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迷走 (7)

「尚は東京に行かなくても音楽が出来るようにって、将来は地元で本格的な音楽スタジオを経営したいって夢があったんです。それで音楽の専門学校にも行って、それなのに学校辞めて東京に行くの?って、私は最初反対したんですけど、尚の気持ち考えたら当時は私もそれ以上強くは言えなくて」  今の尚行もそうだが、若い頃の尚行なら尚更周りの意見になど耳を貸さなかっただろう。  やがて是永は東京でスタジオミュージシャンとして徐々に名を上げ、数年で有名シンガーソングライターのレコーディングや人気アイドルグループのバックバンドを任される程にまでなったらしい。  是永と共に尚行もギタリストとしてステージに立つようになった頃には東京で尚行も随分派手な生活を送っていたらしいが、その頃の尚行と莉子はたまに電話で話すくらいで直接会ってはいなかったそうだ。 「好きな人と一緒にいられて仕事もあって暮らしも安定してて、尚が幸せならこれで良かったんだなって、私もそう思い始めてました、なのに、あいつは……」  憎々しげに吐き捨てるように言うと莉子は膝の上に置かれた両手をぎゅっと固く握り締め肩を震わせる。 「あの男は当時バックバンドを務めてたアイドルグループのメンバーの女の子の一人を妊娠させて、責任取ってその子と結婚するからって、そんな理由で呆気なく尚を切り捨てたんです」  肩を、声を震わせながら、まるでつい今しがた体験した出来事のように両眼に薄っすら涙を浮かべて話す莉子は過去の事だとまだ割り切れていないのだろう。……そして恐らくは、当然当事者である尚行も。  いつもどこか一歩引いて、何事にも夢中になるのを避けている節があった。それは音楽に対しても同じだ。  ――売れるための音楽とか興味ないんすよ。  初めて会った日、そう言って乾いた笑み浮かべていた尚行を思い出す。  信じて愛していた人に裏切られた尚行の痛みはどれ程のものだっただろう。  尚行はいつも悠臣に我儘を言っては許して貰えるとほっとした顔をしていた。もしかして尚行はどこまで悠臣を信用して良いのかわからず、本当はいつも不安を感じていたのだろうか。 「……それから暫くして尚は地元に戻って来たけど、昔とはまるで別人みたいに何事にも無気力になってしまって、音楽からも離れて、そのままギターも辞めてしまうのかなって思ってたけど、啓太たちのおかげもあって時間かけて少しずつ元気になっていったんです」  尚行の過去の最も重要なパートを話し終えて幾らか落ち着いたのか、莉子の話し方も穏やかになってきた。
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