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迷走 (1)

   翌週、悠臣は目に見えて調子が悪かった。  月曜日の午前中からどうにも集中出来ず通常業務が捗らない。流行り病でも貰ったかと心配したが咳や鼻水など気になる症状は無く、体温も至って平熱だ。  幸い大きなミスは犯さず事なきを得たが、おかげで連日残業する羽目になった。  少しでも時間を確保しようと自炊は諦めて今週はずっとコンビニ弁当。最初こそ何にしようか選ぶ楽しみもあったが、五日も続くと流石に飽きてきた。  何より、悠臣の不調は仕事中だけに限らない。  あれから三週間、毎日のようにベースに触っているのに、昔の感覚がまだ自分の両手に戻って来ない焦りを感じ始めていた。  約束の期限まではもういよいよ時間が無い。やはり無謀な挑戦だったと尚行にどう説明しようか、いつしかそんなことばかりを考えるようになった。  指の引っかかりを感じたところで一旦練習を止め、深く大きなため息をつく。顔を上げてみると随分前からテーブルに置きっぱなしにされている未開封の煙草とライターが目に入った。一ヶ月ほど前に尚行が置いていったものだ。  二人が会うのはたいてい尚行の家だが、たまに尚行は悠臣の住むワンルームの部屋に来たがった。仕事に行って帰って寝るだけの、尚行の興味を引きそうなものなど何も無い上に狭いだけのこの部屋に何でわざわざ来たがるのかと疑問に思っていたが、今ならその理由もわかる。  煙草に手を伸ばし封を切り、一本抜き取って慣れた手つきで火を付ける。    同じ年数やめてても、煙草に火を付けるのは当たり前のように今でも出来るのに、何でベースは弾けないんだろうな。  不意にそんなことを思う。  やっぱり無理だったと告げたら尚行は怒るだろうか、拗ねるだろうか、それとも努力は認めて納得して貰えるだろうか、どの顔も想像出来る。  だけど、どれもしっくりこない。 「良くないな」  何事も考え過ぎるタイプの悠臣は昔から一人でいるとすぐにマイナス思考になりがちだ。  煙草の煙のせいもあって澱んだ部屋の空気を入れ替えようとベースを置いて立ち上がる。ベランダの窓を開けて見上げた夜空には雲の切れ間で星が儚げに瞬いていた。  こんな時あいつなら、なんて言うだろうか。   「……なぁ、俺は、どうしたらいい?」
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