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衝突 (3)
尚行が叫ぶように呼んだ女性の名前に悠臣ははっとする。以前啓太が言っていた、“莉子”は確か悠臣より前の、尚行の本来の“世話係”だ。
玄関に向かおうとして立ち止まってしまっていた悠臣のもとに莉子が辿り着くと真っ直ぐ視線を向けてくる。身長は160cm程だろうか、肩までの柔らかいウェーブのかかった髪の毛、細身の体型にスラリと伸びた手足、切れ長の瞳と薄い唇が印象的な整った顔立ち。悠臣の目から見ても美人だと思う。それにしても、誰かに似ている気がする。
「玄関に見慣れない革靴があったから誰かいるのはわかってたけど、どちら様?」
「あ、えっと尚の、……友人で、青木と言います」
ついさっき告白して来た相手を何事も無かったかのように“友人”と呼ぶことに少なからず罪悪感のような物はあったが、今の悠臣にとって友人以外の選択肢も無い。
案の定莉子の肩越しに不満げな様子の尚行が目に入ったがこの状況ではどうしようもなかった。
「友人ね、まあ、どうでもいいけど」
「莉子、勝手に上がんな、マジで帰れって」
「久しぶりに会ったっていうのに随分な扱いね」
「急に来るからだろ」
悠臣は再び目の前で言い争いを始めた二人を改めて見てみる。お互い全く遠慮の無い物言いから付き合いは相当長く、本来なら気心の知れた仲だと窺い知れる。女性の年齢は見た目からでは判別しかねるが同世代の三十歳前後といったところか、目尻のすっと伸びた切れ長の瞳で凄まれるとなかなかの迫力だった。
さっきから睨まれてばっかりだなと、つい先程の尚行とのやりとりを思い出していると、悠臣はあることに気が付いた。
柔らかそうな髪の毛も、薄い唇も切れ長の瞳も、その睨み方まで、誰かに似ていると思ったが、何のことはない、今目の前でいがみ合っている二人は身長や骨格などの男女の差こそあれど、どこからどう見ても、
「……そっくりだな」
悠臣が思わずそう溢すと二人は同時に悠臣の方を向いて眉根を寄せる。
「つーか莉子、人に名前聞いといて自分は名乗ってもねーじゃん」
「名乗ろうと思ったらあんたが邪魔して来たのよ!」
まるでコントのような息ぴったりの掛け合いに堪え切れず悠臣が笑ってしまったのをきっかけに、二人はようやく落ち着いてきた。
「尚も俺と初めて会った時自分からは名乗らなかったけど?」
悠臣がそう言うと尚行は顔を顰め、その横で莉子は勝ち誇ったように口元を綻ばせる。
「そうだっけ?……あー悠臣、こいつ、」
「南莉子です、尚行の双子の姉です」
大人として、まずは自分から名乗らなかったことを尚行に指摘されたのが気に入らなかったのか、食い気味に早口で莉子が名乗った。
姉か妹のどちらかとまでは予想していたが、まさかの双子で驚いた。それでもどちらも折れる気のなかった先程の口論を思えば上も下もない双子ならそれも納得だ。
二人は放っておいたらまたいがみ合いそうな雰囲気を醸し出している。悠臣が間に入ることで場を納められたら良いが、尚行もだが、莉子は全く折れる気配が無さそうで部外者である悠臣が挟まって余計拗れるよりここは一旦引いた方がどうにも良さそうだ。
「なんか久々に会うみたいだし、邪魔しちゃ悪いから俺は、今日はもう帰るよ」
悠臣はそう言って仕事用のバッグを置いたままのリビングに戻った。
「はあ?ちょっと待てよ!まだ話の途中だろ」
莉子を押し退けるようにして尚行は悠臣の後を追った。
「お前の言いたいことは理解した」
「わかってねぇだろ、じゃあせめて俺のベース貸すから持って帰れ」
逃がさないとばかりに尚行は悠臣の手首を掴んでベースの置いてあるスタジオに連れて行こうとする。それを察した悠臣は尚行の手を思いっきり振り払った。
「……悪い」
手を振り払われ、一瞬叱られた子供のような顔をした尚行を見て悠臣は胸が痛んだ。
「ちゃんと考える。それから返事するから、今は、まだ……」
“ベースを触る気になれない”
言葉には出来なかったが尚行には伝わったようで、目を逸らし小さく頷いた。
「お騒がせして、お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」
興奮から冷めたのか、急にしおらしくなった莉子が玄関まで見送りに来てくれて悠臣は少々面食らったが、大人の余裕を見せて上手く受け流す。尚行は莉子の少し後ろに立って悠臣が出て行くのを黙って見ていた。
家に残された二人は、ついさっきまで激しい言い争いをしていたというのに、今はお互い静かに相手の挙動を窺っている。
先にリビングに戻った尚行が煙草に火をつけるのと同時に沈黙は破られた。
「あの人、ミュージシャンなの?」
抑揚のない声でそう言うと莉子は尚行の反応をじっと窺っている。
「……元ミュージシャン」
尚行が答えると莉子は大袈裟なほどに盛大な溜め息をついてみせた。
「あんた、また同じことを繰り返す気?」
煙草の煙をゆっくりと吐き出してから尚行は再び口を開いた。
「……悠臣は、そんなんじゃねえよ」
「あんたの好みや考えそうなことくらいだいたいわかるわよ。あの人がどんな人だかそりゃあたしはよく知らないけど、ああいう一見真面目そうな人に限って、」
「うるせえな、悠臣はあいつとは違う!そんな話しに来たんならもう帰れって!」
莉子が尚行と口論するのは幼少期からの習慣のようなもので多少怒鳴られても怯んだりしない。だけど、久しく見ていなかった尚行の余裕の無い表情に、“本気”なんだと莉子は瞬時に理解する。本気だから良いわけではなく、本気だからこそ心配になるのだけど、こういう時の尚行には何も言っても無駄だと誰よりも莉子はわかっている。それに、尚行の言う通り、今日はこんな話をしに来たわけではない。
「悪かったわよ、前に会った時に言ってた話、纏まりそうだからなるべく早く尚に報告しておきたかったの。……座っていい?」
「……あぁ」
尚行は莉子に背を向けたまま、何処か遠くを見るような目で呟くように返事をした。
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