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歪み (4)

「だよな、俺だって完全に吹っ切れたわけじゃない。……つーか、一生忘れられないと思う。だから青木も同じ気持ちなら、もう一度バンドやるなら青木とって俺が勝手に思ってただけで、俺は性格的にそこまで強引な真似は出来ないし、何より物理的な距離があって今は無理だし、青木が納得出来る形でまた音楽が出来るなら今はきっとそれが最善だよ」  そう言われて、悠臣は自分がもう一度バンドでベースを弾く姿を想像してみる。出来るかわからない。時々見る夢のように本当に何も出来なくて呆然と立ち尽くすことになるかもしれない、想像しただけで不安に駆られ指先が冷たく感じる。だけど、いつも観ているだけだった尚行と一緒に演奏するんだと思うと、そんな不安も少しだけ和らいだ。   「それにしても青木ともう一度こういう話が出来るとはなぁ」 「そうだな、挑戦してみて無理だったとしても、それはそれできっぱり諦めが付くし、前に進める気はしてる」 「青木なら大丈夫とか、無責任なことは言いたくないけど、お前のベースの実力は俺の方が絶対わかってるし保証する。だから期限決めずにお前のペースで続けて弾けるようになれば、それでもいいんじゃね?それでもし今のそのバンドの話が無くなったとしても、何年先でもいいから、お前が東京戻った時に俺と一緒に演ろ」 「悟……」 「年取るとダメだな、酒飲むとうっかりこういうノリになっちまう、……でも俺あれから思ったんだよ、大事なことはちゃんと伝えられるうちに伝えないとって」 「……そうだな」 「あー!今無性にドラム叩きてぇ。なぁ、夜中に呼び出されて二十四時間やってるスタジオで延々ジャムセッションしたの覚えてる?彩乃も呼んで普段演らないハービー・ハンコックとかファンカデリックとか演ってさ、最後みんなアレンジしまくって無茶苦茶だったやつ」  大学卒業以来会っていない懐かしい友人の名前が出て悠臣は自然と笑顔になる。 「あぁ覚えてる、あれやばかったよな」 「な、あの熱量で今演ったらぶっ倒れるけど、でも今ならあの頃よりもっといろんなこと上手く出来る気もするんだよなぁ」  その話題をきっかけに二人は学生時代の思い出話を始めた。  楽観的な性格の悟は昔から人と人の間に立って場を取り持つのが上手い。悠臣はそんな悟にずっと救われていたなと今になって改めて思う。  六年前、音楽を辞めてから暫くは大学時代の友人たちとは距離を置いていた。自分から離れていった悠臣に気を遣ってか、はたまた本気で呆れていたのか誰も悠臣に接触しようとはしなかったが、悟だけがたまに連絡をくれていた。そんな悟でさえ二ヶ月前の悠臣の出張の後、会ったのは六年ぶりだった。  この街で尚行と出会い、新たな生活が始まってからの心境の変化は悠臣自身自覚していて、そうでもなければ誘われてもこうして旧友と気軽に会うなど、少し前の自分では到底考えられなかった。  ましてや、もう一度ベースを弾くことになるなんて。  全てのきっかけは偶然遭遇した路上ライブだ。あの日、Southboundの音楽と尚行のギターに触れたことで、悠臣は忘れかけていた音楽への情熱を取り戻した。  そんなことを考えていると何だか無性にあの生意気なしたり顔を見たくなったが、二週間前に自らが突き付けた“条件”のせいで今は会えない。  ――あいつ、ちゃんと飯食ってるかな。  悟との会話の合間に悠臣がつい尚行のことを考えていると、「いらっしゃい!」というまるで居酒屋のような威勢の良いマスターの声が店内に響き渡った。この居酒屋風「いらっしゃい」は常連客限定だ。釣られて振り向き、つい今しがた思い浮かべていた男と目が合って、悠臣は思わず顔を引き攣らせる。そのまま悠臣の元へ来るかと思いきや、尚行はすぐに目を逸らし空いていたカウンター席に座った。同時に悠臣のすぐ真後ろに座っていたスーツ姿の一人の男性客が立ち上がり、当たり前のように尚行の隣に座って親しげに会話を始める。  まさか真後ろに知り合いが座っていたとは、想像もしていなかった。それでも念のため気を付けて名前は出していなかったから、きっと気付かれてはいないだろう。 「……なぁ、もしかして、あれが例の?」  昔から何事にも動じないタイプの悠臣が珍しく動揺を隠せていないのが可笑しくて悟は思わず笑ってしまう。 「……あぁ」  悟にまた笑われてしまったことも気にならない程、本当に珍しく目に見えて悠臣は動揺していた。  尚行とは確かに目が合ったはずなのに顔色一つ変えずに完全にスルーされた。何もやましいことなどしていないのに、まるで浮気現場でも目撃されたような気分で落ち着かない。もしかしたら目が合ったと思ったのは勘違いで、悠臣の後ろにいた知り合いを見ていただけなのだろうか、だとしたら声を掛けてついでに悟も紹介して、いや、“条件”は期間中何処にいても有効だ。そもそもそれがあったから尚行は悠臣に気付いてはいたがなんでもないふりをしてくれたのでは……。  一瞬の間にいろんな可能性が悠臣の頭の中でぐるぐると浮かんでは消えて、週末の疲れも相まって悠臣は急に倦怠感に襲われた。 「……まだ飲むなら付き合うけど、場所変えていいか?」   「あぁ、もちろん。まだまだ付き合ってもらうよ」  ため息まじりの悠臣の問い掛けに相変わらずのニヤついた顔で答えるとそのまま悟はグラスに残っていたアルコールを全て流し込む。  会計を済ませ店を出る際カウンター席にいる尚行に視線を向けたが、相変わらず悠臣には目もくれず知り合いらしい男と何やら真剣な顔で話をしている。そんな尚行に対して何だかもやもやとした気持ちが湧いてきて悠臣は目を逸らすと結局何も言わずに悟と共に扉の向こうへ消えていった。
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