19 / 110

歪み (3)

「それで引き受けたんだ」   ちょうど二週間後の金曜日の夜、悠臣はBAR『Strange Brew』のテーブル席で大学時代の同級生、村上悟(むらかみさとる)と向かい合って座っていた。  悠臣が二週間前の出来事を掻い摘んで聞かせると悟は笑いを堪えながらそう言った。 「笑うなよ」 「悪い、つーか青木ってほんと昔から押しに弱いよな。元カノも高校の時に猛アタックされて付き合ったんだっけ。その後十年続いたのは純粋に凄いと思うけど」 「十年付き合っても別れるのは一瞬だったよ。……まぁ、向こうはずっと悩んでて、俺が気付かなかっただけだろうけど。……あいつも、俺の知らないところでいろいろ考えてくれてたんだろうなって思ったら、どうにかしてその気持ちに応えたいって、思ったんだよ」 「青木らしいっちゃ青木らしいけど。……でも、一応確認しとくけど、そいつはお前がベース辞めた理由、ちゃんとわかってて、それ言ってるんだよな?……なんつーかその、人間性とか、信用出来るやつなわけ?」 「あぁ、めちゃくちゃなやつではあるけど、そこは信用出来る。悪意があってとかで言ってるわけじゃない」  付き合いは決して長くはないが、そこは断言出来る。 「それならお前が決めることで俺がどうこう口出しすることじゃないから何も言わないけど、……それにしても、似たようなやつって案外いるもんだな」 「そうだな、……まあでも、まだマシかな。あいつに比べたらまだまだ可愛いもんだよ」 「会ってみたかったなぁ〜」 「俺だってこんなことがなけりゃ普通に会わせるつもりだったよ。けど流石に今のタイミングではいろいろ気不味いし、このバーだってあいつのいきつけなんだから本当は来たくなかったんだからな」 「それはダメ〜、俺もずっとこのバー来てみたかったんだから」  以前の悠臣と同じように悟も今日は仕事の出張でこの街に来ていて、同じようにBAR『Strange Brew』を雑誌で知って来てみたかったのだと言う。 「じゃあもう満足したろ、まだ飲むなら場所変えよう」 「まだいいだろ、……それに、聞くの迷ってたけど、やっぱ気になるから聞くけど」 「なに?」 「……ベース、弾けそうなの?」  学生時代は遠慮の欠片も無かったような男が大人になったものだ。おずおずとそう質問して来た悟を前に悠臣の口角は思わず緩む。 「はっきり言ってまだ今は右手どうこうの前に左手も動いてくれないよ。わかってはいたけど、六年のブランクはやっぱデカい。家にいる時間増えたから出来る限り弾いてたいけど、診断受けた当時練習のし過ぎが良くないって言われたから初っ端からから飛ばさないよう気を付けてて、でもそれじゃどう考えても間に合いそうにない」 「……そうか、でも、全く無理ってわけじゃないんだな」 「……まあ、今のところは」 「なら良かったよ。時間掛かっても、最終的に青木がどういう決断するにしても、お前がもう一度ベース弾く気になってくれたのは、俺としても嬉しい」  悟から出た意外な台詞に悠臣は驚きを隠せない。旧友がそんな風に思っていてくれたなんて、想像もしていなかった。 「もう、誰も俺に期待なんてしてないと思ってた」 「ずっとそう思わせてたんなら、悪かった。……ただ、あの当時は俺も、他のやつらもお前になんて言っていいか、どう接していいかわかんなかったんだよ」 「まあ、そうだろな。むしろ俺が構うなって空気出しまくってたもんな」 「ほんと酷かったよ、今だから言えるけど。……けどまあ、いろいろ重なり過ぎてそうなるのも仕方なかったよな、あん時は。俺も正直当時は自分のことでいっぱいいっぱいでお前に何もしてやれなかった後悔がずっとあって、今ならって思ったタイミングで青木が転勤になってさ、まさかその間に先越されるとはなぁ」  悟が何を言いたいのか、悠臣はいまいち理解出来ないまま、ただ黙って言葉の続きを待った。 「俺もさ、もう一度青木とバンドやりたいと思って、誘おうと思ってたんだよ」  悟は学生時代と変わらない、人の良さそうなはにかんだ笑顔をしてみせたが、その瞳は真剣そのもので今の台詞が嘘でないことを証明している。 「そう、だったんだ」 「そうだよ、だから正直ちょっと悔しい気持ちもある。……でも俺だけじゃダメだった気もするんだよな、だからずっと言えなかった。一人で青木の心動かしたそいつは、ほんとに凄いって思う」  悟とは大学の音楽サークルで一緒にバンドを組んでいた。悠臣がベース、悟がドラムで主に洋楽のカバーをしていて、大学卒業後も細々と活動していたが、卒業から二年後、悠臣はもう一つのバンドに専念するため、悟は就職のためバンドは解散。その後も悟とはたまに連絡を取り合う程度の関係は続いていた。  そんな気心の知れた悟に先に誘われていたら、どう返事をしたのだろう。冷静に考えて悟の言う通り、悟の誘いだけではもう一度ベースを弾こうなんて気になれなかったかもしれないと悠臣は思う。 「……そうかもな、悟と組むのが嫌とかじゃないけど、あの頃のこと思い出して平気って思えるには、俺はもう少し時間が掛かりそう」  悠臣の過去を知らない尚行が相手だったから、こんな無謀とも思える難題に挑戦してみようという気になれたのかもしれない。だけどそれだけで動かされる程悠臣は単純な性格では無い。悠臣の中で尚行はいつの間に、こんなにも大きな影響を及ぼす程の存在になっていたのか、悟との会話の合間に悠臣はたまたまSouthboundの路上ライブに遭遇し、尚行に出会った日の光景が頭に浮かんだ。  ――そういえば、初めて路上でギターを弾く尚を見て昔を思い出したのに、嫌な気分にならなかったな。

ともだちにシェアしよう!