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歪み (2)
「聞いてるよ、そこまではだいたい昨日話したろ。で、その先は?」
それで納得して「はい、そうですか」と諦めてくれると思ってはいなかったが、ここまでこちら側の事情も無視されるとため息の一つもつきたくなる。
そして本題に入る前に、昨日尚行に指摘されずっと引っかかっていた言葉の真意をまずは尋ねてみることにした。
「昨日、俺にベースに未練があるんだろって言ってたけど、どうしてそう思った?」
そんな風に思われる言動をした覚えは無いし、何より悠臣自身がもう未練は無いと思っていた。
「うちのスタジオ、最初に掃除が必要かどうか見ただけで、その後は一度も入ろうとしなかったろ。俺がギター弾いてやるって言っても、いいって言って」
悠臣がこの家に来た当初、寝室もリビングもキッチンも庭も荒れ放題だったが、唯一スタジオだけは尚行が拘って作っただけあって綺麗にしていた。掃除の必要が無いので入らなかっただけではあるが、指摘されると無意識に避けていたような気もする。
「それから、ライブの時も悠臣俺ばっか見て俺のギターの音聴いてくれてるけど、体で追ってノッてんのはいつもベースの音なんだよ、自分で気付いてなかった?」
そう言われて驚いた程に、それこそ悠臣は自分では全く気付いていなかった。ベースの音を追っていたのは勿論Southboundのライブ中、尚行ばかり見ていたことも、完全に無意識だった。
「全く、意識したことなかった」
「ブランクあってもそこそこキャリアがあれば体は勝手に覚えてるもんだし、それに悠臣、うちのバンドの曲のベースパート、全部頭に入ってんだろ?」
真剣な眼差しで真っ直ぐ目を見て言われ、悠臣は思わず目を逸らす。
「それは、まあ……」
明言を避けたが図星だった。適当なようでしっかり見ている。やっぱりこの男は侮れないし底知れない。
「それがお前の言うように未練なのか、俺自身は正直よくわからない、けど、俺の中でベースに対してまだ完全に吹っ切れてない何かがあるのは、確かだとは思う。……俺さ、いまだに夢に見るんだよ、ライブで指が動かなくてベース弾けなくてステージ上で呆然と立ち尽くす夢、実際にはそんなことはなくて、誤魔化しながらでも何とか弾けてたのに、夢では、全く弾けないんだ」
知り合ってから初めて見る悠臣の弱気な姿に流石の尚行もどう返して良いかわからず黙り込む。
「だからずっと、もう一度ベースを弾いてみようなんて思いもしなかった。弾きたいとも思わなかったし、昨日おまえにあぁ言われて、驚いたし正気かよって思った、……でも、正直嬉しかった」
「……え?」
「俺がベース辞めてから俺にベース弾けって言ってきたの、おまえが初めて。それまでは知ってるやつはみんな大体腫れものに触るようにベースの話自体避けてたしな」
先程までに比べて随分穏やかな表情で語る悠臣に内心ほっとしながら尚行は次の言葉を待つ。
「どんな理由でも、俺にベース弾けって言ってくれるやつがいるんだなって、そう思ったらなんか嬉しかったよ」
「悠臣、じゃあ……」
「……あぁ、やってみようと思う」
待ち侘びていたその一言に尚行が目を輝かせる。
自分の決断一つで尚行がこんなに喜んでくれるなら何でも引き受けてやりたいたい気持ちはある。何よりSouthboundのベースという大役を任せて貰えるなんて、本来なら光栄なことだ。
「だけど」
だからこそ、その前に悠臣は尚行に伝えなければならない……。
「条件がある」
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