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回顧 (21)
目を開けて最初に見えた見慣れない天井をしばらくじっと見つめてから、悠臣は自分が今の今まで眠っていたこと、そして夢を見ていたことに思い至った。
「……お兄ちゃん?」
声のした方に目線を向けると、悠臣の妹、奈月 が心配そうに見下ろしている。
「良かった、……ナースコール押すね」
奈月の言葉でこの見慣れない部屋が病室だと悠臣はようやく理解した。同時に身体から感じる痛みから自分の身に起こったことも思い出す。
なんとか自宅に辿り着いたところで力尽きた悠臣はそのまま倒れ込んだ。その時の物音で起きて来た家族が救急車を呼んでくれて病院に搬送され、その後丸一日眠っていたらしい。
暴行による全身打撲で全治約一ヶ月。医師や家族からは被害届を出すよう勧められたが、ワケありの怪しい男に手を出したせいでその筋の者から報復を受けたなんて、情けなさ過ぎて言えるわけもない。
身体の傷が癒える頃には悠臣の精神状態も嘘のように落ち着いてきて、どうしてあんな馬鹿なことやってたんだろうなと、一ヶ月前の自分を冷静に振り返る余裕さえあった。当然あんな目に遭っておいて懲りずに夜遊びなんてもうする気も起きなかった。
そしてこの一ヶ月、不自由な体で家族に目一杯世話になり、流石に反省した悠臣は全快すると同時に動き始めた。手始めに求人情報サイトで目を付けていた会社に片っ端から応募した。運転免許以外の就職に有利な資格も社会人として必要な経験も知識も何も持ち合わせてはいない。厳しい現実が待っているだろうと覚悟していたのだが、昨今の売り手市場は相変わらずで思ったよりも早く大手食品会社に就職が決まった。
初出勤を前に、十年付き合ってあの別れ方はやっぱり駄目だろうと、せめて最後にちゃんと話をしようと考え沙織に連絡を入れたが断られた。もやもやとした気持ちは残るが、沙織が望まないのであれば仕方がない。何より話をして結局は自分がスッキリしたいだけだ。沙織はもうきっと前を向いている。そしていつかどこかでもしもまた会うことがあれば、その時はお互い笑顔で、あの時別れを選んで良かったと言えるよう、他人にも自分にも恥じない生き方をしようと改めて悠臣は思う。
そうでなければ例えこの先、人生を全うしたとしても浅野のことだから『まだ早い』と言っていつまでも悠臣を迎え入れてはくれず、何度でも追い返されてしまいそうだ。
浅野のいない世界を、それでも生きて行くと決めたから……。
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