんどうぞ上がってください」
「……おまえんちじゃねーぞ」
初対面の啓太に人見知りしているわけではないが、二人の気安いやりとりに何故だか悠臣は気後れしてしまった。
「あー、ちょっと様子見に来ただけだし、邪魔しちゃ悪いから今日はもう帰るよ」
「は?」
悠臣の言葉に尚行の顔色が見る見るうちに変わっていくのがわかる。
「いやいやいやいや、ダメダメダメ!今すぐ上がってください!」
尚行の背中から不機嫌なオーラが出ているのを察知し、啓太は慌てて二人の間に割り込み悠臣の腕を引っ張った。その様子を見て尚行が更に眉根を寄せたことに気付き、啓太は悠臣から手を離す。
「いや、でも……」
「悠臣、飯は?」
「俺?まだだけど」
仕事終わりに直行しているので悠臣は当然まだ夕食にありつけていなかった。
「俺もまだだし食ってけよ」
そう言うなり尚行はまだ玄関に佇む悠臣に背を向けてリビングへ入って行った。
――ずるいヤツだな。
そうされるとこのまま勝手に帰るわけにはいかない。状況がよく理解出来ないまま、仕方なく悠臣は家に上がった。
勝手知ったる尚行の家の洗面所で手を洗いうがいをしてからリビングへ向かうと、キッチンでは尚行が冷蔵庫から昨日悠臣が作り置きしておいた料理を出している。
「尚、俺やるから」
尚行はおとなしくその役目を悠臣に譲ったがその場から動かず、黙ったまますぐそばに立っている。そんな尚行を少し不思議に思いながらも目を逸らすと、悠臣はソファの近くに見慣れないギターが置いてあることに気が付いた。
「……あのストラト、おまえの?」
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